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2013年10月17日木曜日

何でもNO1な街 ナポリ

 クロアチアのプリトビッチェから、バスに乗り、ザダール経由でスプリトの街に戻り、そこからフェリーに乗り、イタリアのアンコーナへ。アンコーナから列車を乗り継ぎ、イタリアのナポリにやって来た。実に34時間の大移動だった。
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 フェリーは、シート席ではゆっくり寝れないので、少し高かったが、2人部屋を利用した。部屋はカーデッキの下の2Fで、迷路のような通路を通り部屋にたどり着く。
迷路のような船内
ドミトリーのような2段ベッドと、バストイレ付きの部屋だった。意外に広く快適だった。
我らのキャビン
マイアミから乗ったクルーズ船とは格が違うが、ベッドはちゃんとしたマットレスで寝心地がいい。エアコンも効いていてちょうど良く、シャワーも熱いお湯が大量に出て、気持ちよく使う事が出来た。
バスルーム
揺れも殆どなく寝ていたらあっという間だ。

スプリトの夜



朝焼け
アンコーナの港からバスで、駅まで向うが、バス停の場所がわからないので、他の人達の後を付けていく。しかし、一向にバス停につかない。他の人に駅行きのバス停に行くのか?と尋ねると、多分ね。自分たちも何処に行っているかわからないとみんな同じ答え。

 結局、30分くらい歩き、駅に着いてしまった。なんだか、交通の案内があまりよくない印象。

 切符売り場でナポリまでというと、今列車は無いよ。次は、1時45分よと言う答え。船が遅れたのと、駅まで歩いたので、8:50の列車に乗り遅れてしまった。自分の調べでは、10時台と11時台の列車が有ったと思ったのだが、仕方なしに、1時45分のチケットを買った。

 後でわかったが、10時と11時台の列車は、経由地が違い2回乗り換えが必要だった。おそらくは、ローマ経由の便しか窓口は教えてくれなかったようだ。不親切きわまりない。

 時間があるので、アンコーナの街を観て廻ったが、たいした街ではなかった。朝早いので、レストランも開いておらず、カフェでカップチーノを飲みながら時間をつぶした。
アンコーナの街

アンコーナの街
12時過ぎて、レストランが開いたので、駅前のしょぼいレストランでスパゲッティーボンゴレと、ペンネアラビアータを食べた。

 ボンゴレは、少し塩っぱかったが、自分が入社したての頃、横浜の寮の近くのよく通ったピザとスパゲティーがお気に入りのお店の味にそっくりだった。アサリの身がやせているのと、時々、殻が割れていてガジッとするのはご愛嬌で、おいしかった。
 あの店は、本場の味だったんだなと今更ながら思ったのであった。
ボンゴレ
ナポリは、治安が悪くヤバい街という情報をよく聞いていたし、スプリトの公衆トイレで、財布から現金を抜き盗られたばかりで、気をひきしめて、リュックのジッパーにはしっかりとを掛けていた。

 ナポリの駅から宿に向かう途中。背中のリュックが一瞬軽くなった気がした。しかも2回。振り返ると、体の大きな男が、すっと横に移動した。おかしいなと思って、リュックを触ると、鍵を掛けていなかった一番外側のジッパーが空いていた。

 金目のものは入っていなかったけど、「やられた!」と思い、妻を呼び止め、怪しげな男をガン見してたら、その男、俺のフィルターケースを差し出し、ごめんと言って、仲間と足早に歩いて行った。

 盗ってはみたが金目の物ではないので返してくれた訳だが、自分はスリですと言っているようなものだが、どうせ訴えられないし、捕まらないと思っているから返してくれたんだろう。
なめていやがる
でもフィルターケースにはクローズアップレンズが3枚ははいっており、1万円くらいはするので、なくなったらなくなったで痛いのだ。

 今回は、前回考えた抜本的スリ対策を実行していたおかげで、結果的に何も盗られなかった。

 何も盗られなかったら良かったじゃないと妻はなだめてくれたが、奴は私のイタリアとナポリに対する愛情を盗って行った

 ナポリの街、危険度NO1だ。

 イタリアは、7年くらい前に一度来た事がある。そのときはパックツアーで、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマを回っているので、今回はパスして、イタリアはナポリだけ見る事にしたのだ。

 前回のイタリア旅行では、食事がついていたが、修学旅行生が行くようなレストランが多く、おいしくはなかった。自由時間に行ったレストランでは高いコース料理を頼んだにも関わらず、ステーキの上にカレーソース等がかかっており、がっかりのお味で、今回のイタリアでは食事のリベンジを果たすのが、目的でもあった。

 到着した日は、スリ未遂事件にも遭い、ちょっと、気分がめげてしまって、あまりレストランを探し回る気が起こらず、駅のマクドナルドで食べてしまった。この旅での分の盛り下がり度NO1だった。

 翌日は、妻が調べていたレストランで、タコとムール貝のスープ、

イワシのマリネ、

スパゲティーポモロドーロ
等を頂く。タコとムール貝のスープには、タコ、アサリ、ムール貝、エスカルゴ等がはいっており、アサリは少し臭くダメだったが、タコはふわっと柔らかく、ムール貝はプリプリ、エスカルゴもコリコリした感じでおいしかった。

オジさんが丁寧に時間をかけてスープを注ぐ。ものすごいこだわりを感じた。
お洒落のおの字もないレストラン。
また、スパゲティーポモロドーロは絶品だった。

スパゲティーポモロドーロは、トマトだけのスパゲティーで、この名前を知ったのは、10数年前に行ったタイのサムイ島のイタリアンレストランで一番安いスパゲティーを頼んだときだった。このときは、「なんだこの具無しパスタ」と思っていた。実際にあまりおいしい物ではなく、この時以来、具の無いパスタは頼まない事にしていたのだ。

 しかしながら、ここのポモロドーロは、本当においしかった。トマトソースは少し酸味があり、オリーブオイルとよくなじみ、具がなくてもボリューム感があり、旨味が感じられた。また麺の固さも良かった。

 このポモロドーロ、うどんで言ったら、「すうどん」に相当するものかもしれない。讃岐うどんの本場では、ゆでたうどんに生卵をかき混ぜて食べるのが美味いということであるが、それに類するものみたいだなと思った。

 そして、ナポリと言えばピザ。多くの方から、「ナポリのピザを食え」とご推薦を受けた。
ナポリ在住の日本人ご推薦というお店を誰かに教えてもらい、早速行ってみた。

 宿からはちょっと離れている、暗い夜道を少し恐い思いしながら歩き、ようやくたどり着いた。中に入るとお店はガラガラ? 
オジさんが釜で丁寧にピザを焼いていた。
注文したのは、DOCという最高級のモッツァレラチーズを使ったもの。このDOCと聞いて、何故か俺は、叶姉妹を思い浮かべてしまい、気持ち悪くなり、やめよう思ったのだが、あれはDHCよと妻に言われて、注文した。もう一つはサラミとペペロン。サラミはどうでもよかったのだが、ペペロンが食いたかった。
ペペロン
DOCは、チーズにミルキーを砕いていれたのではないかと言うくらいミルキーな味がして、おいしかった。また、ペペロンは、食べていると後からジワーと聞いてくる辛みでビールがすすみ、病み付きになりそうだった。
DOC
店を出て、隣を見ると、やたらと、人がたくさんいる。何の店だろうと思ったら、barで、道路に立ち飲みしている人だったが、もう1軒奥にまた店がある。そこもピザ屋さんで、自分たちが行った店より遥かに混んでいる。
人気のお店
店の名前を見たら、自分たちがいこうとしていた店はこちらだったということが判明した。アメリカ在住という日本人女性と一緒の男性に、日本人ですかと聞かれ、しばらくその前で話をした。彼らはビールとシャンパン片手に、その店の順番待ちをしていたのだ。

 BARにいたたくさんのお客さん達も、実はそこのピザ屋さんの順番待ちの人達だった。しばらく話をしていたら、彼らも名前を呼ばれ、お店に消えて行った。

 店間違ったんだから、再度挑戦しなければならなくなってしまった。翌日ランチにこの店にやって来た。12時頃に入店すると、待たずに入れた。注文したのは、マルゲリータとルッコラと生ハムのピザ。ピザ2枚はいらないが、この店ピザしかないのだ。
マルゲリータ
 ルッコラのピザは、運ばれて来たときから、ごまのようなルッコラの風味がして、よかった。家の庭に、ルッコラを植えていた事があり、我が家で穫れたルッコラは、ピリッと辛かったが、同じ様にこのルッコラも辛みがあり、我が家のルッコラも正しいルッコラだったんだと、なんとなく安心した。(笑)

マルガリータもおいしかった。
 ピザの生地自体が、少し塩辛く、一枚食べてしまうと、喉が渇く。具が乗っていない、最外周の生地の部分を残している人も多く見かけた。これは、やはり塩辛いからなのかなと思ったりもした。

 イタリアで食べたのは全般的に塩辛いものが多かったような気がする。夜中に目が覚め、何度も水を飲んだ。イタリア人の血圧は、大丈夫だろうかと少し心配になった。
シーフードパスタ

以下とエビの唐揚げ

 高いお金を出せば、何処でもおいしい物は食べれる。しかしながら、そこそこの値段で食べられる物が、その国の食のレベルを表すものだと個人的に思っている。
そういう意味で、ナポリは食事NO1だ。

 レストランでは残念な事もあった。カプリ島でピザとスパゲティーを注文したが、注文していないサラダがやって来た。頼んでいないというと、そうかと言って、下げて行った。次に、スパゲティーと一緒にまた別のサラダを持って来た。これは何と聞くと、メニューを広げ、18ユーロもするサラダを指差した。頼んでいないというと、今度はそのオジさん、お前は頼んだ。と言う。頼んだ頼んでない喧嘩になり、他の客からも注目を浴びた。

 ウエイターは、自分が書いたメモを持って来て、ほらここに書いてあるというが、頼んでない物は頼んでいない。しばらくもめた後に、ウエイターは皿を下げて行った。本当に間違えたのか、高い料理を食べさせようとした確信犯なのかわからない。
カプリ島
別のレストランでは会計が22ユーロだったので30ユーロ渡したら、5ユーロ札と1ユーロ玉とあと小銭が少々。ちょっと足らなさそうだなと思い、数えていると、店員は、すかさず、ごめん間違ったといい、コインを私の手から奪い取り、別の店に両替えしに行き、正しいおつりを返してくれた。こいつは釣りをごまかそうとした確信犯だ。

 ウエイターの怪しさNO1だった。


 もう一つ美味しかったもの、名前なんていうのか忘れてしまったが、蛤みたいな形をした、お菓子。我々は蛤パイと呼んでいた。
ソレントで食べた蛤パイ。
これは、表面は細かいヒダヒダで覆われており、中にクリームが入っているお菓子。最初に食べたのはソレントという街。食べると、ヒダヒダ部分がパリパリといい音がして、中からたっぷりのクリームが現れる。このクリーム何で出来ているかわからないが、程よい甘さで、ほのかな塩気もあり、レモンの酸味とが3味一体となって、絶妙だった。

 ナポリの別の店で同じお菓子を買ってみた。この店は、妻が、ネットで、おすすめされていたお店まで、わざわざ行って買ってみたのだった。ここでは、出来立てホカホカのあったかい物をくれた。外側の皮はパリパリで最高だったが、いかんせんクリームが少なかったのが残念だった。この店のクリームにはオレンジピールがはいっており、中のクリームは各店で、工夫されているようだ。

ちなみに、ホテルの近くの店で、コーヒー味、レモン味のクリームのものに挑戦したが、これも美味かった。
 お菓子もNO1。(一応ベルギーの高いチョコは別格、フランスのお菓子は高すぎて食べていない。(T-T))

 ナポリの街を歩いていると、とにかく汚い。道端にはゴミが散乱しており、ゴミ収集用のゴミ箱はあるものの、その周りには回収されないゴミが積まれている。汚いとは噂には聞いていたが、その通りであった。
回収されないゴミ
夜、食事から帰ってくる途中、ゴミ箱が赤い炎に包まれ、燃えていた。自然と発火したのか、誰かがおもしろさ半分で、火をつけたのか、それともゴミを処分したくて、わざと燃やしたのかわからないが、道端にあるゴミ箱が燃えているのだから、異常である。
燃えるゴミ箱
街の汚さ、NO1である。

 ナポリからポンペイの遺跡を観に行く事にした。
 ポンペイは、ナポリから近郊列車で、30分のところにある。この列車に乗ろうと駅に行ったのだが、列車のホームがよくわからず、切符をどうやって買うかまたよくわからない。
 交通システムのわかりにくさNO1である。

 またこの列車落書きだらけでおそろしく汚い。落書きを消したような、努力のあとも伺えるが、おかげで、列車の塗装もぼろぼろである。
  列車の汚さもNO1だ

 ポンペイの遺跡につくと、広大な敷地にこれでもかというぐらいに、遺跡がある。
ポンペイは、今から2000年弱前に、発達していた古代都市で、近くの火山の爆発により、砂に埋まってしまった都市であるということは何となく知っていた。


ローマは一日にしてならずという言葉があるが、ポンペイは一日にして壊滅ということらしい。確かにいろんな物を作り上げるのは時間がかかるが、壊すのはあっという間だ。

 我々が住む日本の熊本には、阿蘇の火山がある。まだ活動中だ。また対岸には雲仙の普賢岳がある。十数年前の普賢岳の大噴火では、対岸の島原の街は火山灰で埋まってしまった。我が熊本の街でも火山灰が降り、洗濯物が干せない毎日が続いた。

 噴火が収まり、島原に行くと、埋まってしまった多くの家を見る事ができた。火山の恐ろしさは我々も体験しているのだ。

 被害に会った方々には申し訳ないが、数千年後、もしかしたら、島原は遺跡として発掘され伝説となっているかもしれないと思った。


 ポンペイには広大な敷地にものすごい数の住居跡や、劇場跡や、公衆浴場跡等、街が丸ごと埋まっているのだから何でもある。
壁画

ワイン屋さんだったとガイドの説明を盗み聞き

公衆浴場 テルマエロマエを思い出させる
特にすごいと思ったのは、劇場。楕円形の劇場で、ローマのコロッセオと同じような感じだ。ここでどんな催し物があったのだろうか?
奇麗に残っているので
新しい物か、噴火で埋まらなかった物かもしれない。
劇場の中央に立ち、「あー」と叫んでみた。ものすごく良く響く。
円形劇場 この中心で、愛を叫んでみるのもいいかも
手も叩いてみた。同様に良く響く。場所を少しづつずらしながら、同じように叫んだり手を叩いたりしてみると、だんだん、中央からはなれていくと響かなくなる。ここは真ん中が一番音響効果が良くなる様に設計されたのだろうか?今から2000年以上も前にそんなこと考えて作ったとしたらたいした物だ。

他人のふんどしで写真を撮ってみた。

自分のふんどしでも撮ってみた。

松の木が多かったのも印象的である。
このポンペイの遺跡のスケール、質ももNO1である。

 ナポリの街を歩いてみる。ケーブルカーに乗り、要塞の上に登ってナポリの景色を眺めてみた。港には、大きなクルーズ船が3隻泊まり、他にも大きなカーフェリーが泊まっている。

これだけ大きな船がいくつもつける岸壁をもつ港はそう多くはないだろう。
 港の大きさもNO1クラスである。

 ケーブルカーの名前はフニクラーレというらしい。妻はイタリアの歌「フニクラフニクラ」のフニクラじゃないかと言う。この歌はきっとケーブルカーに乗って出かけようという歌ではないかと言う。これはまだ調べていないから本当かどうかわからない。

 妻の感が鋭いかどうか、暇な時に調べてみたいと思う。

 ピザ屋さんでピザを食べていたら、フニクラフニクラが流れて来た。日本では「のパンツはいいパンツ〜♬」と言う歌詞だ。いったい誰が、この歌詞をつけたんだろう。イタリア人は日本ではこの歌が鬼のパンツの歌だと知っているのだろうか?。

ちなみにちょいと調べたら、この歌詞の作者は不明だそうだ。
http://www.worldfolksong.com/songbook/italy/funiculi-funicula.html

 ナポリの道を走る車の数自体はそう多くはないとは思うのであるが、横断歩道には信号器があることはあり一応守られているようだが、信号が正常に動いているか心配(両方青になっていないか等)で安心できない。交通量は多いのに信号がないところも多く、道を渡るのに緊張する。また道がぐちゃぐちゃで、渋滞も多い。
 交通の悪さもNO1である。

 ナポリに来てから、調子悪かった喉がさらに調子悪くなった。原因は空気のせいだと思う。車はそんなに多いとは思わないが、街全体が排気ガス臭い。なんだか東南アジアや南米にいるみたい。自分の経験では、排気ガスの臭さはフィリピンが1番だが、ヨーロッパではナポリがNO1だ。

 他にもNO1はある。

 英語の伝わらなさNO1。(宿でもなかなか伝わらない。ちなみにGoogleでイタリア語に翻訳したのを見せたが通じなかった)

 トイレの便座のない率NO1。(ホテルのトイレにはあるが、公衆トイレやレストランのトイレにはまずない。)

 トイレの鍵がない率NO1。(エアー便座で大きなバッグを抱えて大をする姿は絶対に人には見られたくないのだが、鍵がないのでドアを押さえなければならず、体勢がアクロバティクになる)

 トイレにビデが有る率NO1(安宿にもビデがある。この辺りにイタリア人のこだわりが感じられる。ちなみにウオッシュレットの代わりに使おうと挑戦したが、水が出る角度が悪く、お尻がびしょ濡れになった)
 
 お土産のオリジナル率NO1.(見た事ない物がたくさん売られていた。ジオラマのような人形はナポリで作っているのだろう。「No Cina」「中国製じゃない」と這ってあるところにナポリ人のプライドを感じるが、なぜ「Made in Napori」と書かないのかが謎である。
 



 とまあ強引なものもあるが、何でも一番だからと喜んではいけない。ネガティブな物の一番が多いからだ。でも、他で経験できないような様々ことがあり、ナポリという街はなかなか楽しかった。

 特に食事はおいしく、到着後にすり盗られた私のイタリア、ナポリに対する愛情を食事が、取り返してくれた。

 いろいろくだらない事を書いたが、ゴミの問題だけは改善してもらいたいものだ。ゴミを放置すると、なんだ捨てていいんだと思われ、みんな捨てる。ゴミがゴミを呼び、街は荒れて行く。また変な菌等も発生し、人々の健康も害する。
 財政難という話も聞くが、是非是非改善してもらいたい。そうしたら又、訪れてみたい。

 データ 宿泊日 10月1日〜4日
 宿       Bed & Breakfast Napoli Centrale ダブルルーム 44ユーロ/泊
        Hotel Garden Napoli ダブルルーム 45ユーロ/泊
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2013年10月16日水曜日

プリトビッツ湖群国立公園で癒される。


 バスでスプリトからプリトビッチェに向かう途中、財布の中身を抜き盗られてしまった事に気がついたが、もうどうしようもなかった。

 盗られたられた額は、日本円にして2〜3万くらい。いつもそんなには持っていないのだが、持っている時に限ってやられる。
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 プリトビッチェに着くまでの間、何故盗られたか、どうしたら盗られないかの再発防止策を考えた。会社で失敗したときは何故を5回繰り返せと言われた。これをナゼナゼと言う。このナゼナゼは、究極のいじめだ。これでおかしくなる人も多かったのではないかと思うがやってみた。

 ・何故盗まれたか → リュックをを背負っていて、ジッパーを開けられたのを気がつかなかった。
 ・何故ジッパーを開けられたか? → そこに財布を入れていて、犯人はそれを知っていたから。
 ・何故犯人は、そこに財布があると知っていたのか? → お金払う時財布をリュックから出したのを見ていたから。 
 ・何故お金を財布から出したのか? → 3KNと思っていたのが4KNで手元に準備がなかったから。
 ・何故、4KN準備していなかったのか? → 別のトイレが3KNでそのトイレの管理人がいなく、入れなかったので別のトイレに行ったから

 等と何故何故を書いてみると、結局原因は、別のトイレの管理人がいなかった事が原因となり悪いのは管理人で、トイレの管理人が現場を離れないようにすれば良い様に思えてくるが、誰が考えても、その答えは間違っている

 そもそも最初の何故の答えが変だ。またやり直してみるが、頭がこんがらがって来て。もうノイローゼになりそうだ。(笑)

 やり方が間違っているらしいがここには指導してくれる人はいない。(会社にも皆無だった)

 まあ原因は2つ。財布の在処を人に見せてしまった事。もう一つは、リュックに鍵かけていなかった事だ。30秒で答えが出た。(爆)

 実はジッパーに掛けた鍵なんかは、別に鍵を外さなくても、ジッパーを開けられ、中身を抜かれてしまうので、鍵はあまり効果はないと思っていたが、自分が背負っているときは、さすがに鍵かけたジッパーを開けられたら気がつくだろうから、スリ対策としては有効だ。

 リュックは背負わず、前がけにする方がいいが、さすがにトイレで手洗うときは前がけでは洗えないし、をするときも前掛けしていると、大事な所が見えないので狙いが定まらず、危険きわまりないので、やはりリュックは背負う事になる。

 それから、財布を人前で出さない事だが、これもなかなかそうは行かない。現金は小分けにして、お金使うときは、あらかじめ想定額を準備しておく事がよいが、予想を外した時困るので、すこし多めに準備しておく事かな?

とにかく、リュックのジッパーは必ず鍵をかける。リュックは前掛け(できるかぎり)現金は小分けする。事を柱とした対策を今後実行して行く事にした。

 というか、これ最初にやろうとして、面倒でやってなかったことじゃん。

 とにかく気をつけてまめにやって行くしかない。

 昼過ぎに、プリトビッチェに到着。歩いて、宿まで行く。バス停から約500m。周りには何もない一軒家だ。到着するとオーナーのオバさんが握手で出迎えてくれた。オバさんの名はイバンカマルコではなかった。

 宿の名前は「ルームズ・イバンカ」なんだおばちゃんの名前つけただけではないか。

 国立公園の中は明日観て廻る事にして公園の周りを観て廻った。公園の周りは何もなかった。ただ、ちいさなシクラメンがたくさん自生していた。

シクラメンって、だいたい寒い所が好きな植物だったと思う。日本の我が家では、冬に楽しませてくれた花だったと記憶している。この涼しいプリトビッチェの気候が会っているのだろうか? 薄紫色の小さなシクラメン。上から見るとプロペラみたいでかわいらしかった。
シクラメン
翌日、9時くらいに国立公園に入ったが、あいにくの天気で、湖の前は、がかかっていた。しかしながら、こんなどんより霧がかかった湖も神秘的で、謎の恐竜プリッシーなんかが出てきそうでわくわくする。


 前日は閑散とした所だなと思っていたが、意外と観光客が多く、大きな滝の前では中国人のパックツアー客が記念撮影なんかしていて、なかなか賑やかだ

自分たちは2カ所ある入り口のうち、エントランス1から入場した。ここが一番下流で、これから上流に向かって行く。この湖は複数の湖が段々畑状に配置されており、その階段状の段差部分が滝になっており、無数の滝がある。

行った事は無いが、中国の九塞溝もこんな感じなんだろうかなどと妻と話しながら進む。

 湖の水は澄んでおり、魚が岸の付近に、のんびり緊張感なく泳いでいる。なんでこんなに岸の近くに、魚がいるのかなと思っていたら、観光客が餌をやるのだ。魚も頭がいい。ひたすら餌が撒かれるのを待つ。

 魚にだって餌はやらない方がいいと自分は思っている。餌をもらおうと、岸に寄って来た魚は、や、にやられる可能性が高くなる。魚がかわいいなら餌はやらないほうがいい。

 湖では魚の写真を撮ってみた。自分のカメラには2種類の魚が映っていた。1つは、真っ黒くてかわいくない魚。名前はわからない。もう一種類はニジマス。これは奇麗な魚だ。食べても美味い。
黒くてかわいくない魚

 この湖には、ニジマスともう一種類の魚がいて、現在はニジマスが減り、もう一種類の魚が増殖しており、世界遺産なので、手を加える事が出来ずにいると何かに書いてあった。

 おそらく、この黒い魚が徐々にニジマスを追いやっているのだろう。しかし、遺産に登録されたから何も出来ないというのは本末転倒のような気がする。詳細はよくわからないので、ウダウダ言えないが、いつまでもニジマスが優雅に泳いでいたらいいなと思う。
ニジマス
午前中は、なんとか雨は落ちなかったが、午後は本格的な降りになった。

 天気がよければもっと奇麗だったんじゃないか等と、米国とモンサンミッシェルを一緒にまわった徳ちゃんの雨男が移ったかもしれないと恨めしくも思ったが、逆にピーカンだと、明るいと所と、暗いところのコントラストが付きすぎて写真撮ると全体が奇麗に写らない場合もある。こういう曇りの日の方がいいときもある。おそらく今日がその日だ。

バスを降りた時、肌寒く感じた。ここはもう初秋の感じ、一部の木々の葉が紅葉し、湖に映り奇麗だった。







湖畔を歩き、大小の滝や、滝壺をみて、入場券に含まれているボートに乗り、さらに上流まで歩く。ここも同じ様に滝と滝壺がある。落差は大きくないが、総延長はかなりの長さである。最後はエントランス2から1近くまでシャトルバスに乗って帰った。

7時間くらい湖の周りの散策路を歩いた。雨も降ったが、あまり疲れなかった。いつもは街中を歩くと、1時間位で頭が痛くなって早く帰りたくなるのだが、自然は、うるさくない。滝の音はするけど。。。

自然の中にいると、心が落ち着き、癒される。自然って本当に体にやさしいものだなと思った。


プリトビッチェの宿の周りには、食べるところなんか無かった。我々の宿のレストランだけだ。
ミックスグリル
少し高かったが、宿のレストランで、肉やソーセージ、ハンバーグ等のグリル、ニジマスのグリル等を頂いた。ニンニクが利いていて美味しかったが、朝からニンニクの匂いが残ってちとキツかった。でも美味しかったから許す。
ローストビーフのサラダ

ニジマスのソテー

 翌日スプリト行のバスでは隣で食べていた香港人と一緒になった。彼らは、別のホテルに泊まっていたが食べる所がないので、我々の宿のレストランまで20分歩いて来たらしい。

 彼らは、我々の宿は素敵だ。ナイスレストランがあるからと言っていた。

 プリトビッチェ湖群国立公園、それは、広大な段々畑状の滝が有る湖で、人に優しい素敵な湖だった。

 データ
宿泊日 2013年9月28日〜29日
宿泊場所 Rooms Ivanka
     ダブルルーム 32.5ユーロ/泊
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2013年10月15日火曜日

クロアチアの港町スプリトで金盗まれる。

 ドブロヴニクから、バスで、5時間くらいだったろうか?スプリトという港町に到着した。ドブロヴニクは、クロアチアの飛び地になっており、途中、隣の国に一旦入国してから、再度クロアチアに入国する事になる。
スプリト行のバス
バスの中に係員が乗り込んできて、一人一人パスポートのチェックをして行く。またクロアチアに入国するときも、同様だ。
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 港近くのバス停に停まり、バスを降りた。港にはたくさんの小型クルーズ船と1隻の大型クルーズ船が泊まり、奥には旧市街の古い塔が見え、なかなかいい絵になる街だ。
スプリトの港から
イタリア行のフェリー
イタリア行のフェリー
予約した宿に向かったが、看板もなく、住所だけ確認して、たどり着いたが普通の家。小さい紙に、電話しろと書いてある。電話なんか持っていない

 途中にネットカフェがあったので、そこからスカイプで電話できないかと思い、行ってみた。店のオヤジに、Wifi有るかと聞いたら、無いという。電話掛けたいんだけどどこか電話あるかと聞くと、俺が掛けてやるよと、携帯を取り出し、電話を掛けてくれた。OK、10分後に来るぞという。御礼を言い、サービスだと思ったが、お金は必要ないかと聞いてみると、何と200ユーロだという。私が笑っていると、来年で言いぞと言われた。オヤジと来年又来ると守れない約束をして店を後にした。

 何も説明しなくてもやってくれたからそういう人は多いのだろう。しかし、宿側は、付近の住民に迷惑かけていると思わないのだろうか?などと思いながら、待つが、なかなか来ない。

宿の前の道

 20分位して、ハアハアいいながら、青年がやって来た。文句言おうかと思ったが、ハアハアしてるので許してやった。自己紹介して握手。名前はマルコ。またマルコだ。

 マルコと言えば、母を訪ねて3千里の主人公はマルコだが、彼は、たしかイタリアのジェノバからブエノスアイレスに向かったのだと記憶している。クロアチアではなかったはずだ。

 ここも普通の1DKの部屋を貸してくれるアパートメントタイプの宿だ。小さいながらキッチン、洗濯機もついている。早速、洗濯

 全自動洗濯機だが、脱水がアマい。タオルを手でしぼったらまだじゃんじゃん絞れた。Σ(@ω@;)

 物干し場は部屋の窓から隣の家の壁にロープがかかっている。滑車が着いているので、一枚ロープに干して,洗濯バサミで止めたら、ロープを引くと、洗濯物が奥へ行き、順番に干しせるという憧れの物干ロープだ。

 干し終わり、下から,洗濯物を見上げてみると、風に洗濯物がひらひらと気持ちがいい。

洗濯なんかどうでもいい。観光だ

この街は、古代ローマの時代の宮殿の中に中世になって、庶民が暮らし始め、古代ローマの遺跡の上に中世の建物が建てられている街だそうだ。
城壁の中
そんな中途半端な知識だけで、街の中に入って行く。街のなかは建物と建物の間が狭く、迷路の様になっている。そんな通りを進んで行くと広場があった。広場の周りは、レストランが立ち並んでいる。なかなか奇麗なレストランだ、さらに奥に進むと、教会があり、この街のシンボルの塔がある。

 このあたりは、ローマ時代の遺跡が残っているようだ、7年前ローマで見たようなデザインの壊れかけた柱等が、みられる。
多分ローマ時代の名残
そこからトンネルのがあり、中に入ると、そこはローマ時代の宮殿の地下室で、今はお土産物屋さんが立ち並んでいる。さらに奥にいくと、地下室の展示場がある。お金を払い、地下の展示場を見学するが、宮殿を支えていた、柱が有るばかりで、地下の中は、何となく変な匂いがする。
真ん中からトンネルに入る
地下のお土産物屋さん
最初に見た部屋はには作業用のような機材や、照明器具等が置いてあり、写真を撮っていたら、体のデカい用心棒みたいな男性に、写真撮るなと怒られた。なかなか恐い

ドンドン奥に、進むと、匂いがさらにキツくなる。
一番奥にはトイレがあった。匂いの正体はトイレの芳香剤だった。
猫の足跡がコンクリにあった。
犯人はこいつか
帰りにさっき怒られた部屋の前を通ったらさっきとなにか様子が違う、覗いてみると、先ほど準備されていた照明器具が光り、部屋の中がのようになっている。映画か何か撮影をしていたのだった。さっき怒られた理由がわかった。
たぶん映画の撮影
映画の撮影にはもってこいの場所だ。

 翌日は、上半身半裸の男性がテルマエロマエの阿部寛が着てたようなローマ時代のような衣装を着てその辺りをウロウロしていたので、間違いなく映画かなにかの撮影だ。どの映画かわかったらぜひ見てみたい。

映画の撮影かな?
夕暮れ
夕方の街はオサレだ
夕食は久しぶりに自炊。美味しかった。自炊の飯が上手いのは自分で作ったので評価が甘くなる。
ペットボトルのビール。クロアチアは進んでいるぞ。
朝起きて、港の方を見ると、岸壁に大きなクルーズ船が1隻と、沖にさらに大きな船が停泊していた。沖の船は、我々がマイアミからバハマに行った時に使ったノルエージャンの船だ。ちょと懐かしくなったりもするが、我々が乗った船と全く違う船だ。
ノルエージャンのJADE号
近くにビーチがあると言うので、歩いてビーチに行ってみる。途中の道は岸壁になっていて、何処からやって来たのか、ヨットや、クルーザーなどプライベートな船がつながれている。お金持ちの人がおおいものだ。

 この岸壁の道路にはたくさんのプレートがはめ込まれている、これは、オリンピックでメダルを取った人達の記念のプレートだ。1964年の東京オリンピックのものもある。
俺が生まれた年の東京オリンピック銀メダルのプレート
ビーチは特に奇麗な砂浜があるわけではない。岩場に、金属製のはしごがつけてあり、そこから海に入る。底が白い砂でないので、よくわからないが水は、奇麗なようにみえる。
しかしながらもう10月に入ったので、水着姿の人達も少なく、少し寂しげな感じだった。

 夜は、お祭りがあるようで、街がにぎやかだった。メインの通りにはステージがあり、我々が偶然通りかかった時に、ライブ演奏が始まった。

 若いお姉さんが歌っていたが、当たり前だが、歌がうまいく迫力がある。曲は、レディーガガや、マドンナ、なんかスペイン語のような曲、そして、「君の瞳に恋している」だったかな?等々。何となく青春時代(森田公一とトップギャランではないぞ)を思い出す。

 途中で、ティナ・タナーと紹介されて出て来たオバさん。おそらく70近いと思うが、この人がまた、すごい。ミュージカル「マンマミーア」のオバさんトリオを思い出させるような、パフォーマンスだった。

 おそらく、クロアチアのティナ・タナーと紹介してくれたのだと思う。

 その後、キーボードの男性と、若い女性のボーカルで、世界中の名曲を披露してくれた。
韓国のカンナムスタイルでは、ものすごい盛り上がり。若い人もオジさんもオバさんもみんな踊っていた。
ライブ演奏
残念ながら日本の曲はなかった。世界中の人が知っている日本の曲って何かあるのだろうか?楽しかったが、そういう意味で、少し寂しくも感じた。

スプリト小さいながらもピリッとした見所もある素敵な街だったと思う。

 翌日、プリトビッツに行くため、バスに乗った。途中の休憩所で、ジュースを買おうと財布を出したら札束がすべて消えてなくなっていた。

 なにか手品かなと思った。バスのなかだろうか?よく思い出しみると、スプリトのバス停の公衆トイレだ。公衆トイレで用を済ませたあとに、手を洗っている時に、後ろに、トイレ番のおばちゃんが、立っていたのだ。間違いない。

 財布を出すのが嫌で、ポケットにトイレ代3KNを入れて行ったのだが、そのトイレだけ4KNだった。仕方なしにバッグから財布を取り出したのだ。その時おばちゃんの目が光ったのはしかと覚えている。

まあ、財布はここに有りますよと、教えて、手を洗っている時にほらどうぞと差し出したようなものだ。

このおばちゃんは、こうやっていつもやっているのだろうか?

しかし悔しい。本当に間抜け顏してたんだろうな。
スプリトの公衆トイレ。すりと思われるおばちゃんも写っている。
いろんな思いがこみ上げて来て、スプリトという街、クロアチアという国が嫌いになった。

 データ
宿泊日 2013年9月26日〜27日
宿泊場所 Spalato Centre Apartments
     ダブルルーム 35ユーロ/泊

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