旅の途中に出会った人々は皆ラオスが良かったというので、ラオスのルアンパパーンというところに行く事にした。
どういった所いいの?と聞くと、皆一様に人がいいという。みんな優しく、飯がうまいという。フランスの植民地だったので、パンがおいしい等と教えてくれた。
これからルアンパパーンに行くというと、彼らも行ったことがあるけど、静かでとてもいい街だ、歩きやすいしねとまたおすすめしてくれた。
ルアンパパーンの空港に着くと日本人女性が声を掛けて来てタクシーをシェアしないかという。我々はホテルを予約していないと言うと、その女性は今ハイシーズンだから空いてるかしら?等と不安な事をいうが、とりあえず、その女性が予約したホテルまで行き、そこから空いている宿をさがすことにした。
案の定、その女性が予約した宿は満室だった。少し焦り、隣の宿に聞いてみると、空いていてホッしたが、この宿ちょっと、Wifiが弱く、部屋が臭かったのでやめて、他に数件あたったてみたが、空きはあるものの思ったより高くなかなか宿は決まらなかった。
ようやく1軒良さそうなところを見つけ、チェックインした。値段もそこそこで、部屋は広くいい感じの部屋だった。
ルアンパパーンには仏教のお寺がたくさんあり、お坊さんが毎朝早くから、托鉢にまわる風景が有名であり、その様子をたくさんの観光客が見物する。我々も朝早起きして見に行った。ラオスといえどもこの時期、朝はとても寒く、ダウンを着込んで見に行った。
托鉢の坊さんが通ると思われる道の歩道の端には、食べ物を用意した人々が敷物を敷いて座って待っている。暫くすると少し明るくなりかけた道から静かに坊さんは現れた。オレンジの袈裟を来て、片側の方はむき出しで、裸足で、手に托鉢の品物を受け取る壷を持っている。大体1グループ10人〜20人くらいだろうか、一列に双び、うつむき加減で、受け取る時はゆっくりになるが立ち止まる事は無い。待っていた人達は、一人一人に準備してた食べ物を入れる。
観光客は、そんなお坊さん達を取り囲み、写真を撮る。もちろん自分も撮ったが、暗すぎるのとお坊さんは止まらないので、うまく撮るのはなかなか難しい。
托鉢を与える人の隣には、汚い格好の子供が数人座って、カゴを前に置いている。お坊さん達は、もらったばかりの、食べ物の一部をその子供達のカゴの中に投げ入れてその場を去って行った。
一見貧しい人々に、お坊さんが集めた食べ物を分け与えるという感じなのかと思ったのだが、それだったらお坊さんを経由せずに、直接渡せばいいような気もした。
部屋に帰ってから、ネットでちょっと調べていると、どうやら、この子供達はもらったカオニャオ(餅米のご飯)をある工場に売りに行き、その工場では、カオニャオを油で揚げておかきのようなものを作り観光客向けのお菓子として販売しているという事が書いてある記事を読んだ。
なんと托鉢の品物は、まわり回って観光客の口の中に入るということだ。そういえば、ルアンパパーンで食べたラオ風ウドンの要な物の中に、米をあげた物を入れてうまいうまいと食べていたのだが、これは托鉢のカオニャオが原料だったのかもしれない。なんだか複雑な気分になった。
お坊さんのグループはいくつかあるようで、そんな感じで、いくつかのグループの托鉢の風景を見学して部屋に戻った。この托鉢は、この地域が世界遺産にも登録されているということで、集客のためのショーのようなものになっている様な気がして、これまた複雑な気分になった。
朝早く起きたので、しばらく部屋で休憩をしていると、ガガガガッ〜と工事の音の様なものがする。どうやら、部屋の隣を工事しているようで、とてもゆっくり寝ていられない。また、近くから大音響で音楽が聞こえる。この音楽は何の騒ぎだと思い、音の方に行くと、道端にテーブルを出し、いい格好したたくさんの人がたくさんのごちそうを食べており、どうやら結婚式のようだった。音楽は夜まで鳴り響いていた。
とっても静かな所というわけではなかった。
我々は、宿で自転車を借りて、ルアンパパーンの街を探索する事にした。
最初にお寺を数件まわってみた。1軒目のお寺は、若干街の外れにあったが、お坊さんが話しかけて来た。お坊さんといってもまだ10台の若者だが、英語で、境内にある木を指差して、この木に成っている実を食べてみろという。食べてみると、それはナツメだった。
ナツメは、自分が以前に住んでいた家に植えてあり、よく食べていた。味は若干リンゴのようだが、あまり甘みはなく若干エグミがあり、そんなに美味しい物ではないが、懐かしく感じた。
次のお寺に行くと、またお坊さんがこんにちは、日本人ですかと話しかけて来た。思いがけず日本語で話しかけられビックリしていると、彼は日本語を勉強しているんで、日本人見ると話す様にしているんですという。お寺で日本語も勉強できるのかと聞くと、そうではなく、週に何度か習いに行っているという。
彼は19歳で1年くらいその寺にいるそうで、ここで修行して将来住職になるのかと聞いてみたが、彼はそこを出たら大学に行き勉強したいという。ここでは若い人達は一旦お寺で修行をしたあとに、自分の道を進むようだった。
自転車でメコン川にかかっている橋を渡り、がたがた道を進んで行くと、紙すき屋さんがあった。店の前で、実演をやっている。
日本で言えば和紙なんだろうが、ここではラオ紙とでもいうのだろうか、実は、自分の父方の祖父母は和紙の職人で家で紙すきをやっていたそうだ。
2人とも父が中学時代に亡くなっており、会ったことはもちろんなく、写真も1枚しか見た事がなかったのだが、おそらく祖父母もこんな感じで紙を作っていたのかもしれないと思った。そのお店で、お土産として、ラオ紙で作った写真のアルバムを買った。
この先には、シルクを織るお店もいくつかあり、中を覗いてみたが、若干高いので何も買わなかった。
一旦ルアンパパーンの街に戻りメコン川沿いを走ると、竹で作った吊り橋が見えて来た。もちろん徒歩でしか渡れないのと渡るのにお金が必要だったが、面白そうなので渡ってみた。歩くたびに揺れて、少し恐かったが無事対岸までたどり着いた。
階段を上り、通りまで出てみると、さっき自転車で通った所だった。階段を上がった所にはカフェがあったので、お茶をすることにしたが、そのカフェは、外からは竹でよく見えなかったが、中に入ると、周りを竹で囲まれ、竹の間から差し込む光と竹の緑がきいれいでほっとする空間だった。
ビールと、ジュースを飲んだが、隣の人は、ジンギスカンのような鉄板の外側にスープをいれた、焼き肉と鍋を合体した様な物を食べており、とてもオイシソウにみえた。
別の日にメコン川を船で上り、上流にあるお寺を見学するというツアーに参加した。宿までピックアップしてもらい、船着き場まで行くが、時間になっても受付も始まらない。ようやく予定時刻の30分遅れて、受付が始まり、順番を与えられる。そして、番号を呼ばれた者から船に乗り込む。
船はひょろ長い木造船で、なんだかサンマのような形をしているので、サンマ船と自分たちは呼んでいたのだが、長さはかなり長いが、巾が狭いので、お客は6人しか乗れない。
ちゃんと椅子があるので、乗っている分には楽だった。
同じ場所を出たツアーの船は10隻くらいはあっただろうか?我らの船頭はスピード狂らしく飛ばしまくり、5番目くらいに出たのだが、あっという間に前の船を抜去り、途中で、給油のためピットインしながらも、途中のお土産物の村に一番に到着した。
上陸すると、先ずは、そこで作っているというアルコールの試飲。マムシのようなものと一緒につけ込んだものもあるが、とりあえずプレーンなものを飲ませてもらった。少し甘く、少し変な味がした。1本200円くらいだから買っても良かったのだが、それより、船の上が寒いので、羽織る者が欲しかったので、スカーフの様な物を見てまわった。
たくさんのスカーフ屋があり、たくさんの品物が売っている。お店の人は、必死で売り込んでくる。子供を連れた店員は、子供のミルク代がいるからと泣き落とし作戦に出てくるのでちょっと辛くなる。
シルクと綿の混紡のスカーフが程よく厚く暖かそうだったのでそれを買い、船へと戻り、上着の下からスカーフを腹に巻いたらかなり暖かくなった。
目的地のお寺にも一番乗りをしたが、急な階段をハアハアいいながら上ると洞窟の中にたくさんの仏像がある。懐中電灯がないと全く中は見えないが懐中電灯で照らすとチョット恐かったりするが、観光客は多いが仏像は埃まみれであまり大事にされてなさそうな感じだった。
このツアーは、メコン川を船で上り下りするのがメインな感じのツアーだった。帰りの船は予定通りの時間にルアンパパーンまで帰って来た。どうやら、出発時間が遅くなるのも予定通りだったようだ。
昼食後は別のツアーで、滝を見に行った。車で1時間位だ。中に入ると、なんとそこには熊が飼育されており、数頭の熊を見物することができた。
奥に進むと、いよいよ滝が見えるが、滝は、階段状にたくさんの滝がある。滝壺は大きく、木が滝壺の上にせり出している所があり、ロープが張ってあり、ターザンのようにロープを使って水の中に飛び込むことが出来る。
白人の若い男女がキャーキャーいいながらそのターザンロープを楽しんでいた。
この時期昼間日が照っているとはいえ、ちょっと寒い。自分はとても挑戦する気にはならなかった。やっている人達は、白人ばかりでアジア系の人はいない。ヤッパリ白人は基本寒い所の人達で寒さに強いいんだろうと思った。
滝の下から徐々に上のほうにっていくと、最後に一番大きな滝が見えた。かなり落差のある大きな滝だ。近くによると水しぶきがすごい。早速写真を撮ったのだが、2枚撮った所でバッテリーがなくなってしまい。思い切り写真を撮れなかったのが残念だった。
バルセロナで買ったNIKONのD5200は、軽くて写りも良いのだが、軽さの代償でバッテリーが小さくなっていて、一日バッテリーが持たないのが問題だ。(その前に使っていたD90は一日でなくなる事はほぼなかった)
ルアンパパーンのメインストリートは、夜になるとナイトマーケットとなり、片側1車線の2車線道路は通路2本で両側にビッシリとお店が開かれる。売っている物は、Tシャツや、スカーフ、チョットした雑貨等のお土産物や、お茶やコーヒー等の嗜好品等いろんなものが売られている。毎日、昼間は普通の道が、夕方にはあっという間に露天商に切り替わってしまうので、ビックリしてしまう。今思えば、ここのお店が、値段もそこそこ安く、品物も豊富だったのでお土産物は、ここで買った方が良かったかななどとも思っている。
そんなこんなで5泊くらいはしたルアンパパーン。たまたま泊まった宿の隣が工事中で、人から聞いたようにとても静かな街ではなかったが、それでも、きれいで落ち着いた雰囲気で、建物の雰囲気は、どことなく日本の古い温泉街にちょっと東南アジアの香りを付け足した様な感じでいい感じではあった。食べ物はこれっと行った特別なものはなかったが、全体的に美味しい物が多くいい感じだった思う。
我々は、ルアンパパーンのから空路でランボジアのアンコールワットに近い街、シェリムアップに飛行機で向かった。
どういった所いいの?と聞くと、皆一様に人がいいという。みんな優しく、飯がうまいという。フランスの植民地だったので、パンがおいしい等と教えてくれた。
チェンマイの空港に向かう途中、ソンテウという乗り合いタクシーの中でアメリカ人老夫婦と一緒になった。リタイアして、チェンマイに住んでいるそうだ。アメリカ(何処の州だったか忘れた)よりずっとこっちのほうが気候がいいよなどと言っている。歩くのはチェンマイは歩道に段差があったりして歩きにくいけど、この街が気に入っているよ等と言っていた。
ルアンパパーンの空港に着くと日本人女性が声を掛けて来てタクシーをシェアしないかという。我々はホテルを予約していないと言うと、その女性は今ハイシーズンだから空いてるかしら?等と不安な事をいうが、とりあえず、その女性が予約したホテルまで行き、そこから空いている宿をさがすことにした。
案の定、その女性が予約した宿は満室だった。少し焦り、隣の宿に聞いてみると、空いていてホッしたが、この宿ちょっと、Wifiが弱く、部屋が臭かったのでやめて、他に数件あたったてみたが、空きはあるものの思ったより高くなかなか宿は決まらなかった。
ようやく1軒良さそうなところを見つけ、チェックインした。値段もそこそこで、部屋は広くいい感じの部屋だった。
ルアンパパーンには仏教のお寺がたくさんあり、お坊さんが毎朝早くから、托鉢にまわる風景が有名であり、その様子をたくさんの観光客が見物する。我々も朝早起きして見に行った。ラオスといえどもこの時期、朝はとても寒く、ダウンを着込んで見に行った。
托鉢の坊さんが通ると思われる道の歩道の端には、食べ物を用意した人々が敷物を敷いて座って待っている。暫くすると少し明るくなりかけた道から静かに坊さんは現れた。オレンジの袈裟を来て、片側の方はむき出しで、裸足で、手に托鉢の品物を受け取る壷を持っている。大体1グループ10人〜20人くらいだろうか、一列に双び、うつむき加減で、受け取る時はゆっくりになるが立ち止まる事は無い。待っていた人達は、一人一人に準備してた食べ物を入れる。
観光客は、そんなお坊さん達を取り囲み、写真を撮る。もちろん自分も撮ったが、暗すぎるのとお坊さんは止まらないので、うまく撮るのはなかなか難しい。
托鉢を与える人の隣には、汚い格好の子供が数人座って、カゴを前に置いている。お坊さん達は、もらったばかりの、食べ物の一部をその子供達のカゴの中に投げ入れてその場を去って行った。
もらったご飯を子供達に与えるお坊さん |
部屋に帰ってから、ネットでちょっと調べていると、どうやら、この子供達はもらったカオニャオ(餅米のご飯)をある工場に売りに行き、その工場では、カオニャオを油で揚げておかきのようなものを作り観光客向けのお菓子として販売しているという事が書いてある記事を読んだ。
なんと托鉢の品物は、まわり回って観光客の口の中に入るということだ。そういえば、ルアンパパーンで食べたラオ風ウドンの要な物の中に、米をあげた物を入れてうまいうまいと食べていたのだが、これは托鉢のカオニャオが原料だったのかもしれない。なんだか複雑な気分になった。
お坊さんのグループはいくつかあるようで、そんな感じで、いくつかのグループの托鉢の風景を見学して部屋に戻った。この托鉢は、この地域が世界遺産にも登録されているということで、集客のためのショーのようなものになっている様な気がして、これまた複雑な気分になった。
朝早く起きたので、しばらく部屋で休憩をしていると、ガガガガッ〜と工事の音の様なものがする。どうやら、部屋の隣を工事しているようで、とてもゆっくり寝ていられない。また、近くから大音響で音楽が聞こえる。この音楽は何の騒ぎだと思い、音の方に行くと、道端にテーブルを出し、いい格好したたくさんの人がたくさんのごちそうを食べており、どうやら結婚式のようだった。音楽は夜まで鳴り響いていた。
とっても静かな所というわけではなかった。
我々は、宿で自転車を借りて、ルアンパパーンの街を探索する事にした。
最初にお寺を数件まわってみた。1軒目のお寺は、若干街の外れにあったが、お坊さんが話しかけて来た。お坊さんといってもまだ10台の若者だが、英語で、境内にある木を指差して、この木に成っている実を食べてみろという。食べてみると、それはナツメだった。
ナツメは、自分が以前に住んでいた家に植えてあり、よく食べていた。味は若干リンゴのようだが、あまり甘みはなく若干エグミがあり、そんなに美味しい物ではないが、懐かしく感じた。
次のお寺に行くと、またお坊さんがこんにちは、日本人ですかと話しかけて来た。思いがけず日本語で話しかけられビックリしていると、彼は日本語を勉強しているんで、日本人見ると話す様にしているんですという。お寺で日本語も勉強できるのかと聞くと、そうではなく、週に何度か習いに行っているという。
彼は19歳で1年くらいその寺にいるそうで、ここで修行して将来住職になるのかと聞いてみたが、彼はそこを出たら大学に行き勉強したいという。ここでは若い人達は一旦お寺で修行をしたあとに、自分の道を進むようだった。
自転車でメコン川にかかっている橋を渡り、がたがた道を進んで行くと、紙すき屋さんがあった。店の前で、実演をやっている。
日本で言えば和紙なんだろうが、ここではラオ紙とでもいうのだろうか、実は、自分の父方の祖父母は和紙の職人で家で紙すきをやっていたそうだ。
2人とも父が中学時代に亡くなっており、会ったことはもちろんなく、写真も1枚しか見た事がなかったのだが、おそらく祖父母もこんな感じで紙を作っていたのかもしれないと思った。そのお店で、お土産として、ラオ紙で作った写真のアルバムを買った。
この先には、シルクを織るお店もいくつかあり、中を覗いてみたが、若干高いので何も買わなかった。
一旦ルアンパパーンの街に戻りメコン川沿いを走ると、竹で作った吊り橋が見えて来た。もちろん徒歩でしか渡れないのと渡るのにお金が必要だったが、面白そうなので渡ってみた。歩くたびに揺れて、少し恐かったが無事対岸までたどり着いた。
階段を上り、通りまで出てみると、さっき自転車で通った所だった。階段を上がった所にはカフェがあったので、お茶をすることにしたが、そのカフェは、外からは竹でよく見えなかったが、中に入ると、周りを竹で囲まれ、竹の間から差し込む光と竹の緑がきいれいでほっとする空間だった。
ビールと、ジュースを飲んだが、隣の人は、ジンギスカンのような鉄板の外側にスープをいれた、焼き肉と鍋を合体した様な物を食べており、とてもオイシソウにみえた。
別の日にメコン川を船で上り、上流にあるお寺を見学するというツアーに参加した。宿までピックアップしてもらい、船着き場まで行くが、時間になっても受付も始まらない。ようやく予定時刻の30分遅れて、受付が始まり、順番を与えられる。そして、番号を呼ばれた者から船に乗り込む。
船はひょろ長い木造船で、なんだかサンマのような形をしているので、サンマ船と自分たちは呼んでいたのだが、長さはかなり長いが、巾が狭いので、お客は6人しか乗れない。
ちゃんと椅子があるので、乗っている分には楽だった。
同じ場所を出たツアーの船は10隻くらいはあっただろうか?我らの船頭はスピード狂らしく飛ばしまくり、5番目くらいに出たのだが、あっという間に前の船を抜去り、途中で、給油のためピットインしながらも、途中のお土産物の村に一番に到着した。
上陸すると、先ずは、そこで作っているというアルコールの試飲。マムシのようなものと一緒につけ込んだものもあるが、とりあえずプレーンなものを飲ませてもらった。少し甘く、少し変な味がした。1本200円くらいだから買っても良かったのだが、それより、船の上が寒いので、羽織る者が欲しかったので、スカーフの様な物を見てまわった。
たくさんのスカーフ屋があり、たくさんの品物が売っている。お店の人は、必死で売り込んでくる。子供を連れた店員は、子供のミルク代がいるからと泣き落とし作戦に出てくるのでちょっと辛くなる。
シルクと綿の混紡のスカーフが程よく厚く暖かそうだったのでそれを買い、船へと戻り、上着の下からスカーフを腹に巻いたらかなり暖かくなった。
目的地のお寺にも一番乗りをしたが、急な階段をハアハアいいながら上ると洞窟の中にたくさんの仏像がある。懐中電灯がないと全く中は見えないが懐中電灯で照らすとチョット恐かったりするが、観光客は多いが仏像は埃まみれであまり大事にされてなさそうな感じだった。
このツアーは、メコン川を船で上り下りするのがメインな感じのツアーだった。帰りの船は予定通りの時間にルアンパパーンまで帰って来た。どうやら、出発時間が遅くなるのも予定通りだったようだ。
昼食後は別のツアーで、滝を見に行った。車で1時間位だ。中に入ると、なんとそこには熊が飼育されており、数頭の熊を見物することができた。
奥に進むと、いよいよ滝が見えるが、滝は、階段状にたくさんの滝がある。滝壺は大きく、木が滝壺の上にせり出している所があり、ロープが張ってあり、ターザンのようにロープを使って水の中に飛び込むことが出来る。
白人の若い男女がキャーキャーいいながらそのターザンロープを楽しんでいた。
この時期昼間日が照っているとはいえ、ちょっと寒い。自分はとても挑戦する気にはならなかった。やっている人達は、白人ばかりでアジア系の人はいない。ヤッパリ白人は基本寒い所の人達で寒さに強いいんだろうと思った。
滝の下から徐々に上のほうにっていくと、最後に一番大きな滝が見えた。かなり落差のある大きな滝だ。近くによると水しぶきがすごい。早速写真を撮ったのだが、2枚撮った所でバッテリーがなくなってしまい。思い切り写真を撮れなかったのが残念だった。
バルセロナで買ったNIKONのD5200は、軽くて写りも良いのだが、軽さの代償でバッテリーが小さくなっていて、一日バッテリーが持たないのが問題だ。(その前に使っていたD90は一日でなくなる事はほぼなかった)
ルアンパパーンのメインストリートは、夜になるとナイトマーケットとなり、片側1車線の2車線道路は通路2本で両側にビッシリとお店が開かれる。売っている物は、Tシャツや、スカーフ、チョットした雑貨等のお土産物や、お茶やコーヒー等の嗜好品等いろんなものが売られている。毎日、昼間は普通の道が、夕方にはあっという間に露天商に切り替わってしまうので、ビックリしてしまう。今思えば、ここのお店が、値段もそこそこ安く、品物も豊富だったのでお土産物は、ここで買った方が良かったかななどとも思っている。
ナイトマーケット |
スルメ屋さん。炭火で炙ってくれる。あたりはスルメの香りがする。 |
そんなこんなで5泊くらいはしたルアンパパーン。たまたま泊まった宿の隣が工事中で、人から聞いたようにとても静かな街ではなかったが、それでも、きれいで落ち着いた雰囲気で、建物の雰囲気は、どことなく日本の古い温泉街にちょっと東南アジアの香りを付け足した様な感じでいい感じではあった。食べ物はこれっと行った特別なものはなかったが、全体的に美味しい物が多くいい感じだった思う。
我々は、ルアンパパーンのから空路でランボジアのアンコールワットに近い街、シェリムアップに飛行機で向かった。