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2014年2月6日木曜日

ハンピ(インド)


ハンピ

 ハンピには、広い範囲内に遺跡が点在している。ハンピの中心部には大きな仏塔みたいなものがあるヴィルパークシャ寺院がある。
ヴィルパークシャ寺院

  とりあえず1日目は、この寺院の周りを歩いてみた。丘の上には大きな、石の建物があった。中に入ると、そこには大きな象の仏像ガネーシャが鎮座していた。ガネーシャは、象がお座りしている格好なんだろうか、愛嬌がある。石像だから象なんだろうか?


ガネーシャ

こんな巨岩がゴロゴロ

 ハンピの街にはサルがたくさんいるが、なんでサルの、石像は作らなかったのだろうかなどとくだらない事を考えながら見た。
住宅地にもサルがたくさん

 このヴィルパークシャ寺院の塔は仏像の彫刻ですべて覆われている。高さは、かなり高く、彫刻が段をなしている。全部で何段あるのだろうか?塔なので、上の方は細くなっている。

彫刻は一体一体少しづつ違っているように見える。望遠レンズで拡大して写真を撮ると、女性が3体描かれている。両側の女性は小さく、真ん中の女性は大きいので、両側の女性は真ん中の女性を世話しているような感じだ。真ん中の女性はなんと下半身が裸で大事なところがなかなかリアルな造りで、これ以上文章では説明できない。(笑)

 こんな彫刻が、堂々と、外側に向かって描かれている寺があるなんてなんてインドって奥深いのだろうか等と感心してみた。
この一段一段にちょっと怪しげな仏像が彫られている。
この寺の中に入るのには、確か2ルピーだったかな?お金が必要だ。
別に金払うのが惜しい訳ではなかったが、何故か入らなかった。

 入り口には、本物の象が立っており、お賽銭を差し出すと、起用に鼻でそれをつまみ上げ、それを、集金係のオジさんに渡すという芸当を行っている。やってみたい気持ちはあったが、チョット恐いのと、象の鼻水が手に付きそうだったので、挑戦しなかった。

お賽銭象
噂では、小銭は受け取らずある一定額以上でないと象は受け取ってくれないという事だったが、それを確認できなかったのが残念だ。

 この象は朝夕川に水浴びにやってくると聞いていたので朝川で待ち伏せをしてみたが、その日はやってこなかった。後で、別の人が撮った写真を見せてもらったが、川の中に寝そべり鼻で水を浴びている姿がとても可愛らしかったので、見る事が出来なくて残念であった。

 次の日は、リキシャを使って、ロータスマハルエレファントステーブルヴィッタラ寺院などの有料物件を観て廻った。

 リキシャマン達は、しきりに、これらの遺跡を観に行くことを勧めて来てリキシャをチャーターさせようとする。しかしながら、チャーターは高いし、歩くには若干遠い。レンタルチャリが一番よいと思うのだが、我々はチャータはせずに、一つ一つリキシャを乗り継ぐ事にした。

 まずロータスマハル。んー別に特に記憶に残っていない。次にエレファント・ステイブル。象の飼育小屋だったのではないかと予想された。飼育小屋にしては立派なのだが、ガネーシャのような石像になるくらいだから、象は昔から大切にされていたのではないかと思われる。その先にも点々と遺跡はいくらでもあるのだが、殆ど崩れていて、なんだか良く分からないので、引き返して来た。

 その辺にいたリキシャを捕まえて、ヴィッタラ寺院にむかったが、ドライバーはアリと言って、まだ20歳そこそこの可愛らしい青年だった。名前を言う時、自分で昆虫のアリだよというので、すぐに覚えた。

 途中、王女のプールがあるので、そこに寄ってくれるという。プールに到着し、リキシャを降りると、そこには、ホスペットから我々をハンピまで乗せて来たリキシャマンがいた。

 よっ!と挨拶して、通り過ぎたが、そのあと怒鳴り声がした。振り返ると、リキシャマンはアリに怒鳴っているようだった。おそらく彼は、アリに客を取られたと思ったんだろう。しかしながら、自分たちは、彼の専属客ではない。後で、ハンピの街の中で彼は私らに怒った顏して、なんで俺を使わないんだと言ってきたが、必要な時にいなかったからだよ。と言うとそうかと言ってどこかに消えて行った。なんだかこんなのがめんどくさい

 話はそれたが、ヴィッタラ寺院だ、リキシャを降りてから、寺院までは相当長い距離を歩かなければならなかった。もちろんタクシーみたいな物もあるのだが、別に料金がいるので、歩く事にした。

 ようやくたどり着くと、中は修学旅行かなんかの子供達で一杯だ。みんな私たちを見ると、写真を一緒に取りたがり握手を求めてくる。アイドルのような気分だ。
 そして、かならず日本のお金もってないかと聞かれる。持っていないので、無いというのだが、毎回なのでめんどくさい。外国のお金をコレクションするのがはやっているのかもしれない。

 さてこのヴィッタラ寺院は戦車のような石像もあり記念撮影スポットになっている。
ガイドブックによるとミトナ像という男女接合像があるということだったが、それは見つけきれなかった。おそらく子供達が来るので隠してあったのかもしれない。それからミュージックストーンという叩くと響く柱もあり、叩いてみたが確かに音はするが、なんとなく微妙であった。

 中に入ると真っ暗な建物があった。修学旅行の子供達と中で一緒になってしまい、子供達は恐がり、大騒ぎだ。自分は小さなLEDライトを持っていたので、それを、顏の下から当ててみたら、子供達がさらに怖がり、自分の周りから逃げ出してしまったのには笑ってしまった。

 このヴィッタラ寺院からリキシャの通れない川沿いの道を歩いて帰ると、意外と村までは近い。30分程で村に着いた。このくらいなら、わざわざリキシャを使う事もなかった。


 ハンピでどうしてもやらなければならないことがあった。それは洗濯だ。
アウランガーバードで部屋乾しして、納豆のような匂いになってしまったシャツと、バスのトイレ休憩時に踏んでしまった肥料のようなものを落とすために、サンダルを洗わなければならなかったが、宿には、きれいなバケツと屋上に物干し場があったので重宝した。

 もちろん、村には、洗濯サービスもあったが、近くの川では、村人が洗濯しており、川で洗濯されるのではないかという心配があり、サービスを使うのは躊躇してしまった。

洗濯にはちょっと汚いと思うのだが
河原に洗濯物が干してある。

 広々とした屋上で、洗濯物を乾し、匂いは取れてホッとした。

 宿の部屋はきれいでWifiもよかったが、夜10時過ぎると、地響きの様ないびきが聞こえてとてもうるさい。隣の部屋の人のいびきかと思ったが、音がデカすぎる。ドアをあけて廊下を見ると、宿のオヤジが廊下に布団敷いて寝ていた。

 夜の門番として、宿の人は、レセプションに寝ている所は安宿では多かったが、ここはレセプションがないので、廊下に寝ていたということだが、いびきはどうにかしてほしいものだ。

 部屋はきれいに見えたが、2日目ベッドに寝ていると、なんだかもそもそと痒い。3日目の朝には、手足が赤く腫れ上がっていた。ナンキンだ

 ベッドのシーツははぎ、ナンキン虫を探しまわるが、姿は見えない。しかしこの症状はナンキンで間違いがない。その日部屋を移る事にした。

 部屋探しは、難航した。部屋はたくさんあるのだが、気に入らない。ようやく、妥協して、部屋を決めたが、前の所に比べると、狭くて見た目はあまりきれいでなく、Wifiも弱かった。
屋上に洗濯物が干せるというのが決め手だった。
宿の入り口にはこんな魔除けが描かれている
川の対岸には、山の上にハヌマンテンプルというお寺があるそうで、景色がよいというので行ってみることにした。船外機付きのボートで巾30mくらいの川を渡る。そこからリキシャをチャーターして寺院まで行き、階段を登って上まで行く。リキシャは、我々が降りてくるまで待ってもらう。

ボートの料金所
渡し船
以前はこのざるのような船で渡っていたそうだ。今は観光用みたい。
オールを持っているのはリキシャマンのアリ


 階段の途中ではサルがたくさん。降りてくる人から、眼鏡をサルに取られない様に気をつけてね。と声をかけられる。まさかと思いながら、登って行く。20分くらいで頂上についた。そこには、掘建小屋のようなお寺っぽくないお寺があった。もちろん景色はよかった。

曲者のサル

一応お寺らしい

ハヌマンテンプルの頂上より
1人の白人の女性が騒いでいる。よく聞くとiPodをサルに盗られたらしい。女性はだれか助けてよ〜と泣き叫んでいるが、相手がサルではどうしようもない。かわいそうだが諦めるしか無い。

 頂上ではそんなにする事もなく、すぐに降りて来た。一応イヤホンしているサルがいないか探してみたが、見つからなかった。

 フェイスブックを見ていると、なんと、デリーで会った人が、ハンピに来ているというので、その人の宿に尋ねてみた。その宿は日本人の奥さんがいるカラヤンゲストハウス。
そう、我々が行った時にちょうどそこのお母さんが亡くなり、泊まれなかった宿だ。

 葬式が終わり、ようやく泊まれる様になったようだった。

 宿の入り口の周りは、地面の色が四角く黄色くなっている。地面に牛の糞を塗っているようだ。おそらく魔除けかなんかなんだろうが、ちょっと糞の上を歩くのは勇気がいるが、町中糞だらけなので、もうそんなことどうでもよくなって来てる。
牛の糞で玄関のまわりを塗る。
靴のそこに糞が付き、洩れなく家の中に糞が入り込むという仕組みになっている。
中に入り、デリーで出会ったヤスヨさんとお子さんのキューちゃんに再開。なんとここにはエローラで出会った平野君も泊まっていた。それともう1人の日本人女性と我々の6人で、マータンガ山という山に夕陽を観に行く事にした。

 マータンガ山は、ハンピのバザールから、10分程歩いた所にある岩山で、20分位で登るが、岩がむき出しになっており、サルがたくさん住んでいる。足場も悪い上にサルにも気をつけなければならない。

サルの岩山を登る
自分たちの前に登っていた男性はサルよけの棒を持っていた。自分たちも持ってくれば良かったとおもった。
サルもこの風景にうっとり
手すりの無い絶壁のような岩を登って行くのだが、5歳の子供もいて、ちょっとハラハラしたが、無事に登る事ができた。頂上には、お寺の建物があるが、ここには誰も住んでおらず、若干荒れている。このお寺の屋上に上り、夕陽を眺めた。

 観光地の夕陽ポイントというと、たくさんの観光客で溢れ帰っているが、ここには我々以外に2組しかおらず、ゆっくりと夕陽のショーを楽しむ事ができた。










 帰りも手すりのない岩山を降りなければならない。暗くなると危ないので、日が沈むと慌てて下山した。

 その日の夜は6人でにぎやかにディナーを楽しんだ。

 次の日、日本人宿の前にある食堂ではミルクを凍らせてシェークを作っているので冷たいシェークでも安心して飲めるよと教えてもらったので、ヤスヨさん親子とシェイクを飲みに行った。冷たいシェイクは美味しかった。が!! その日の夜に我々は、深夜バスでバンガロールというところまで移動の予定であったのだが、なんとお腹を壊してしまった。シェイクが原因でないとは思うのだが。。。
唐辛子の揚げ物みたいなもの。超辛い。唇が腫れた様な感じがした。
揚げ物の衣が厚いのはインドも日本も同じだ。
この日は夕方6時まで部屋を借りていた。お昼から部屋に籠もり、トイレとの往復だった。

 ハンピから、ホスペットに行くのに公共バスで行ったのだが、ハンピのバス停で待っている間もトイレに行きたくなった。トイレは何処?と待っていた母娘に聞くと、お母さんは英語がわからないようだったが、娘は自信満々の英語で、場所を教えてくれた。

 そういえばインドでは英語が殆ど通じた。英語の教育はどうなっているのかと、リキシャマンに尋ねた事があった。リキシャマンは、自分は学校に行っていないので、英語は、ツーリストから覚えたので、話はできるが、読み書きはできないと言った。でも今の子供達は、幼稚園から英語を習っていると言っていた。やっぱり教育の成果が出ているのだろうと思った。

 ホスペットからバンガロールまで約10時間。お腹は痛かったが、なぜか、大丈夫だろうという根拠の無い自信があった。寝台バスなので、足を伸ばして寝る事が出来て、なんとか大丈夫だった。バンガロールに到着後、すぐにトイレに駆け込んだ。

 バンガロールは特に泊まる事もなく、飛行機でデリーへと向かった。

2014年1月20日月曜日

奇跡が起こった。 ハンピへの移動

 いよいよハンピに向かう。アウランガーバードのバス停からプーネへはパブリックのちょっといい(といっても普通)のバスに乗り込み、5〜6時間位走っただろうか?

 プーネに着いたときはもう夕暮れだったが、プーネの街は大きなビルが建ち並び、おシャレな宝石屋さん等が車窓から見え、今まで見て来たインドのどの都市よりも都会に見えた。
インドにもこんな街が有ったんだというのが正直な感想だった。
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しかしながら、バスターミナルは相変わらず混沌としておりぐじゃぐじゃだ。バス停に着いてから、とりあえず夕飯を食べようとターミナル前のレストランへ行った。

 インドのレストランは、お水をステンレスの大きな水差しにいれておいてありコップも置いてあるので勝手に水を飲んでよい訳であるが、埃っぽい空気に外のテーブルに置いてある水はとても飲む気になれない。その時妻が「あっ」と叫んだ。通りを歩いていた浮浪者がレストランの水差しに直接口をつけて水を飲んで行ったのだ。やっぱり、レストランに置いてある水差しの水は飲んではいけないという事がわかった。

 このレストランでは何を食べたのか忘れたが、まずかったのだけは覚えている。だいたい都会になると飯がまずくなるような気がする。

 さて次のホスペット行きのバスは、このバス停とは別の場所であり、リキシャでべつのバス停まで行った。リキシャマンには、旅行会社の人に書いてもらった警察署の近くのバス停までお願いしたら、警察署に連れて行かれた。違うよ、バス停に行ってといいようやくパブリックのバス停に降ろしてもらった。

 バスターミナルは大きいので、ホスペット行きのバスが何処につくのか分からず係員に尋ねるが。その辺にくるとしか言わない。他の人にチケットを見せて聞くとこの旅行会社に電話した方がいいよなどというが、電話もっていない。

 ここで間違いないと思い、時間になったが、それらしきバスは来ない。インド人ではなさそうな白人系の男性が丁寧な英語で何か困っている事があったら助けになってやるよと言ってくれた。早速チケットをみせると、多分バス停はここでは無いと思うよという。

 もう一度、インフォメーションのオジさんにチケットを見せて聞くと、さっきはこの辺りと言ったくせに、この旅行会社に電話しろという。

 ここで初めて、バス停がここではないという事に気がついた。出発時刻まであと10分。ウロウロといろんなバスを物色していたら、先ほどの親切なオジさんが再登いいから私についておいで、なんとかなるからと言い、我々をバス停の外に連れ出し、通りを渡り、旅行会社並ぶ通りまで連れて行ってくれた。この時既に出発時刻2分後。バスはここにはいなかった。俺はもう諦めていた。

 オジさんは我々をリキシャに乗せ、次のバス停に向かうという。次のバス停といってもそんなに遠くはなかった。リキシャを降りたが、ここも違っていた。さらにリキシャに乗り、200m位先に止まっていたバスのところまで行くと、それが我々の乗るバスだった。この時、出発時刻20分後。奇跡が起こった。

 名前を確認して、YESと言われたときは歓声をあげ、オジさんとハイタッチをして喜んだ。丁寧に御礼をいい、オジさんの帰りのリキシャ代だけでもとお金を渡そうとしたが、受け取ってくれなかった。「君たちが喜んでくれたのならそれだけで十分だ。私もうれしい」と言い残して彼は去って行った。

 彼は現地の言葉がペラペラだったが、時折「メルシー」というフランス語のありがとうが聞こえてきたので、おそらくはフランス人ではないかと思う。本当に世の中には親切な人がいるもんだ、そして、ピンチの時に突然現れる。不思議だなと思った。


 今の日本で、困っている外国人に身銭を切ってまで道案内してくれる人がどんだけいるだろうか? 自分だったら、面倒なのでやらないだろうなと思った。でも今後そういった機会があったら、自分が出来る事はしっかりする事がいままで受けてきた親切に対しての恩返しだと思った。

 2020年東京オリンピックが開れる。見に来た外国人客が路頭に迷う事のない様にしてもらいたいと思った。


 インドの長距離バスはパブリックバスと、プライベートバスがあるらしいのだが、我々が乗ったのはプライベートバス。プライベートバスは,各旅行会社が運行しており、バス停は適当な路上とかになっているのだ。旅行会社の男性が言ったキーポイントの警察署の近というのが正確なバス停の場所だったのだが、我々はてっきりパブリックバスでパブリックバスステーションからバスは出ると思い込んでおり、パブリックバスステーションの場所が、警察署の近くだと思い込んでいたのが、間違った原因である。
 次にバスに乗るときはパブリックかプライベートかを確認しておく必要がある。



 バスはエアコンの寝台バス。寝台バスは車の進行方向に向かって2段の右にダブルベッド、左にシングルベッドを並べたような形になっている。我々は夫婦なので、ダブルベッドの下段を予約していた。

 長さは身長175cmの自分の足の先っぽが微妙に前のベッドとの壁ににあたるが、まあ狭くはない。

 見知らぬ男女がダブルベッドになってしまったらどうなるのだろう等といらぬ妄想を描きながら眠りについのだが、妄想しすぎて眠れなかった

 途中、トイレをしたくなりバスを止めてもらったのだが、そこは道端、老若男女とわず野ションである。トイレを済ませ、再びベッドに入るが、隣のオジさんがなんだか臭い。今度は臭くて眠れなかった

 気がつくとバスは少し長い時間止まっていた。「ちゃりんシャリン」とガラスのような音がする。なんだろうと見に行くと、なんと、バスのフロントガラス全損していた。どういういきさつで割れたのか知る由もないが、事故にならなくてよかった。バスは、そのまま走り出したが、フロントガラス全開なわけで、とても寒い。今度は寒くて眠れなかった

 ホスペットに到着してから気がついたのだが、トイレに行った時、どうやら自分は肥料のようのなものを踏んだらしくそれが靴とズボンにこびりつき、その匂いが臭かったということが判明した。臭いのは隣のオジさんではなくて自分だった。

 まあいろんな事があった寝台バスだったが、無事にホスペットに到着した。


 ホスペットでバスを降りると、リキシャマンが待ち構えており、すぐに捕まってしまった。料金交渉するも、事前情報のようになかなか負けてもらえず、そのうち他のリキシャがいなくなってしまい、交渉の余地がなくなりほぼ言い値でハンピまで行く事になってしまった。

 ハンピの宿は決めてなかったが、日本人の奥さんのいる宿に連れて行ってもらう事にした。まあ、こんなヘンピなところにも日本人が嫁に来ているというのには多少驚かされた。その女性はサキさんといい、小さなハンピの村では誰でも知っている存在だった。

 宿に到着すると、宿からは嗚咽が聞こえて来た。朝早いというのに宿の周りには大勢の人がいてすぐに普通ではない事が分かった。リキシャを降りて、宿に近づくと、近くの人が、今朝サキのハズバンドのマザーが息を引き取ったという。今日は泊まれないよとアドバイスをしてくれた。

 このハンピの村にはゲストハウスはいくらでもあった。リキシャマンが案内してくれて、少し村の入り口付近の500ルピーの一見きれいで、Wifiの電波が強かった部屋に決めた。
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