ペトラには朝6時半アンマン発のジェットバスで移動した。ジェットバスなんて大げさな名前だが普通のバスだ。チケットは予約が必要だったので、宿のオヤジが車で前日オフィスまで連れて行ってくれて購入した。アンマンの宿のオヤジはとても親切だった。
ペトラ遺跡の入り口 |
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タクシーの車窓からは、皮を剥いだ羊がぶら下がっていたり、牛の生首が飾られている肉屋などが見えたりして、ちょっと気持ち悪い。
ホテルはガイドブックに載っているペトラゲートホテルという宿にしたのだが、屋上からの眺めが良かった。
早速ペトラ観光へ出かける。ペトラ遺跡の入場料はべらぼうに高い。1日券50JD、2日券55JD、3日券60JD。1日券でなんと7000円!!!。少しなめている値段だ。外国人からがっぽりお金をふんだくってやろうという意図がはっきり伝わってくる。
ペトラ遺跡は広大だ。入場口から何もない広めの道を15分程歩くと、大きな岩の裂け目シークが見えてくる。
こんな馬車でも行ける |
シークの入り口には古代ローマの戦士の格好をした人が立っており、一緒に記念撮影が出来る。チップがいるだろうと思っていたが、必要ないというので、記念撮影をしておいた。
シークの入り口 |
シークの中で見つけた猫。くまモンをみせたらうれしそうな顏をした。 |
シークだモン |
暗いシークからみるエルハズネは最初は明るすぎてまぶしく良く分からないが、眼が慣れると巨大な神殿に圧倒される。この現れ方がとてもドラマチックだ。
シークの切れ目からエルハズネが見えてきた |
ここまでは、最低30分以上歩く事になる。
ロバは至る所に |
説明を追加 |
ラクダがスタンバイ |
宝物殿の前には、ラクダが座り、客待ちをしている。他にも馬車やロバも多数客待ちしており、馬糞、ロバ糞とラク糞の匂いが入り交じり、多分、当時の雰囲気を醸し出している。
お疲れモードのラクダさん |
宝物殿の中は,入る事が出来なかったので、先に進む。
この日は、サンセットポイントまで目指して行く事にした。
歩いているとロバに乗らないかとロバマンが声をかけてくる。ロバに乗ったことはないが、ロバに乗ると写真が撮れないから乗らない事にしているので、断る。
ロバのおしっこはアラビア文字だ |
今度はラクダマンがラクダに乗らないかと声をかけてくる。ラクダはラクダーと声をかけられるが、ラクダは楽じゃないということをモロッコで経験済みだ。
途中で寺院跡を見たりしながら、モナストリーを目指す。子供達が寄ってきて絵はがきをフリーだと言って手渡してくれたが、こいつらそのかわり何かくれといってうるさい。
キツい階段を上ると、そこには広場があった。振り返るとそこにはきれいな神殿モナストリーがあった。夕陽に染まりオレンジ色になっている。
さらにビューポイントに登る。ビューポイントにはベトウィンのオジさんが2人いた。
自分が登ると、オジさんはお茶はどうだ1杯1JDだと言った。いらないと答えて,写真を撮っているとようやく、妻とYさんが登って来た。
オジさんは、すぐにお茶を注ぎ、フリーだと言って2人に振る舞う。俺のときは1JDと言ったくせにと思っていたら俺にも無料で分けてくれたが、オジさん達女性はには甘い。お茶はショウガ茶のような味がしたが、ちょっと甘すぎた。
オジさんは若いYさんが気に入ったらしく隣に座らせ、ビワのような楽器をならし歌いはじめた。自分が作った曲で「タイトルは、ハッピーアイミスユーだ。」とオジさんは言った。
なんだそのタイトルは?と俺は吹き出してしまった。隣にいたフランス人のオジさんも苦笑していた。
日が沈むと暗い道を帰るのは危険だ。急いで歩いていたら、妻とYさんとの距離が離れてしまったので待っていると、「キャー」というYさんの叫び声。
戻ってみると、Yさんはロバに乗って降りて来た。ガイドブックによるとロバは結構高い。ところが、10分無料ということで、乗せてもらったという。さっきの叫び声はロバに乗った時の叫び声だった。
我々が先に歩くとロバは遅い。かなり距離が離れてしまった。暗い中でロバマンと二人はヤバいだろうと思い、早く来いと言うと、今度は早すぎて、我々が追いつかない。
早すぎると文句を言うと、「遅いと言ったり速いと言ったりどっちだ」とロバマンは怒りだす。
ロバマンはパイレーツオブカリビアンのジョニーデップ扮するジャックスパロー似だった。似ているからといって別にかっこいい訳ではない。怪しさ満点だ。
写真撮ると違う感じもするがジャックスパロー似 |
ジャックスパロー似は、Yさんと2人きりになり、口説きたいのが見え見えだった。結局、出口まで無料でロバに乗せて来てもらったが、次の日、デートしようとしきりに誘っている。12時に待っているから、来てくれといわれ、彼女は、返事をあいまいにしたまま帰って来た。
自分はオジさんだし、嫁も一緒だし、こんな感じで口説かれる事なんかないので、女子一人旅はなかなか大変である。
我々は、次の日は当然行かないだろうと思っていたら、悪いから行くといって、別行動する事になった。
我らが11時に入り口に入ると、彼は、10時からそこで待っていた。(爆)
結局2時間も彼は待っていたようだ。
自分たちはペトラのエルハズネの先から左に登り、犠牲祭壇や、ライオンのモニュメント等を見学して帰って来た。
犠牲祭壇ではくまモンが生け贄に。。 |
ライオンのモニュメントらしいがよくわからなかった |
夕方そろそろ帰ろうかと思っていたら、Yさんとジャックスパロー似に遭った。
夕方、彼の知り合いのベトウィンの洞窟の家でご飯を食べてそこに泊まらないかと誘われていて、行きたいと彼女は言う。
泊まるのは危ないからやめたほうがいいぞと言ってみたが、行きたそうなので、とりあえず我々も一緒に夜ご飯を食べて、一緒に帰る事にした。
先ずはベトウィンタウンの家に行きそこで、フランス人女性2人と合流。ジャックスパロー似の弟夫妻(奥さんはベルギー人)とおそらく彼のオジさんの合計8人で、車で、ダートを走り、ケーブハウスに到着。家の周りは何もないところで、自力で帰るのは不可能な場所だった。
ベトウィン達は早速料理に取りかかり1時間くらいで出来上がった。食事は白いご飯にトマトや茄子やジャガイモやミンチ肉等を一緒にいれて似て、香辛料を加えたカレーのようなものだった。
とても美味しかった。特にご飯が、若干違う物の、日本の白飯を思い出させてくれた。
ベトウィンの家は、電気も水道もなく、おそらくトイレもなかった。外は寒いが、薪のストーブがあり、それとガスのコンロで調理をしており家の中は暖かかった。
食事も済み、帰ろうとしたがYさんは、ここに泊まると言い出した。しかしながら、ロバマンはYさんの横から片時も離れず、じっと見つめている。これはヤバいなあと思ったが、別に、自分たちにどうこう言う権限もないし、フランス人女性2人も一緒なので、問題ないだろうと思い、自分たちだけ、宿に帰った。
翌日は8時に宿まで送ってくることが約束だった。また、次の日はワディーアラバという砂漠に連れて行ってもらい、キャンプをする約束をして、デポジットとして、60JD払っていたので、そのピックアップを10時にお願いしておいた。
次の日、8時になっても10時になっても帰ってこない。宿のオジさんに、昨夜ベトウィンの家に泊まって帰ってこないというと、オジさんは顏をしかめ、自分たちはベトウィンは信用していない。観光客との間でよく問題を起こすんだという。
どうやらアラブ人とベトウィン人は超仲が悪いらしい。
宿のオジさんは、彼らの目的はSEXだけだと言い切る。
まあ、その辺りは別に保護者じゃないので、どうでも良いが、フランス人女性が先に帰ってしまっていたらと思うと何か事件にでもなっていなければと心配した。
結局、10時半過ぎに無事帰って来たが、遅れた理由は彼らが朝起きれなかったからだそうだ。8時に戻すという約束を守らなかったのと、ワディーアラバは調べた所たいした事なさそうだったので、その日のワディーアラバでのキャンプはキャンセルした。
前日、彼女は、ジャックスパロー似にお昼に彼の家に行こうと誘われ、断ったらしいのだが、前日のロバ代のことをぐちょぐちょ言われたので、彼にいくらか払っており、結局我々は、キャンセル料も含めて彼らにかなりの額を払った事になり、かなり高くついた。
我々はモロッコでタンネリのガイドに「モロッコに無料は無い」と言われた言葉を思い出した。ペトラにも無料は無かった。(オジさんのお茶が無料だったけど)
なんだか、悪い後味を残して我々はペトラを去り、ワディーラムという砂漠を目指した。
夕方、彼の知り合いのベトウィンの洞窟の家でご飯を食べてそこに泊まらないかと誘われていて、行きたいと彼女は言う。
泊まるのは危ないからやめたほうがいいぞと言ってみたが、行きたそうなので、とりあえず我々も一緒に夜ご飯を食べて、一緒に帰る事にした。
先ずはベトウィンタウンの家に行きそこで、フランス人女性2人と合流。ジャックスパロー似の弟夫妻(奥さんはベルギー人)とおそらく彼のオジさんの合計8人で、車で、ダートを走り、ケーブハウスに到着。家の周りは何もないところで、自力で帰るのは不可能な場所だった。
この車でベトウィンのケーブハウスへ |
ケーブハウス |
ベトウィン達は早速料理に取りかかり1時間くらいで出来上がった。食事は白いご飯にトマトや茄子やジャガイモやミンチ肉等を一緒にいれて似て、香辛料を加えたカレーのようなものだった。
とても美味しかった。特にご飯が、若干違う物の、日本の白飯を思い出させてくれた。
ベトウィンライス |
くまモンも仲間に入れてもらった |
ベトウィンの家は、電気も水道もなく、おそらくトイレもなかった。外は寒いが、薪のストーブがあり、それとガスのコンロで調理をしており家の中は暖かかった。
食事も済み、帰ろうとしたがYさんは、ここに泊まると言い出した。しかしながら、ロバマンはYさんの横から片時も離れず、じっと見つめている。これはヤバいなあと思ったが、別に、自分たちにどうこう言う権限もないし、フランス人女性2人も一緒なので、問題ないだろうと思い、自分たちだけ、宿に帰った。
翌日は8時に宿まで送ってくることが約束だった。また、次の日はワディーアラバという砂漠に連れて行ってもらい、キャンプをする約束をして、デポジットとして、60JD払っていたので、そのピックアップを10時にお願いしておいた。
次の日、8時になっても10時になっても帰ってこない。宿のオジさんに、昨夜ベトウィンの家に泊まって帰ってこないというと、オジさんは顏をしかめ、自分たちはベトウィンは信用していない。観光客との間でよく問題を起こすんだという。
どうやらアラブ人とベトウィン人は超仲が悪いらしい。
宿のオジさんは、彼らの目的はSEXだけだと言い切る。
まあ、その辺りは別に保護者じゃないので、どうでも良いが、フランス人女性が先に帰ってしまっていたらと思うと何か事件にでもなっていなければと心配した。
結局、10時半過ぎに無事帰って来たが、遅れた理由は彼らが朝起きれなかったからだそうだ。8時に戻すという約束を守らなかったのと、ワディーアラバは調べた所たいした事なさそうだったので、その日のワディーアラバでのキャンプはキャンセルした。
前日、彼女は、ジャックスパロー似にお昼に彼の家に行こうと誘われ、断ったらしいのだが、前日のロバ代のことをぐちょぐちょ言われたので、彼にいくらか払っており、結局我々は、キャンセル料も含めて彼らにかなりの額を払った事になり、かなり高くついた。
我々はモロッコでタンネリのガイドに「モロッコに無料は無い」と言われた言葉を思い出した。ペトラにも無料は無かった。(オジさんのお茶が無料だったけど)
なんだか、悪い後味を残して我々はペトラを去り、ワディーラムという砂漠を目指した。
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