モロッコへのルートは、グラナダからバスでアルヘシラスへ行き、アルヘシラスでタリファからのフェリーのチケットを買うと、タリファ出発1時間前に、無料バスがあるので、そのバスでタリファからフェリーに乗り、モロッコのタンジェの旧港から入国することを考えていた。
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グラナダからバスがアルヘシラスのバス停に到着し港まで行くのに、タクシーを使った。事前に、Googleマップでバス停から港までの距離を調べていたら、かなり遠い事がわかっていたからだ。しかしながら、タクシーに乗るとあっという間に到着したが、一方通行のため、一緒のバスに乗っていた歩いてやって来た人に負けてしまった。しかも、ターミナル使用料を5ユーロ取られ、8ユーロ近くかかってしまった。
Googleマップにだまされてしまった。(´;ω;`)
一緒にタクシーに乗った、ユーさんに申し訳なかった。
タリファからのチケットを買おうと思ったが、アルヘシラスからの物しか売っておらず、一番速い便のチケットを買った。
ここでチケットを買うという情報は間違いだったのか?。おまけに無料バスもわからなかった。
フェリーの出発時刻まで時間がないので早く行けと言われ、2階の保安検査を通ろうとしたが係員が誰もいない。とりあえず素通り。いいのかこれで??
その後出国審査を受け(これはちゃんと係員がいた)船に乗ろうとしたが、まだ船の乗船が開始されておらず、しばらく待ちようやく乗船開始。ぎりぎりで切符を買ったはずの自分たちは一番の乗船となった。Σ(@ω@;)
船は大きな船だったが、乗客は少なく40から50人くらいに感じた?これでもとがとれるのだろうか?
いよいよモロッコに向けて出航 |
船内で入国カードを記入し、入国審査を受ける。これがまた、長い。30分くらいは待ったような気がする。結局船は定刻を大きく遅れて出航した。
船内では、昨日買って来たパンを食べ、デッキで外を眺めながら過ごしたが、昨日から喉が痛く、風邪をひいたようで鼻水が止まらない。両方の鼻から鼻水が足れ11の字になるイレブンノーズだ。
妻とユーさんは、船首にいたが、寒いので自分は船尾でひなたぼっこをしていた。
オーストラリア人の男性が何処から来たのと話しかけて来た。japanと答えると、君の英語は素晴らしい、日本人の英語はブーだかならと言われた。(o⌒∇⌒o)。フィリピンでの学校の成果が出たと喜びたかったが、Japan一言だけでそういわれても、うれしくはない。(^∇^;)
英国領ジブラルタル島 |
コンテナを満載し倒れそうな貨物船 |
きっとWELCOMEという意味だと思う。アラビヤ文字が見えてきた。 |
船で一緒になった学生も新生銀行しかもっておらず、とりあえずユーロを両替えしていた。
タンジェの街でバスを降りると近くにバスターミナルがあった。今日は、ここから3時間程のシャウエンという街まで行こうと思っていたが、CTMという国営バスのシャウエン行きのバスは終わっており、民営バスに乗ることになった。
民営バスは満席で、よく切符が買えたなあと感心してしまったが、このバス、エアコンがなく、泊まっているときは蒸し風呂のようだった。しかしながら、一旦走り出すと天井が少し開いており、そこから冷たい風が吹き込み快適であった。
シャウエンに到着したのは夕暮れ時、日本人5人で宿探しにむかった。ガイドブックに載っていた宿に聞いてみると4つしかベッドはないという。その隣は、5人一部屋でよかったら、一人70DHだという。ドミトリーは4つしか開いていない。ダブルの部屋は一部屋200DHと240DHが空いているので、男性3人は60DHのドミトリーへ。我々は隣の宿へいこうとしたが既に埋まっていたので、ダブルの部屋にした。200DHの部屋は窓がないので、ベッドバグが恐い我々は風通しのいい240DHの部屋にしてしまった。ドミトリーの倍の値段だ。Σ(@ω@;)
屋上のベッドは45DHだったかな?大勢の人が泊まっていたが、夜雨が降り、朝疲れきった表情のお客さんを見た。 |
ようやく部屋が決まり、みんなで晩ご飯を食べに行く。しかし、程よいレストランがみつからず、サンドイッチ屋さんで10DHのサンドイッチを買い込み、公園で座って食べる。
夕食のサンドイッチ |
宿に帰る途中、ヨーグルトをジョッキで飲んでいる人達を発見。我らも挑戦。私は、妻とシェアして飲んだが、これだけでお腹一杯になる。ヨーグルトジョッキ一杯飲んだら、次の日のお通じは心配ないだろう。
ジョッキでヨーグルト |
夜になってもイレブンノーズは止まらない。翌朝はもっと酷い状態になっており、その日は自分は一日休養をとることにして、寝て過ごした。
妻に次のフェズ行きの切符を買いに行ってもらったが、翌日の切符がとれず、明後日のバスとなったが、体調が悪いので、自分に取っては好都合だった。
夜は、日本人5人でご飯を食べに行った。宿から少し上ったところに何件かのレストランがあり、そこで食事をした。みんな同じような店で、客引きがみんな同じような事を言い客を引いている。何の情報もない我々は、レストランの決め手がない。
そんななか、一人の客引きが、うちが一番美味しい。別に客はいくらでもいるから、別にこなくてもいいんだぞ。と強気に言ったらしい。それを聞いた、グラナダから一緒だったユーさんが、その言葉を気に入ってしまい、彼を信じてここにしようといい、レストランが決まった。
食べたのは、野菜のタジンと、モロカンスープ、ミントティー。タジンは野菜のうまみが十分に出ており、ジャガイモはポクポクで美味しかった。
モロカンスープ |
この客引きの名前は、ハッサンという名前で、みんながハッサンの店と呼んだ。
次の日は同じ店はいやなので、隣の店に行ったが、あるメニューは殆ど同じ。タジンとクスクス。同じようなメニューを頼んだが、ここのは味が薄く、野菜のうまみも全然出てなく、まずかった。
似たようなメニューでもお店でかなり違う事がわかり、まずいのは嫌なので、次回から、ハッサンの店に通う事になってしまった。
最後の日も、夕食はハッサンの店。ハッサンはいつも、青いTシャツを着ていたのだが、今日はオレンジのTシャツを着ている。でもなんとなく、いつものハッサンより、顏がふっくらしているような気がしてたら、奥から青いTシャツのハッサンが出て来た。
ハッサンとオレンジTシャツは双子の兄弟だった。
ハッサンと言う名前は、モロッコではとてもメジャーらしい。どこに行ってもハッサンという名前を耳にする。この後フェズ、メクネスへと行ったのだが、メクネスの宿のWIFIのパスワードはHOTEL8383で、パスワードまで、ハッサンハッサンだと喜んでしまった。でもよく考えたらハッサンハッサンと読むのは日本語だった。(=^▽^=)
シャウエンの街はブルーの街だ。メディナと呼ばれる旧市街は、壁で囲まれており、メディナの中の壁はすべてと言っていい程水色に塗られており、街自体がメルヘンチックだ。ただ、どうも手の届くところだけ塗ったという感じで、2m以上のところはあまり塗られていない。そこにきれいな境目があるわけではなく適当なのが、何故か、ほっとする。
青い街中にいよいよ出発 |
青い |
ボットするオジさん |
土産物売り |
石鹸屋さん |
お土産物屋さん |
家内製手工業の織物屋さん |
青い粉 |
ハマムもあったが入らずじまい |
オサレな鞄屋さん |
最後の日の夕方、展望台があるので、そこまで歩いて行き、夕陽を眺めに行ったのだが、この日はあいにくの曇りでいい夕陽を拝む事ができなかった。
夕陽は不発 |
しかしながらシャウエンの街は小さいので、1日有れば観て廻れると思う。
シャウエンは、壁がブルーのとてもメルヘンチックな街だった。モロッコは誰が言い出したのかわからないが、3大うざい国らしいが、シャウエンの人はそんなにうざくなく、のんびりした街だった。
それにしても猫が多い。猫をみかけるたびに写真を撮った。とくにモロッコの猫だからと変わった事はないが、折角なので、アップしておく。
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