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2014年1月13日月曜日

リシケシでヨガ


 リシケシはニューデリーから列車で4時間のハリドワールという街まで行きそこからローカルバスで約1時間でリシケシ駅へと到着する。その後リキシャを使い、ラクシュマンジュラまで行く。
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 列車はCCクラスがお得ですよと、宿で会った人に聞いていただが、A1という1等車のしか切符が取れなかった。1等なのでさぞかし豪華であろうと期待して乗車。座席はリクライニングシート1ℓの水が1人1本配られる。コーヒーか紅茶が配らた。
CAのおじさん

先ずはお茶から
そのあと、食事。ヤッパリカレーだった。それから、何故かコーンフレークと牛乳デザート、最後にコーヒーか紅茶だったと思う。新聞が配られたが、読めない(^∇^;)ハハ…。

豪華?食事


何故かコーンフレーク
とまあなかなか豪華な内容ではあった。さすが、A1だと軽く唸っておいた。

 CCクラスに乗った人に聞いてみたが、コーンフレークがないくらいであとは変わらないようだった。(|||_ _)ノ

  確かCCクラスが550ルピーで、A1クラスが1000ルピーくらいだったので、まあコーンフレークが450ルピーとなる。高価なコーンフレークだ。もっと味を噛み締めて食べるべきだったと反省する。

 ハリドワールに到着後、蠅のように寄ってくるリキシャマンを払いのけ、バス停に向かう。

 ここも、デリーに負けず劣らず交通がめちゃくちゃだ。

 バス停で、リシケシ行きを探すが、バスは動いたまま客を乗せるので、荷物を持った我々は乗るのが難しい。ようやくバスを止めてもらいバスに乗り込んだ。
バスの車内。汚いが普通
途中の景色はホコリだらけ、道路の脇には、クワズイモのような大きな葉っぱの植物や、その他南国チックな植物が生い茂りっているのだが、車が巻き上げるホコリをかぶり葉っぱは、灰色だ。

 光合成ができるのか心配になるが、植物は生い茂っており、植物もインド人と同様たくましく生きている。


 1時間位ガンジス川に沿って登って行くと、リシケシである。
 リシケシからリキシャでラクシュマンジュラと言う所まで行く。

 リキシャは1人10ルピーで乗れると聞いていたが、10どころか2人で100という。
高いと行って値切るが、60までしか値切れなかった。荷物を持っているとその分まで取られるれるようだった。

 日本人の奥さんがいるという宿に行ってみたが、あいにく一杯。レセプションの前が食堂になっており、ご飯を食べている人をみたら、デリーに着いた日に夕食を食べたレストランで一緒になった人だった。実はこの人達は前日の夜にもレストランで会っており、さらに翌日ヨガ道場でも会ったのだった。
 おそらくは、自分たちが言った所がすべて、ガイドブックに載っている所だからかななんて思った。

 結局、部屋はデリーの宿で教えてもらったガンゴドリという宿に行ってみることにした。狭い吊り橋を渡りガンジス川の反対側に行き、でこぼこ道の牛糞を華麗なステップでよけながらようやく宿を見つけた。
牛糞

 この宿は、きれいだった。3階の部屋に案内されたが、とても清潔でベランダが付いておりネットもばっちし。そしてお値段は1泊250ルピー。 なんと500円しない。おまけに、ここの奥さんがインド美人。

 ベランダにでてみると、隣の隣の部屋の人がベランダでタバコを吸っている。なんと日本人。鹿児島から来たそうだ。

  さっそく、ヨガ道場に行ってみる。ここには本格的にヨガの修行をするアシュラムと言う施設もあり、施設に寝泊まりしながら食事から修行をするものもあるそうだが、我々はそんなに長期滞在するわけではないので、ドロップインできるVINI道場というところに行ってみた。

この寺院の下がヨガ道場

 ここは1回のレッスンが200ルピーだった。なぜか日本人女性が対応してくれた。
先生はインド人の男性の先生だが、髭ぼうぼうだけど、まだ若いので仙人ポクはなかった。レッスンは先生が前でお手本を示し、それをまねる様な感じでやる。レッスンは基本英語で行われる。

先生が個人的に直してくる場合があるが、このときは何故か日本語。

 レッスンは、最初に簡単なポーズを少しやって、あとは太陽礼拝のポーズだったけな?これを徹底的にやらされた。これは日本で習ったときも徹底的にやらされたポーズで、いくつかのポーズの複合技であり、かなりキツい。汗が出てくる。


 やっていると腸も動くのだろうかオナラがしたくなってきた。
日本で習ったときは先生はオナラとゲップは我慢せずに出しましょうといい自らブッブッ出しまくっていたが、さすがにこの空間では出来ず、我慢するのが辛い。┓( ̄∇ ̄;)┏

 そのあとは、頭で逆立ち等の少し難しいポーズを一つちょっとやってみて、最後休憩30分、この休憩中に、手や頭をマッサージしてくれる。

 しかし、この休憩が辛い。なぜかというと、下がコンクリなので、寒いのだ。一応毛布を掛けてくれるが、床から深々と冷える。インドといえどもリシケシは北部にあり、寒い。折角暖まったからだが、休憩で深々と冷えてしまい、体調を妻も自分も崩してしまった。

 健康になるはずだったのだが。。。

 ヨガが終わり、帰り際に先生が談笑ししていたのだが、なんと先生は日本語ペラペラ、普通に話せる。なんでそんなにペラペラですかと聞くと、昔日本のホンダで働いていたそうで、先生がいうには昔は敬語とかの使い分けも完璧だったけど、最近は適当になったと笑っていたが、完璧だった。


 このラクシュマンジュラの街はガンジス川を挟んで2つに別れている感じである。聖なる川ガンジス川はこの辺りはとてもきれいである。水の色はブルーで、ヒマラヤから流れてくる水は冷たい。おそらくこの辺りでは、死体を流したりはしないと思う。ラフティングが盛んで、次から次にゴムボートが流れてくる。

ラフティング


あっ 転覆した。
川原は、きれいな砂で、歩いていて気持ちよくつい裸足になりたくなるが、ここにも野牛がいるので、うんちが落ちているので、気をつける必要がある。
川原では牛も散歩

野良牛だらけ


 昔、ビートルズがヨガの修行に来たというアシュラムがあるというので同じホテルの向いの部屋泊まっている日本人の女性と一緒に行ってみた。場所はその辺の人に聞けば教えてくれる。川沿いを長い事歩き、少し左に曲がったところにそれはあった。
ビートルズが来たというアシュラムの前で

 今は閉鎖去れているが、金を払えば中に入れるという話を聞いていたが、中に警備のオジさんがいて、中には入れないぞと言われた。
恐いおじさんが出て来た
しぶとく写真を撮っていると、オジさんは出て来て、写真撮ってやると言うのかと思ったら、オジさんも撮ってほしいと言われた。強面の警備員もなかなかお茶目なオジさんだった。
警備のオジさんと記念撮影
なんで入れなくなったかはよくわからないので、外の写真を撮って終わりにした。
一緒に行った女性が持っていたハツミちゃんとツーショットのくまモン
しかし、ガンジス川の川原にはいろんな人がいる。この人達を見ているだけで楽しい。






へんなオジさんとくまモン
ある夜、デリーで会った人から紹介された人と夕食を食べる事になった。

 この人は、数年前にいこのリシケシで結婚詐欺に合い40万円相当を盗られたそうで、最近になって結婚詐欺だという事に気がつきお金を取り返しに来たということだった。
 ここには本当いろんな人がいる(笑)

 このリシケシは、比較的、落ち着いたいい街だ。自分が泊まった宿の近くには、レストランもいくつか有り、お土産物屋さんもあり、過ごしやすかった。12月上旬のこの時期、朝夕はかなり冷え込むので、お土産物屋さんで、フリースのジャケットを購入した。

 約1500円だったが、胸にはNorthFaceのロゴが輝いている。もちろんバッタモンだ。この日以来、このフリースを着ない日は殆どないくらい重宝した。
何か頂戴とお店には牛もやってくる。

犬と牛の区別がつかなくなってきた

 リシケシには4泊程したが、朝7時と夕方4時からヨガ教室に通って数ヶ月滞在している人もたくさんいるようだった。そして日本人がやたらと多かった。自分ももう少し、長く滞在したかったのだが、アーグラ行きの切符を既に取ってあった。

次にインドにくることがあったらまた滞在したい街である。



油断するとサルにやられる。



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2014年1月12日日曜日

真っ黒い鼻くそがでた ニューデリー


 デリーの空港に到着したのは朝5時くらい。まずは、アライバルビザの申請をする。
入国審査の手前にアライバルビザの申請カウンターがある、アライバルビザが申告できる国が11カ国ぐらい書いてある。アメリカも韓国も、中国もその中にはない。
アライバルビザを取得
イスタンブールのインド大使館の冷たい対応を思い出し、日本人で良かったという気持ちになる。

 申請には写真が必要で、これはイスタンブールの写真屋さんで撮って来た物を使った。しかしながらイスタンブールの写真屋の腕が悪く自分の写真は顏が中央にきておらず著しくずれている。日本だったら写真屋のプライドが許さないだろう。大丈夫かなと不安になったが、文句は言われなかった。

 ビザの申請用紙には、ホテルの電話番号を書く欄などもある。宿泊の予約が入っているかを電話で確認するいう噂もある。
 記入を済ませ待っていると係員はどこかへ電話をしており、やっぱり宿までかけているのかな等と思っていた。(後で宿に確認したら電話はかかってきてないみたい)結構な時間を待ち、ようやくビザをもらえた。

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 朝早いのでしばらく空港で朝食を摂り、休憩して宿へ向かう事にした。バスの時間を調べるのに一度空港の外に出たのは良いが、この空港一度外に出るとなんと中に入れない。銃を持ったオジさんに中に入れてと頼むが、パスポート持ってるかと聞く。実は、なにもかもすべて、中に置いて来てしまっていた。

 中に入るには、今日のフライトのチケットを持っているかと、パスポートがあるか、または、350ルピー払うと中に入れるが、持っている物は、今日飛んで来たときのボーディングパスの半券のみ。

 半券を見せたが、これは昨日のフライトじゃないかという。当たり前だ。昨日の深夜便で日を跨いで朝早く着いたのだからと威張ってみたがだめだ。

 ピックアップの仕事で中に入る人を捕まえて、コーヒーショップのところに妻がいるので、ゲートに荷物を持って外に出て来るように伝えてと頼んだ。その人はいい人で、分かったと言ってくれたが、結局見つけきれなかったのだろう。音沙汰がない。

 警備員も哀れに思って中を見て来てくれたが、外から見ていたが、白人なんかに声をかけている。きっとオジさんの好みの女性だけに声をかけたのだろう。妻のいる所はちょうど、外からは見えない所で、説明をするが、うまく伝わらない。
結局、中にはそんな人いないぞと言われてしまった。

 でも警備員さん達、強面ながら、いい人だった。友達を呼んで、この人に見て来てもらうという。それで、妻の写真をiPhoneで見せて、覚えてもらい、紙にメッセージを書いて探しに行ってもらった。(最初からそうするべきだった)

 オジさんは、すぐに妻と一緒に外に出て来た。 この間1時間、汗かいて、喉が乾き、水を買うお金もなく、死にそうだった。

 協力してくれた人達も、お金など要求することなく、いい人達だった。

 強面の警備員達も笑顔になった。強面でも笑顔はかわいいオジさんだ。

 バスで、コンノートプレイスという所までバスで行きそこから、ニューデリー駅の近くの日本人宿サンタナと言う所まで歩いた。

 途中何人もの人が声をかけて来てついてくる。我々は旅先でインド旅行の先輩達から、デリーで声かけてくる奴は絶対に信用するな。奴らは嘘つきで、彼らについて行ったら変な所に連れて行かれるぞと教わっていたので、彼らを適当にあしらいながら、ぶっちぎって来た。バス停からはかなりの距離があったが、無事宿にたどり着いた。
サンタナの部屋。 あんまりきれいじゃない
後で聞いたのだが、宿で知り合った若い男性は駅から宿までリキシャを使いいろんな所を連れ回され、宿までなんと6時間かかったそうだ。やはり、噂は本当だった。

 日本人宿なので、宿泊客はみんな日本人だ。実はインドについて何も調べていなく何処に行こうかなんて全く分かったいなかったので、ここで、情報を収集してから、行き先を決めようと思っていたのだ。

 インドでやりたかった事が一つあった、それはヨガだ。数年前ヨガを習いに行った事があるが、本場で少し習ってみたかったのだ。

 ヨガは何処でも出来そうだったが、リシケシと言う所が、聖地でたくさんの道場やアシュラムがあるそうだ。幸いリシケシからデリーにやってきた人がいるので、行き方と、宿情報を聞き込んだ。

 それと、他に何処がいいと尋ねると、ハンピという答えが多かった。また、一緒にお昼をたべた人はエローラに行ってきて良かったというので、デリーから、リシケシに行き、それからアーグラでタージマハールを見て、アウランガーバードを拠点に、エローラを見学、近くにアジャンダという所もあるので、その2つを見物して、ハンピに向かう計画を立てた。

 実は、デリーには3泊したのだが、この間、ほぼ情報収集と計画を立てるのに費やし、宿の周りを歩き、アーユルベーダのマッサージを受けただけにとどまった。
 しかしこのアーユルベーダのマッサージはちと怪しかった。最初の話によると、ドクターが話を聞いて、最適なオイルを選択して説明してくれるという事だったがが、ドクターは忙しいということでお腹のでたセラピストというオジさんが問診票を見て、オイルを決めて個室に連れ込まれた。

 個室は暗く、そこでフンドシ一丁になれと言われ、フンドシ姿になる。お腹のでたオジさんがオイルを手に取り体に塗り塗りして行く訳だが,ときどき、オジさんのお腹がつかえて体にあたるのが気になる。(笑)

 オイルは最初は暖かいが、塗ってほったらかしにすると、体がとても冷える。マッサージが終わった頃には、体全身の表面が死体の様に冷たくなってしまっていた。その後、スチームバスに入るのだが、このスチームバスも寒い。ようやくスチームが出てきたら真っ白で何も見えず、ちょっと恐い。スチームの量はいいがやははり寒いまま、そのあとシャワーを浴びて終わり。体が冷えきってしまった。妻のセラピストは、19歳の女性だったらしくその年からは当然熟練者というわけではなさそうだった。
 正確にはいくらか忘れたが、日本円にして2000円くらいは払ったと思う。インドでは破格の価格だ。
ニューデリー駅
ニューデリー駅からまっすぐに伸びるニューバザール通りはおそらくこのあたりでは一番の繁華街なのだろうが、全く洗練されていないいけてない通りNO1に推薦したいくらいだ。通りの両脇にはびっしりといろんな商店が並んでいるが、決して品揃えが良い訳ではなさそうで、商品は埃にまみれている。

 道路には、炭火で焼くクッキ−屋、壷から炎を上げながらピーナツを煎るピーナツ屋、すりつぶしたジャガイモを揚げる揚芋屋ラッシー屋チャイ屋等の屋台が、道端に出ており狭い道をさらに狭くしている。少し広くなった場所には路上に野菜等が並べられている。野菜は新鮮そうだが、ものすごい量のが集りとても買う気にはなれない。
ピーナツ屋

ラッシー屋さん
この狭い道にリキシャや、オートバイ、牛車、野良牛等が行き交っており、ほぼ交通ルールは無い
牛車
野良牛
リキシャ


常にクラクションがならされ、通りは騒然としている。とにかく、スペースがあれば、リキシャや、オートバイが突っ込んでくる。唯一のルールは早い者勝ちだ。歩行者に道を譲る等という事はまずない。巾4mくらいの狭い通りを渡るのも命賭けなのだ。
夜のメインバザール
通りの商店主が、声を掛けてくる。最初は、たわいもない話で適当に話しているといつの間にか店に連れ込まれる。一度店に入ると出してもらうのに一苦労するので、興味がないのなら最初から入らない方がよい。

 この超埃っぽいメインバザールを歩いていると、すぐに鼻くそが真っ黒になり。クラクションで耳がおかしくなってしまう。

 いままで行ったなかで一番センスがなく、汚く歩きにく危険でホコリっぽい汚い所だ。
 しかしながら、この混沌とした風景がインドだと言う事を実感させるのかもしれない。

所々に人が倒れているが、寝ているだけみたい。

 デリーの交通はルールがあるのだろうか?。デリーに入って何となく交通の違和感を感じていたのだが、それは左側通行であるからである。日本と同じでないかと思われるが、長い事旅をして来て右に慣れて来たようだ。左側通行にやたらと違和感を感じる。
4人乗りバイク
この違和感の理由に気がつかなかったのは実は、インドの交通がめちゃくちゃだからである。同じ車線で、車とリキシャがお互い逆方向に向かって走っている、いったいどっち側通行なのか分からないくらいだ。何時事故が起こってもおかしくない。

 きっとインドの人たちは運転が相当うまいのだろうと思っていたが、バックしている車が、屋台にぶつかり、屋台の物が路上にぶちまけられたシーンを目撃し、運転がうまい訳ではない事をはわかった。

 メインバザールを歩いているとドンと音がした。振り返るとバイクが2台倒れていた。接触したようで、運転手は手を押さえて痛がっていた。間違いなく折れただろう。

事故。おそらく腕が折れたと思う。

ヤッパリ、運転がうまい訳ではないらしい。

 道端には手や足が無い人達が,物乞いをしている。こういった人達は、詳しくは分からないが、おそらく、交通事故で手足を失ったのではないのではないかと思った。


 大抵の日本人は物乞いに恵む事はないと思うが、デリーでは結構コインを渡している人が多いようだった。世界どこに行っても、物乞いが、わんさかいるが、コインをやっている人を多く見かけた。世界の人々は優しいなと思っていた。おそらく、世界で一番貧乏な人達は日本の物乞いの人々ではないか等と最近思う様になった。
物乞い

 ニューデリー駅の前の街にはレストランとホテルが建ち並び、食べる所には不自由はしないが、汚い店ばかりで入るのに勇気がいるが、もちろんカレーを食べてみるとどれも美味しく、一度食べると安心して食べる事ができる。

 インドではベジタリアンメニューノンベジタリアンメニューがあり、最近ベジタリアン気味の我々は、いつもベジタリアンメニューから選んでいた。

 美味しかったものは、ベジタブルカレーで、コーンといろんな野菜が入っており、食感がよく美味しかった。また、最初に食べたマッシュルームマサラというカレーはマッシュルームが大きくてマッシュルームのシャキシャキ感とカレーがマッチして本当に美味しく感じた。
マッシュルームマサラ
カレーを食べると体が温まり、なんだかやる気が出てくるから不思議だ。インド料理恐るべしと軽く唸っておいた。


 そんなデリーの街を堪能して、我々は、次の目的地リシケシに向かったのだが、列車の出発時刻は、朝の6時半、6時に宿を出たのだが、サンタナの門番のオジさんを起こさないと外には出れない。オジさんは狭いレセプションの小さなベンチ椅子の上に寝ているのだが、起こすのに一苦労した。ランニングとパンツ一丁姿のオジさんにさよならを言いデリーを後にした。

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2013年12月24日火曜日

パレスティナ自治区ベツレヘムで考えた。


 エルサレムを出て、パレスティナ自治区ベツレヘムという所に行ってみた。エルサレムの旧市街のダマスカス門の近くのバス停からバスに乗り、40分くらいだったろうか?

 事前情報では、チェックポイントがあり、パスポートチェックされるとかしないとかいろいろ言われていたが、特に何事もなく、ベツレヘムのバス停に着いた。あれ?チェックポイントは何処だろう?と思いながら歩いて、目的の教会へと向かった。

 途中で寄った食堂で前の席に座っていたおじさんは、空手道場をしているという。今からぜひ見に来いという半ば強引な誘いをイロイロ理由を付けて必死に断り、目的地である教会へと向かう。
こんなもんを食べてみました。まあまあ美味しかった。

空手道場のオジさんと
途中商店街があり、yukaさんが寒くなるからコートが欲しいなと言いだし、洋服屋さんで、コートを物色。値段を見てびっくり。なんと、エリマキトカゲ風の温かコートが日本円にして3000円なのだ。エルサレムの物価からして考えられないくらいの値段。ベツレヘムはかなり物価が安いようだ。

エリマキトカゲ風コート
速攻でコートを買い込むyukaさん。

 ようやく聖誕教会へ。

意外と地味な教会の入り口

教会の床の下にはモザイクの床がある。

教会の柱は手脂でピカピカ


ここは、キリストが生まれた場所があり、中に入ってみる事が出来るという。早速その列に並ぶが、その列にはたくさんの人が並んでおり、30分程並んでみたが、全く動かない。若干前に進むのだが、それは、諦めて列を離れる人がいるからだ。

 そこへ、親切なオジさんが登場。この列は、ツアー客用で個人客は別の入り口から入れるよとyukaさんに教えてくれた。やっぱり若い女性と一緒に来るべきだ。情報が勝手に歩いてくる。(笑)

 この生まれた場所というのは教会の祭壇の下にあり、向かって右側に列があり、右から入り、左から出て行くが、個人客は、左から入れてくれるというのだ。

 早速中に入れてもらい見るが、生まれた場所のシンボルは、高さ1mくらい穴の中にあり、腰を屈めないと入れない。そこには、たくさん観光客が群がり、なかなか中に入る事ができない。自分は諦めていたが、妻は、隙間を縫って中に入り、写真を撮ってきた。
キリストの生まれた場所だそうだ。
それを見ると、さすがに、生まれた場所というだけのことがあり、があり、周りに星形の模様が描かれていて、みんなが触るのだろう。手脂で磨かれた感じだ。まあそれだけだ。ここはエルサレムの教会のように10秒でつまみ出されるという事はなく、優しい感じで印象は良かったが、人がたくさんで空気が悪そうだった速攻で出てきた。

そのあとガイドブックによると聖母マリアの母乳で赤い地面がミルク色に染まったというミルクグロットという教会に行った。

 途中では、オリーブの木を削って、彫刻を作る工場が立ち並んでいて、職人さんも、愛想がよく写真を撮らせてくれる。


数珠の玉を削っている

職人





買ってあげられないのがとても残念だったが、十字架に掛けられたキリストの大きな彫刻等はなんだかリアリティーがありよかった。
オーリーブのイエスさん
教会自体は、古い建物と、新しい建物が一体化したような造りの建物で特にどうこういうもではなかった様な気がした。

ミルクグロット教会




 昼食を、聖誕教会の近くのレストランで、昼食をとることにした。エルサレムと比べて、値段は安く、美味しく我々のベツレヘムに対する印象がぐんぐん良くなって行く。

 そこのレストランのマネージャーだろうか?ちゃんとした格好のオジさんが非常に丁寧な口調で、我々のペットボトルを指して、水が必要だったら、ペットボトルに入れてあげるので、遠慮なく言ってくださいと言う。

 そんな風に言われるのは初めてで親切だなーと思っていた。我々のボトルはまだ十分に水があったのでお断りしたが、yukaさんは水を入れてもらった。

 実をいうとこのパレスティナ自治区という物を私はよく理解しておらず、なんだか恐い地区というよな漠然としたイメージしか持ち合わせていなかったが、 このパレスティナ自治区の人達は、エルサレムと比べて、みんな、親切でとてもいい感じの人達が多い様に感じた。(もちろんエルサレムにもいい人達はいたけど)

 このあと、パレスティナ自治区とエルサレムを隔てているを歩いて観に行く。
いろんな人に聞きながらようやく、壁に到着すると壁は落書きだらけで、かなり荒れている。でもその中にいろんな絵が描かれているが大抵は、平和を願う絵だ。
監視塔?




有名なイギリス人壁画アーティストのバンクシーの絵もある。と偉そうに書いてみたが実はバンクシーって誰だか知らない。調べてみると、ゲリラアーチストで、世界の有名美術館に自分の絵をこっそり展示してたりと、なんだかルパン3世の様な感じの画家らしい。

 バンクシーの少女が風船をジャンプして取ろうとしてる絵を見つけて、自分もジャンプしてみた。壁はものすごく高く、ちょっとやそっとジャンプしただけでは、写真であっても飛越えられない。私のジャンプ写真もこの壁には通用しないようだ。

ジャンプしてみたが、壁は高く、当たり前だがとても飛越えられない。

 この長く続く壁沿いを歩いて行くとそこにはチェックポイントがあった。チェックポイントからは、エルサレムで仕事をして帰宅する人達が大勢出て来ていており、その客目当てのタクシーお店がたくさんあり、活気があった。
ベツレヘムのチェックポイント。夕方イスラエル側から帰ってくる人達でごった返していた
パレスチナ側からイスラエルに行く人達はごくわずか。おそらく朝はこの逆だろう。
誰もいないチェックポイントを通過しようとしたらセキュリティーチェックの兵士はさぼっていて我々に気がつかない。

 セキュリティーを通り抜けるとけたたましい音がなり、再チェックをさせられた。パスポートチェックは我々のうち1人が見せたらあとはノーチェックでエルサレムに戻った。

 エルサレムよりパレスティナの方が人達が優しくおおらかな感じがする。エルサレムはどこに行っても、銃を構えた兵士がウロウロしており、威圧感を感じる。逆に安全なのか、危険なのかよくわからない。

 イスラエルからの出国は、北のボーダー、ヨルダン川ボーダを使用した。最初宿のオヤジに行き方を聞いたが、適当に答えられ、どうやら嘘っぽい事がわかり、ヤッフォ門の近くのツーリストインフォメーションに聞きにいくと、1枚のプリントをくれて説明してくれた。

 北のボーダーへはエルサレムのセントラルバスステーションから、バスに乗り、ベトシェンと言うところで降り、そこからボーダーまでタクシーで行くということがわかった。
こんなキッパ頭の人を見ながらバスでベトシェンへ

ベトシェンへの道中はこんな風景が広がる。
バスを待っていると1人の日本人女性と一緒になった。高橋さんというカメラマンで、何ヶ月かパレスティナの友人宅で遊んでいたという。

 我々はパレスティナの事なんか殆ど良く知らない。彼女に根掘り葉掘りきくと、彼女は親切にいろいろ教えてくれた。

 パレスティナでは未だに銃撃戦が行われており、緊張が続き、2年に1回くらいは人が死ぬ事もあるとか、友人の外国人が流れ弾に当たり怪我をした事もあるらしい。

 エルサレムの飯がまずいというと、パレスティナでは家庭の料理を食べていたので、美味しいですよと言われた。ヤッパリ、エルサレムの旧市街がダメなんだろう。

 ただ、パレスティナでは、水が貴重で、外から来た人にたいして水を振る舞うのが最高のおもてなしだそうだ。

 そういえばぱベツレヘムのレストランのマネージャーのような紳士は丁寧な言い回しで我々のペットボトルに水を入れてくれるとも言ってくれた。彼は我々に最高のお・も・て・な・し・をしてくれたという事がいまさら分かり、すこし感動した。

 国境では出国税を払い、窓口にパスポートを提出し、すんなりと通過した。

 高橋さんはヨルダンの国境にいくバス乗り場までくると、ほっと安心した様な顔つきになり、実は、取材でたくさんの写真を撮り、もし調べられたらヤバい物がたくさんあったんで緊張したんですという。

 大切な物はクラウドにバックアップしてあるとはいえ、全部写真をアップする事は難しく、ここでデータを消されたら一貫の終わりである。

 国境でパソコン没収され、中を全部チェックするまで返してもらえなかったという人の話も聞いており、自分も、写真見られたら、ヤバいなあ等と思っていたくらいだから、緊張度は相当な物だっただろうと思った。

 彼女は、見た目には、そんな風には見えなかったが、その辺りはプロだ。飛行機で出国しなかったのは、空港でのチェックがとても厳しいので、この国境を選んだのだそうだ。
 やはりイスラエルという国はまだ我々の想像を超えた世界にある様な気がした。
このバスでイスラエルの国境からヨルダンの国境

ヨルダンの国境
国境からアンマンの空港まで、3人でタクシーをシェアして行った。彼女はアンマンで1泊してから帰るという。

 今日は久々にゆっくり寝たいなーという彼女の言葉が印象的だった。おそらくいままでは緊張でよく寝れてなかったのだろう。

 我々は、アンマンから飛行機で、インドのデリーに向かった。

アンマンの空港だモン



ただいまチェックイン中