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2014年1月19日日曜日

エローラ、アジャンダの石窟寺院群 (インド)


 アウランガーバードに行く列車は朝6:00くらいにどこかの駅を出て夕方にアーグラに到着、車中泊して翌朝アウランガーバードに着く予定だった。どうせインドの列車だから遅れるだろうと思っていたらなんと定刻にやって来た。
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駅のホームはこんな学生等大勢の人で賑わっていた。

定刻にやってきた列車
さっそく乗り込み我らが席へ。そこにはトランプをしているインドの若者が。「すいません〜そこ私たちの席なんですけど」というと、俺たちそこだから替わってくれという。嫁は切れ気味に「ノー」と叫ぶと、若者達はノロノロとどいた。後で分かったのだがこの若者達の半分は席がなかったようで、夜は通路で寝てたのだ。席替わってたら、我々が通路で寝るはめになったかもしれない。

 しかし車内が汚い。ゴミだらけだ。しばらくすると掃除の人がやって来たので、かたづけてもらう。

 我らのボックス席は、生後3〜4ヶ月の女の子と6歳の男の子を連れた子連れのファミリー。お父さんは、アウランガーバードで、ブレスレットの販売をやっており、きょうは結婚式でアーグラに行っていたそうだ。
生後3〜4ヶ月の女の子
6歳の男の子ちょっとすね気味。

  ご飯どうしようかと思ってたら、ご飯を売りにきたのでピラフを買ってみたが、これが、冷凍ピラフをチンせずに解凍したみたいな感じの代物で、正直言ってこの旅一番の不味さだった。
途中の駅のホーム。死んでいるのかと思った。
夜10時以降は就寝。寝心地はそう悪くはない。A2クラスはエアコン付きなのでそう寒くはなかった。
A2クラスの車両
同じボックスのファミリーもアウランガーバードで降りるというので、安心だった。

アウランガーバードに到着
アウランガーバード駅
朝アウランガーバードに着き、とりあえず、ガイドブックに載っていたホテルに行ってみたが、あいにく2500ルピーの部屋しかないと言われ、別のホテルを紹介してもらった。そのホテルは1000ルピーできれいだったのでそこにした。

 アウランガーバード自体には特に何も興味がない。ここからバスで3時間程行った所にあるアジャンダという洞窟の遺跡と、バスで30分程のエローラという所にある洞窟遺跡が目当てだ。それと、ここからハンピまで行く方法を考えなければならない。
 ハンピはその名の通りとてもヘンピな所でとても行きにくい、どうやって行けばいいのか旅行社に相談する事にした。

 旅行社に行ってハンピまでどうやって行けばいいの?と聞くと、旅行社のお姉さん、そうね、ハイダラバードまで行って、そこからバスで行けるんじゃなかったけ?と言う。ハイダラバードまでは列車で20時間くらいかな?という。なんか遠すぎる


 そのうち男の人がやって来て、それよりはバスでプーネまで行き、プーネからフブリに行きフブリから3時間でハンピまで行けるというが、何となくしっくり行かない。
もっといい方法が有りそうな気がして、まだなんか有るだろとお兄さんに迫ってみると、いいアイディアがあると画面を見せてくれた。それは、列車で、アウランガーバードから少し戻り、そこから列車を乗り換えてフブリまで行くという案である。列車なら、乗り換えも難しくないのでいいかなと思い。早速列車の切符を買いに駅へ行ったのだが、満員で切符は買えなかった。
 また、エマージェンシーチケットかと思ったが、男性は、またパソコンとにらめっこした。

 そして、バスでプーネまで行き、プーネからホスペットまで寝台バスで行き、ホスペットからハンピまでは10kmくらいだからリキシャで行く案があると言い出した。
 ハンピに行くのはホスペットから行けと、ガイドブックには書いてあり、我々も納得した。最初からその案出してくれればいいのに。

 一つ心配なのはバスの乗り換えである。プーネに到着するバス停と、プーネから出発するバス停が違うらしいのである。

 男性は、プーネの出発のバス停の場所をチケットに書き込みながら、キーポイントはポリスオフィスの近くだと言った。このキーポイントってナンだろうと思ったが、バス停は公共のバスターミナルで、地図で位置を確認したから大丈夫なので、問題ないと自信満々だった。とりあえず、これでルートが決まった。


 アジャンダは、アウランガーバードからバスで3時間位かかる。
 朝6時台のバスに乗り、アジャンダを目指す。バスは田舎道を走り、バザールの中にあるバス停に到着した。アジャンダの街で、バスの外の物売りのオジさんがここがアジャンダだ降りろと言うが、実は、遺跡はもう一つ先のバス停であることは知っている。だまされないモン

この赤いおんぼろバスで行く

 遺跡の入り口で降りたのは何故か我々だけ。歩いていると何処からともなく日本語を操るオジさんが現れ我々を案内してくれる。怪しむ我々に、オジさんは、流暢な日本語で私はガイドではありません安心してくださいという。

 でも何故かトイレから食事まで世話を焼いてくれる。ここには日本のODAでたくさんの日本人がやって来て、いろんな事をしていたらしく、彼は、もう40過ぎのおっさんだが、子供の頃から、そんな日本人と仲良くなり、日本語を学んだという。

 ここには、真新しいお寺等があり、オジさんがいうには、日本のODAで作られた偽物ですと言っていた。

 インドへのODAの出資金額は日本が一番であるらしいが、偽物ですと言われるお寺を作って無駄にお金を使ってないのか若干心配になったが、現地の発展に貢献していると信じている。

 彼の狙いは彼の店でお土産を買ってもらうことと言う事は分かった。できればそうしてやりたかった。
お土産物屋さん
でもまずは観光だ。バスに乗り遺跡の入り口まで行く。アジャンダは川が蛇行してU字状になった所の外側の壁に洞窟が掘られ仏像が置かれている。

このバスで遺跡まで行く
このU字状の様子は、アメリカのグランドサークルのホースシューバンド とそっくりの形である。
石窟寺院群
洞窟の中は中央にその洞窟のメインの仏像があり、両側の壁には小部屋のようになっており、ここが僧侶の部屋だったのかもしれない。

洞窟内部
メインの仏像
この中に仏像がある
この仏像の洞窟と、なんと言えばいいのだろうか?仏塔のような物が置いてある洞窟の2種類がある。
円いのがご本尊か?
こういった洞窟が550mに渡って30個近くもあるのだから、すごい。

 洞窟はカッパドキアや、ペトラ遺跡等で見て来たが、カッパドキアの洞窟はただ掘ったと言うレベルの物に近く、ペトラ遺跡の洞窟は、外観は素晴らしかったが、中は何もなかった。アジャンダの洞窟は中の仏像仏塔が素晴らしい。しかもここの岩は固い。カッパドキアやペトラの岩は、砂質で柔らかく彫りやすそうだったが、ここの岩を掘るのには、相当な労力が必要だったろうなと思った。






この一番奥まで行くと、7つの滝が見えると教えてくれた。下から見たがよく見えない。対岸に渡り展望台に行ってみた。そこからはいくつかの滝が点々と見えた。
のど乾いたモン
そこに日本人らしき人が、現地のお土産物オジさんとしゃべっていた。こんにちはと声をかけられ、少し話したのだが、彼は4年間アフリカ自転車で旅をしていたという。世の中には、いろんな人がいるものだ。

 「お金どうしているの?」思わず聞いてしまったが、彼は笑いながら、野宿ですから宿泊費いりませんし、自転車ですから交通費いりませんという答えが返って来た。なるほどと納得した。
自転車ボーイと。
滝が7つ見えるはず
しかし、お土産物オジさんのしつこい事。断っても断っても纏わりついてくる。近くに白人の女性が来たのであのお姉さんが買うかもよと言い、ようやく追い払った。
 白人のお姉さんは最初は優しく、対応していたが、交渉は決裂したらしく、オジさんの声が追い込む様にだんだん声が大きくなり、女性は逃げる様にその場を去っていったのを見て笑ってしまったが、白人のお姉さんには悪かった。
これを使えば、足の悪い人も見学できる

椅子を使って足の悪い人を運んでいる。

 ここからアウランガーバードまでは3時間くらいはかかる。旅行会社に行かなければならないので、急いで帰らなければならない事に気がついた。バスに乗り、遺跡の入り口に戻ると、朝の日本語を操るオジさんが待ち構えていた。

 オジさんは「私、今日ずっと待ってました私のお店見て行って」と泣き顏になりながら言って来たが、もう帰らなないといけないからと、追いすがるオジさんをぶっちぎって帰った。なんだか自分が悪者になったような感じでなんだか後味が悪かった。

 翌日はエローラだ。エローラはアウランガーバードから30分くらいだからそんなに早起きする必要もなかった。バス停を降りるとそこは遺跡の入り口。入場券を買い中に入る。サルが群れている。インドは何処でもサルがたくさんいる。ヨルダン、イスラエルを一緒に旅したyukaさんはインドでサルに噛まれたらしく、その後、狂犬病予防のための注射を何度も打たなければならなかったと聞かされており、サルには注意をしていた。

 エローラの入り口は遺跡の真ん中にあり、右に行っても左に行ってもいいのだが、とりあえず右側から見学を開始。ここには、仏教ヒンドゥー教ジャイナ教の寺院があるそうだ。違いはよくわからないが、とりあえずがいたらヒンドゥー教と思えばいいが、ジャイナ教とは何ぞや??その違いを見つけるのが、今回の目標だ。

 右側の一番奥から見て歩く。我々以外誰もいない。アジャンダと同じように、中央に大仏が置かれている、しかしちょっと臭い。コウモリの糞の様な匂いがする。
 このエローラの仏像は女性の仏像が非常に多い。胸が大きく腰がくびれた女性の仏様はさすがエローラと唸ってしまう程官能的である。すべて完全に残っている仏像が少ないのが残念であった。

 そうこうしていると、小学校の団体がやって来て、我らと写真を撮りたいという。またまたここでも我らはアイドルだ。積極的な女の子は名前を名乗り、覚えてねというが、発音が難しすぎて正確には言えない。やっと覚えた名前を呼んでみたら、違っていたらしく、女の子はむくれてしまった。

 同じ様な洞窟を見て真ん中まで戻って来た。真ん中の遺跡が一番大きかった。左右に象の石像があり、真ん中の建物の中には御本尊と思われる丸い玉があり、それに触れるといい事があるらしい。触れようとしたら、そこにいた係のオジさんにドネーションと耳元でささやかれた。まあお賽銭のようなものであるが、入場料払っているしと無視して外にでる。

 この建物も岩を掘って作ってある。この建物の周りにも岩を掘って作った建物があり入ってみたが、コウモリの糞の匂いが強く吐きそうになった。
 遺跡の入場料390ルピー(だったかな?)は、コウモリ対策に使ってもらいたい。

 昼食は入り口のレストランで食べたが、他にお客は誰もいない。後で日本人客が1組きただけだった。午後は、左側に行くが、左側の遺跡は、おそらくこの辺りがジャイナ教のもののようだ。とりあえずジャイナ教の見分け方は、遺跡が荒れているか荒れていないかという事にしておいた。


 途中で日本人の青年に会った。彼は平野君といい世界一周中らしく実はまだ始まったばかりらしかった。

 第30窟から第34窟を観に行くのに、リキシャを使った方が良い等と書いてあったが、係員が上を歩いて行けばすぐだと道を案内してくれた。

 この係員はチップをねだる事もなくいい奴だった。平野君と、第30窟から第34窟を目指した。道無き道を行きたどり着いた。

 中にはいると、警備の係員が仏像の上の絵とかいくつも説明してみせてくれた。確かに案内してもらわないと、見所は難しい場所に潜んでいる。最後に、警備員はなんか頂戴と言って来た。妻がボールペンを差し出したら、ものすごく喜んでくれた。日本のコインはないかと言うので平野君が10円玉をあげたらこれもまたものすごく喜んだ。こんなものでこんなに喜ぶとは思いもしなかった。

 歩いて入り口まで戻ったが3人でしゃべりながら歩いたらあっという間だ、リキシャなんて必要なかった。

 アジャンダ、エローラの遺跡は素晴らしかった。個人的にはアジャンダの方がよく手入れもされており、良かったと思う。

 旅の写真は、撮影後、2つの外付けハードディスクにコピーして、ちゃんとバックアップをとっているのだが、なんと、エローラの写真は、ハードディスクに入れる前に、間違って消してしまったのが、残念でたまらない。

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2014年1月18日土曜日

タージマハール見学 アーグラ

  インドの列車はエアコンが付いた1Aクラス,2Aクラス、エアコンが無いスリーパークラス、その下にジェネラルいうものがあるらしい。1Aは飛行機並みに高いらしいので、外国人旅行者は2Aを選ぶという事を聞いたのだが、ハリドワールからアーグラへはA2クラスが取れず、スリーパークラスでの移動になった。

 ニューデリーからハリドワールのA1クラスが1000ルピー、CCクラスは550ルピーだったのに対して、ハリドワール〜アーグラは距離がもっと長いが、スリーパクラスで、250ルピーだったので、ずいぶん安い。もちろん、食事はついていない。

 スリーパークラスは進行方向に向かって垂直に3段の寝台が2つ並び、進行方向に向かって平行に2段の寝台が並んでおり、一つのエリアに8人が寝る事が出来る。
スリーパクラス
我らは横方向の上の段だった、下の段は近距離の客が乗り込み、勝手に座るらしいのでよくないらしく、上の段に自分がいると他の人が登ってこないのでそこが一番よいと聞いていた。
窓が開いているので、何か頂戴と物乞いが手を出してくる。

 12月上旬はインドといえども、気温は低い。スリーパークラスは窓開けっ放しで、列車が走ると風が車内を流れ、スリーパークラスには毛布もないので、とても寒い。自分は上半身はリシケシで買ったフリースを着て、下は、冬用のズボンの下に、ジャージをはいて万全の体勢だったが、盲点があった。足先が寒い

 妻は、足をスカーフでぐるぐる巻きにして寝転がっていた。道理で、駅で待っていた人達が、みんな毛布の入った袋を持っていた訳だ。リシケシで寝袋を買っておけば良かったと後悔した。
足が寒いので、スカーフで防寒

上の段のベッドは快適だモン


 列車に乗っていて不安に思うのは、いつ降りるのかが分からない事だ。まあ、他のお客に聞けばみんな親切に教えてくれるので、いつもそうする様にしている。

 今回も隣に座っていたおじさんに聞いた。そうしたら俺もアーグラで降りるから心配するなという。彼の名前はアシシと言った。アシシはIT関係の仕事をしており、会社はアーグラとデリーとニューヨークに事務所があると言っていた。そのうち日本にも事務所を作りたい等と言っていた。

 この日は会議があるので、アーグラまで出張だそうだ。しかしその割にはサンダルだし、Tシャツだし、薄汚れたジーンズなんか着ている。

 列車は2時間程遅れ、アーグラに着いた。アシシが着いたぞ言い、一緒に降りたが、ずいぶん小さな駅だった。

 リキシャにガイドブックに載っていたサクラホテルに行けというと、150ルピーだという。ここから近いからそんなにしないだろう負けてくれと交渉モードに入ると、大勢のリキシャマンが集まり、サクラホテルまでは15kmあるという、ちがうアーグラカント駅からは2kmだと言い張ると、リキシャのドライバーはここはアーグラカント駅じゃないぞと言い、駅名を指差した。

 そこには全然違う名前の駅名が書かれていた。

 アシシはへへへって感じで笑っている?

 すっかりアシシにだまされてしまった。でも俺たちをだまして、アシシは何のメリットがあるのかさっぱり分からなかった。リキシャのドライバーはうれしそうな顏して、お前のガイドはトンでもない嘘つきだぞといいながら、ホテルへ向かった。

 まあでも、自分たちは、アシシにアーグラカント駅とは確かに言わなかった。ただアーグラとだけ言った。降りた駅も、アーグラには違いなかったんだろう。

 本当にサクラホテルまで連れて行ってもらうのか不安だったが、確かにサクラホテルという名前のホテルまでリキシャマンは連れて行ってくれた。

 サクラホテルに着くと真っ黒い顔のオジさんが日本語で、私が、その本に載っている人ですと話かけてきた。

 700ルピーの部屋に泊まる事にした。この部屋の壁が劣化していて、壁に触れた物は全部真っ白になるという残念な部屋だった。

 とりあえず次の目的地アウランガーバードまでの切符を買わなければならない。次の日駅に行き、窓口で聞いてみたが列車は一杯だった。

 宿に戻り、オジさんに相談すると、なんとかするよと言ってくれた。列車の切符にはエマージェンシーというのがあり、前日の8時に販売されるらしく、素人では取りにくいという事で(本当かどうかは??)業者に頼んで、手配したから大丈夫だという。手配料はしっかり1人350ルピーも取られてしまった。


 しかし、このホテルの周りは、薄暗く、どんよりとしていて、空中にホコリが浮いている以外何もない。ちょっとつまんない。次の列車移動に備えて寝袋が欲しかった我々は、ショッピングモールに行ってみたいとホテルの人に言うと、高いだけだからやめとけと制止されたが、その制止を振り切り、リキシャに乗って行ってみた。

 ショッピングモールは、立派な建物であったが、繁盛しているのマクドナルドだけで、中に入ると、90%の店舗は潰れたゴーストモールだった。とうぜん、寝袋なんか見つけらなかった。

ショッピングモールのマクドナルド

ゴーストモール

 アーグラの目的というと、タージマハールアーグラ城ファテープル・シークリー。


 ファテープル・シークリーはサクラホテルの隣のバス停から、汚いバスに乗って、40分くらいだったかな?の所にある。
このバスでファテープル・シークリーへ

  終点のファテープル・シークリーのバス停はバザールの中にある。街中に入ると、。道の両脇は屋台だらけバスの周りは人だらけ。バスはクラクションをならしながら、まるで、ラッセル車の様に人をかき分けながら進む。しかしあまりの人の多さにバスも何度も止まり、かなり時間をかけてバス停までたどり着いた。
バザールの中の人をラッセルして進む
しかしなんで、こんな場所にバス停作ったんだろう?
女性は頭に乗せて運ぶ。中には何が入ってるのだろうか?

 バス停からさらにぐちゃぐちゃのバザールの道を少し進み、ゴミだらけの階段を上るとファテープル・シークリーだった。
この階段を上る。
ここは、14年間だけ政治が行われたお城で、世界遺産に登録されている。水が少なくて、首都を代えたらしいよと妻が小鼻を膨らませながら解説してくれた。

赤レンガのような色の城壁があり、中にいくつかの建物があり、誰が眠っているか分からないが、お墓もある。お墓は、靴を脱がなければならないが、地面が汚くて、靴脱ぐのがイヤだったが仕方ない。





最初は、きれいにしておきたいから靴を脱ぐのだと思っていたが、よく見ると、インド人は靴はいておらず、元々裸足の人が多いから、そういった人達はそのまま入るから汚れ度は、靴はいているのと変わらないじゃないかと最初思ったが、掃除もしてなさそうなので、靴を脱ぐのは別の意味があるのだろうと思う様になった。

中に入ると、若い男性が、イロイロ世話を焼いてくれるのだが、世話焼き過ぎでかなり鬱陶しい。後でチップくれというのが見え見えであるので、チップやれないから、もうかまわないでくれと言ってみたが、それでもしつこいので、隙を見て逃げてきた。 
周りはこんな風景。
一通り観て廻り、帰ろうとすると、子供達が寄って来て、みんな、ポストカードあげるから入場券をくれという。なんで入場券が欲しいのかよくわからなかったが、断ったが、彼らもしつこい。断っても次から次にいろんな子供が現れ、同じ事を言う。いい加減イヤになり、また逃げて来た。

 もう少しゆっくり見たかった。
リスは何処にでもいる
帰りのバスもラッセル車のように人をかき分けながら、ファテープル・シークリーを出た。

帰りのバスがやって来た

アーグラ城とタージマハールは1日で見学することにした。
 タージマハールは陽のあたり方の関係上、午後がいいんじゃと妻が言うから、アーグラ状から見る事になった。
アーグラ城
中に入ると、何故かインド人の男性から一緒に写真に写ってくれないかと言われる。えっ?なんで俺?こいつオカマか?と最初は思ったが、他の日本人もみんな写真に写ってくれ攻勢に会っている。

 何度も何度も写真攻撃に合い、オジさんのアイドル、オジドルになった気分だ。(≧∇≦)



アーグラ城の近くには、川が流れ、その川沿いにタージマハールがあるのが見える。タージマハールはお妃様お墓だったらしいが、王様はここからいつもお墓が眺められる様にしたのだろうか?詳しい所はよく知らない。
タージマハールが見える

きっとお金持ちの娘さんだろう。

 アーグラ城を出てきたら目の前にオレンジのヘアーのリキシャマンが飛び出して来た
今朝、我らを乗せてきたリキシャマンだ。アーグラ城に入って2時間以上は経っている。こいつ、ずっと待ってたのか??インド人の辛抱強さというかしつこさには感心する。

 しかしながら、タージマハールまでは歩く予定だったので、断った
アーグラ城からタージマハールまでの道

タージマハールの入り口には、ラクダ車が。

ラクダは猿ぐつわをされてちょっとかわいそう
タージマハールの入場料はアーグラ城と共通で、750ルピーだったかな?

 ちなみにインド人は20ルピーだそうだ。この外国人からぼったくろうという意図がはっきり汲み取れる価格設定は腹立たしいが、特典もある。それは優先入場だ。ディズニーランドで言うファストパスみたいな感じだ。

 入場口では、ものすごい数のインド人が並んでいる横を涼しい顔をして、通り抜けて行ける。なかなかの優越感ではあるが、それでも高過ぎると思う。
両側はインド人の列。真ん中は高級チケット所有者の列




アーグラ城はあまり人は多くなかったが、タージマハールは、ものすごい人だ。写真を撮りたくても人が多すぎて、なかなか撮れない。

 辛抱強く人が途切れた隙を狙ってシャッターを押すのであるが、通り過ぎた人が突然引き返したり、タイミングが早すぎて通過した人の手が入ったりして、うまく行かず、若干切れ気味になる。深呼吸して、心を落ち着けるしかない。
タージマハール正門

タージマハール

 しかしまあ、りっぱなお墓であること。墓の中には靴を履いて入れない、高級チケット入場者には靴カバーをくれるはずだったが、何故か我々はもらえなかった。

 親切な人がいて、余っているからと一人分はもらったのだが、自分の分はなかったので仕方なしに、他のインド人と同じで裸足で中にはいった。墓の中は少しひんやりしていてモザイクというのか彫刻というのかスカシ彫りがきれいであった。
タージマハールの中から外を見ると、壁が透かし彫りのメッシュになっている。
墓の中も人で一杯だ。毎日こんなに多くの人達がお墓に来たら、ここに眠っているお妃様も成仏できないのではないかと心配になった。







リスがあっちこっちにいる。
タージマハールの外に出ると、そこは別世界。混沌としたインドの社会がそこにはある。ホテルに帰ろうとリキシャに乗り、リキシャが道をUターン使用とした時、ものすごい音がして、8人は乗っていそうな超満員のリキシャが目の前に止まった。あまりの勢いに、乗客の口からオレンジ色の液体が飛び出した。

 我々の乗ったリキシャが後ろから来るリキシャに気がつかずUターンをしようとして後ろのリキシャとぶつかりそうになり、後ろのリキシャが急ブレーキを掛けて止まったのだった。

 ぶつからなくてよかったー。

 我々が乗ったリキシャが悪いのだが、我々のリキシャマンはものすごい勢いで文句を言っており、少し言い合いになったが、何故か双方納得してリキシャは宿に向かった。

 こんなに立派な建物を作ることが出来て、今もちゃんと維持できているし、訪れたインド人もちゃんと列を作り、文句も言わずに辛抱強く待っている事が出来るのに、なんでもう少しきれいな街を作ることが出来ないのか?また、交通ルールを守る事が出来ないのだろうか?というのが、アーグラ城、タージマハールを見た正直な感想である。