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2013年10月30日水曜日

天空の修道院のある街、メテオラ

 妻がギリシアでどうしてもメテオラに行ってみたいという。それ何処?と尋ねると、アテネから列車で5時間行ったところにあるという。アテネからはエーゲ海の島々を点々として、トルコへ渡る予定だったが、その前にメテオラに行く事にした。

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アテネからの列車は、午前8:30一本だけ、午後1時にカランバカという街に到着する。メテオラへはそこからバスで20分程、そこから歩いて、修道院を周り、カランバカまで帰ってくるが、帰り道は10Km以上を歩く事になる。帰りの列車は午後5時半の1本だけ、4時間半ではちと時間が足らない。1泊する事にした。

 列車は往復一人、約30ユーロ。メテオラまでのバス代は1.6ユーロだ。

列車は落書きだらけで外観は荒れていたが、車内は、奇麗だった。アテネ駅からの乗客も多く、満員とは行かなくても、80%程度の乗車率。
車内
列車は、アテネを出るとしばらくクネクネと走っていた様子で、揺れが大きかったが、しばらく走ると、あまり揺れなくなった。窓の外を見ると、小高い丘の上を走っているようで、車窓からは、広大な景色を見る事が出来た。
途中の風景

 予定より30分程度遅れて、カランバカに到着。

汚い列車

 予約していた宿に、いこうとしたら、ホテルの客引きがやって来て、パンフレットをくれたが、そこは我々が予約してた宿だった。

 行き方を聞き、宿は要所要所にの看板があり、わかりやすかったが、看板があるのはこの宿だけ。この宿、よっぽど客が来ないのか、商売熱心なのかどちらなんだろう。
至る所にこの看板
宿に着くと、アンジェラアキの怒った顔似の奥さんが、レセプションにいた。ものすごい勢いの英語でいろいろ説明してくれたが、顏も口調も恐い。彼女の子供にも何か言っているが、これはもっと恐い

 部屋に案内すると言って、外にでると、知り合いがいたようで、満面の笑顔と甘い声でしゃべっている。全然恐くなく、顏もやさしい顏している。

 なんでお客に恐顏なんだろう?などと不思議に思った。

 この宿の後ろには、巨大な石が鎮座している。この石山の上に、いくつかの修道院が立てられており、この修道院をまわるのが、メテオラの正しい観光らしい。
先ずはビールで乾杯。

右の岩はゴリラに見えないかな?
しかし、この石山、ものすごいデカさだ。オーストラリアのエアーズロックを思い出させるような大きさで、さらに、その数がたくさん。垂直に切り立った岩肌は登る物を拒んでいるようである。

 この様子は、どちらかというと、エアーズロックよりは、エアーズロックの近くにある、カタジュタという巨岩の集まりに似ている。カタジュタは赤い岩であるが、ここの岩は、灰色である。

微妙な形の石があった

微妙な形の石も方向を変えると、お地蔵様みたいに見えるのが不思議だ
  少し離れた位置からは、この岩の頂上に建物があるのがわかるが、岩に近づくと、見えなくなる。垂直に切り立った岩を見上げると、首が痛くなってくる。


この石の上に修道院がある。

垂直に切り立った岩。ジャンプしてみたが超えられなかった
宿の近くには古いビザンチン教会があった。入場料2ユーロを払い中に入る。中は狭い。

先ずは入り口が有るところに前室があり、その奥に神殿のようなものがある。前室にもメインの神殿にも壁と天井にはビッシリ絵が描かれており、この絵のデザインは今までにみたことがないような独特の物である。残念ながら、古い絵らしく、損傷が激しかった。神殿のある部屋には中央にシャンデリアがあり、その周りに直径2〜3mの輪っかの金属が宙に浮いている。

 おそらくは、こういうスタイルがギリシア正教の正しい教会なのだろう。アテネでも小さな教会がたくさんあった。教会のデザインも今まで見て来てた物とは大きく異なる。
教会からはカランバカの街を一望
今まで見て来た物は主にカトリックの物だった。いままでの教会は、大きく、堂々とその力を誇示するかのように威厳のある物だったが、ギリシアの教会は、本当にこじんまりとこっそりとした感じである。やはり弾圧を受けて、こっそり信仰したような感じである。

 天気がよかったので、この岩山の麓で、たくさんの写真を撮って、一日目を終えた。

 朝起きると、空はどんよりとして、あまり天気がよくなかった。

 バスに乗り、山の頂上のメガロメテオン修道院まで行くと、雨が降って来た。バスを降りると、下からが上がってくるのが見えた。この修道院からは、切り立った岩の上に立ついくつかの修道院を見る事が出来るが、これらの修道院の下の方に霧がかかり、修道院のある部分は霧がかかっておらず、修道院が雲の上に浮いているように見えた。




とても幻想的だ、天気が悪いのを嘆いていたが、この幻想的な風景が見れてかえってラッキーだった。

 写真を一枚とり、雨合羽を着ていると、あっという間に霧がかかり、全く何も見えなくなってしまった。いい風景は、待ってくれないのである。今と思った時に写真を撮らないと後では撮れないのだ。

 メガロメテオン修道院はバス停からすぐのところにある。橋を渡り、階段を上り、修道院に入る。女性は、スカートでなくてはいけないらしく、入り口に腰巻きがおいてあるので、それを腰に巻く。



  入場料は一人3ユーロ。ガイドブックには2ユーロとあったので1.5倍にも値上がりしている。

 修道院だがやはりお金が大事なのだ。

 入り口から右手に何やら怪しげな物が。部屋の中をのぞくと、人間の頭蓋骨が並べられている。妻は小鼻をふくらませ、この修道院で亡くなった人らしいよという。なんで、頭蓋骨を並べなければいけないのか不思議である。

教会は、階段を上ったところにあった。ここも昨日見たオールドチャーチと同様に前室と神殿に別れており、同様に壁から天井まで絵が描かれている。前室の絵は、迫害を受けている信者の絵だろうか?槍で胸を突かれ首を切られ釜ゆでにされ、火あぶりにされている人々達が描かれている。妻は「残虐よねー」とまた小鼻を膨らませている。

 神殿に行くと、頭に金色の輪っかをつけた、幸せそうな人たちの絵が描かれている。この人達は天国に行った人達なのか、生きている人達を描いているのかわからないが,おそらく、信仰によって、幸せになるとでも言いたいのだろうか?。

 まあ歴史をみると、宗教は、もめ事の種になっており、迫害等も多い。信じる者は救われないこともあるのだだ。
修道院の台所

修道院の当時使われていた食器


修道院で暮らす猫は幸せそうだ。

 この修道院をあとにして、そのあと歩いて、全部まわろうと思っていたが、雨が激しく、また霧が深く何も見えないことと、今日、closeしている修道院はパスして、アギオス・ステファノス修道院に向かった。

 途中で、雨も上がり、霧も晴れてきて眺めのいいところが有ったので、写真を撮っていると、日が照って来た。その瞬間、ができた。マジックのようだった。
虹だ!!
先ほどの墨絵のような修道院の寂しげな風景から一転、虹のかかったカラフルな天国のようなメテオラを見る事が出来た。これは、まるで、迫害から一転、幸せになる修道院の絵とかぶった。

 アギオス・ステファノス修道院に到着すると、朝一緒のバスにのった中国人と思われる、女性に会った。歩いて来たのかと尋ねられ、そうだと答えると、彼女らはバスで来たという。バスがあったとは知らなかった。彼女らは、奇麗に書かれた手書きイラストの地図を持っており、入念に下調べしてきたようだった。我々の情報収集が足らなかった

3ユーロ払い、見学したが、ここも同じ様な造りである。ただ、壁の絵は新しかった。おそらく最近描いたのだと思う。

 アギア・トリアダ修道院は、垂直に切り立った岩の上に立てられており、道路からも隔たっており、クネクネした坂を一旦下り、そのあと岩肌に作られた階段を上って行かなければならない。

行く途中からの道中、最も絵になっている修道院だった。

 この修道院から、道までは1人乗りのゴンドラが取り付けられている。我々が向かっていると、ゴンドラが動いており、そのゴンドラが到着すると、車庫の扉が電動で開き、黒い服に黒い帽子の神父さんらしき人が車に乗って出かけて行った。

なんだか神父さんがハイテク機器を使っていると、イメージが狂ってしまうが、現代の世の中、神父さんだって、ハイテクは必要だだ。

 まあ、日本の坊さんが袈裟を着てカブ号で法事に出かけるのと同じだ。うちの坊さんは、3500CCのスカイラインGTで爆音を轟かせて、父の法事にやってくる。お布施の金額減らそうかといつも思ってしまう程だ。

この崖を登る
坂道を下り、それから岩肌に取り付けられた階段を上るが、この階段は、岩を1m程えぐり、そこに階段を彫り作られている。なかなか凝った造りである。作るのにずいぶん時間がかかったに違いない。
岩をえぐり道が造られている
ここの修道院も小さな同じ造りの教会があるだけでたいしたことはなかった。
ただ面白いのは、大きな釣り針のような針がぶら下がっている。

これは、今は使われていないが、昔、物を下から運び上げる時に使われた物らしく、この針に引っ掛けて引っ張り上げていたようだ。

 やはり、こういった特殊な場所で、こういった工夫が必要なんだなあと思った。こうやって技術は発達するのだ。

 ここからカランバカまでは、フットパスといわれるトレッキング道がある。30分程でカランバカに戻って来た。しかし、雨上がりのこの道。石畳で作られているが、よく滑る。妻は短い足を滑らせ、1回滑って転んでしまった。



帰って来たのは、だいたい2時くらい。思いのほか早かった。レストランで昼食を摂り、列車の時間まで休憩。帰り道の夕飯を買い込もうと街を歩いてみたが、シエスタの時間。殆どの店は閉まっていた。唯一開いていたパン屋さんでパンを買い、帰途についた。

 アテネに帰って来たのは11時過ぎ、前に泊まっていた駅前のホテルにチェックインすると、メテオラ行きのバスで隣に座っていた中国人カップルもチェックインしていた。考える事は同じである。

 彼らは上海からで、翌日、始発の地下鉄でも一緒になった。もしかしたら、我々と同じでフェリーに乗るのかなと思ったら、飛行機で上海に帰るそうだ。

 次の日、朝7時のフェリーでミコノス島に向かう。いよいよ憧れのエーゲ海だ。

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2013年10月29日火曜日

アテネでくまモン脱走


 バーリの港はバーリ駅から20/のバスに乗って、20分くらいだったろうか?港には大きなクルーズ船が泊まっており、その奥に我々が乗るスーパーファーストフェリーというとても速そうな名前のフェリーが泊まっていた。



 バスを降りたところにある青い建物でチケットを買い、フェリーに乗り込む。チケットはデッキが67シートが83キャビンが2人で360ユーロだったかな?デッキにするかシートにするか悩もうとしたが、外は寒いので悩む必要はない。シートにした。

 乗る時間が8時間程長いのでクロアチアからイタリアに渡ったフェリーより、ずいぶん高い気がした。しかしながら、船は、新しくそこそこ奇麗であった。

 出航は13:00ギリシアのパトラ港には7:00の到着予定だ。スーパーファーストフェリーだが乗船時間は17時間結構長い。

 さすがに船内で何も食べない訳にはいかない。レストランで、チヌのような魚のグリルと、グリークサラダというギリシア風サラダ、ビーフの煮込みにビールを注文したら、40ユーロもかかってしまった。Σ( ̄□ ̄;)

 魚は塩気がなかったが、昨夜の塩辛いリゾットと相殺されてよかったかも。

 食事を食べながら何となくカーテンを見ると、なんか虫がいる。よく見るとナンキンだった!! こんなところにもナンキンが!! もしかしたらシートにもいるかもしれないという恐怖が湧いて来た。


 もうシーズンは終わったので、船はガラガラだが、カーデッキには大きなトレーラーが一杯積み込まれ、よくまあこんなに奇麗に詰め込めるなと感心した。

 ガラガラなので、シートを4つ使い、横になったがでこぼこで、傾いており、寝にくい。またナンキンへの恐怖感から熟睡は出来なかったが、翌日は不思議と疲れはなかった。

 7時に入港。奇麗な朝焼けが我々を迎えてくれた。

船から降り、アテネ行のバスが出るバスターミナルに移動するためバス停へ行ったが、タクシーの運ちゃんがバスは運休だといいう。本当かどうかわからないが、バス停で待っていた他の4人はタクシーに乗るので、我々もタクシーに乗った。
 7ユーロ。メーターは使わないので、きっとボラレている。

 バスターミナルで切符を買う。8:15のバスは満員で、9:00のチケットを買う。我々より遅くチケットを買ったフェリーで一緒だったカップルは8:15のバスの最後の2枚のチケットを手に入れていた。なんで?? 並んだ窓口がよくなかった

 今日の宿は、アテネの中央駅の近くのビジネスホテルにした。ダブルで39ユーロ。もっと安いホテルはあったが、だいたい最安値のホテルでいつもナンキンにやられるので、若干高めにしてみた。

 部屋は奇麗だった。バルコニーもある。
 持っている服は、近くのランドリーで洗濯。なんと20ユーロもした。今までで一番高い。洗濯料金がどんどん高くなる。

 ナンキンのキャリアになってないかとても気になるので、バッグの中身を全部出し、ナンキンチェックをしたが、やはり見つからない。それでも気になるので、バルコニーでバッグを日に干した。この日はとてもいいお天気、バッグを触ると、熱い。もしナンキンがいたとしたら、この熱さが嫌になって出て行くはずだ。
よごれモンになっていたくまモンも洗濯し、いけモンになった。

 アテネの観光は、パルテノン神殿見学、アクロポリス博物館、ケラミクス遺跡&博物館、考古学博物館、その他、遺跡少々を見学。

 パルテノン神殿は、アクロポリスの丘の上にあり、市内のいろんなところから見る事が出来る。

 垂直に立ち上る丘を息を少し切らして登る。途中に、野外劇場がある。この劇場の最前列は、貴賓席のようで、細かな彫刻をあしらった椅子が並べられている。その外側の一般席は、縁から25センチ程度が5センチ程高くなっており、そこが座面、後ろの低くなっているところが通路であるということがわかった。座ってみると座り心地は悪くなかった。

観客席

おそらく王様用の席

劇場全体

 もう一つの大きな劇場は、改修され、今でもコンサート等に使われているようだった。

ここの、劇場の観客席の角度がキツく、バレンシアのサッカースタジアムMestlliaを思い出した。キツい坂を上って行くとパルテノン神殿の入り口の門が見えてくる。この階段は大理石で出来ており、その近くの床も天然の大理石だ。

 皆が歩くので、大理石はすり減り磨きをかけた様にピカピカと光り輝いているが、滑りやすい。何人かのお年寄りがひーひー言い、みんなスリッピーと声を掛け合い、注意を促している。

 門を抜けるとパルテノン神殿だ。しかしその姿は、私が知っている姿ではなかった。修復作業中で、クレーンが横に立てられ柱は、セメントで固められており、骨折治療中の様で痛々しい。こちらは裏側だった。

 反対側にまわると、そこには教科書に載っていたパルテノン神殿があった。
 パルテノン神殿の柱は、高さ50センチから1mくらいの大理石を円く削り、縦縞模様を彫り込み、その石を上に積んで出来ている様に見えた。
パルテノン神殿
ポンペイでも同じような形の柱をみたがこちらのほうはレンガを積みその周りをセメントのようなもので固め、模様を作っていたような感じだったので、作成手法が異なっているようだ。

 パルテノン神殿は意外とたいした事無いなというのが感想だが、このアクロポリスの丘から見るテネ市内の景色が素晴らしかった
アテネ市内
市街地には見渡す限り、白い壁の建物がびっしりと立ち並び、人口200万を超える大都市であることをアピールしていた。
アテネ市内
大都市の新市街には、大抵高層ビルが建っているが、アテネには見当たらなかった。おそらく、景観保護のため禁止されているのであろう。

 この高層ビルがないところが良い
夜のアクロポリスの丘
ゼウス神殿はアクロポリスの丘の下の方にあった。ここにはいくつかの柱が残されているだけである。公園を歩いていると、一匹のリクガメのこのこと歩いていた。このカメはこの公園で飼われているのか?謎であるが、カメと神殿を一緒に写真に収めようとしたが、カメのくせに歩くのが早くてなかなか難しかった。


ゼウス神殿


 この公園には、倒れた柱もそのままにしてある。これを見ると、やはり、柱は円い大理石を積み上げて作られている。倒れた柱は、それぞれのパーツ部分で柱がずれて、恐竜の脊柱の様である。私はその様子から、す巻きで表面に縞模様をつけた日本のだし巻き卵を連想してしまった。


 ケラミクスの遺跡は、当時の墓地と、陶芸職人の作業場があった場所らしい。立派なと彫刻をあしらった当時の墓石がたくさんあった。


 また、陶器を焼いた窯跡等もあり、ケラミクスが陶器のセラミックの語源となった等とガイドブックには紹介されている。




 ここは、アクロポリスの丘と異なり、観光客が少なく、のんびりできるが、ここにある博物館では、幼稚園児小学生老人会のお年寄りまで幅広い年齢層の団体ツアー客でにぎわっており、このケラミクスで発掘された、墓石や、陶芸品、彫刻等展示してある。


紀元前の時代にこんな立派な陶器が作られていたなんて信じられない感じがした。

 アクロポリス博物館は、このアテネにはちょいとミスマッチな近代的な建物であった。この博物館は、遺跡の上に立てられているようで、床の下では今でも発掘作業が進められているようで、入り口のアクリル張りの床の下では、作業員が、発掘作業を行っていた。

入り口のアクリル板の下では発掘作業がつづく


 土をかき分け、表面に残った土をブラシで払うと、奇麗なモザイクが見えた。これはモザイクの床の発掘作業の実演なのか、本当の発掘作業かはわからなかったが興味深かった。


 ここにはアクロポリスから出土した彫刻が多数展示されており、色等も再現したレプリカ等もある。彫刻はすべて石の色とおもっていたが、色とりどりに塗られていた事がわかった。写真撮影禁止だったのが残念だった。

 次には、考古学博物館、ガイドブックには、15:00までと書いてあったが、とりあえず行ってみると、20:00までやっていた。

 ここには、特定の一部の地域を除いたギリシア全土から発掘された彫刻や美術品が展示されているらしい。ここでみた彫刻は男性の裸の彫刻が多く、大事なところも変に隠す事なく作られていたが、先っちょが損傷しているものが多く、痛々しい。

先っちょが。。。
左手を伸ばし、右手を曲げて、上を向いたポーズと取った男性像と同じポーズで写真を撮ろうとしたら、ポーズとって写真撮ったらダメと思い切り怒られた。(写真撮影はOK)


 悔しいので、いろんな彫刻のポーズだけ、まねてみると、オジさんが、ちょっと違う、こうだとお手本を見せてくれた。

 しかしながら写真を撮らずにポーズだけ取っているのもなかなか格好悪い

 いつもの様に、この3つの博物館のなかで最も印象に残った作品MIC(Most Impressive C
arving)を決めてみた。

 それは、考古学博物館にあった裸婦像だ。これは、化け物にいたずらされそうになった女性が自分のサンダルで化け物を殴ろうとしている作品だ。
MICの作品
女性の裸の彫刻は少なかったことと、このサンダルのデザインが、現代でも使えそうであるというところで、心にビビッと突き刺さったのが選択の理由である。
現代でも通用しそうなサンダルのデザイン

 アテネという街は、事前情報によると汚く、治安が悪いということで、いつも以上に気を使っていたが、観光地しか行っていないせいだろうか?それともナポリを見たあとだからか?ゴミも少なく奇麗であった。

また地下鉄も、奇麗で、待ち時間も少なく、快適であった。

 オリンピックをやった時にかなりがんばって整備したのではないかと思う。

 しかしながら、列車のボディーに書かれた落書きはナポリを彷佛させるほどの物で、街のあちらこちらの落書きも、少しヤバい感じがする。やはりいつも以上に気をつける必要がある。







 食事についてだが、いままでより2割程度安い感じがする。一皿の量も多かった。気にいったメニューはグリークサラダ(ギリシア風サラダ)大きめに切ったトマト、キュウリ、タマネギのスライス、オリーブ、ピーマンがはいっており、上にヘタチーズがのっているシンプルなサラダで、お好みでオリーブオイル、酢と胡椒、塩を掛けて食べる。
グリークサラダ

 チーズは若干臭うので必要は無いが、これは何の味付けがされていなく自分で適当に味を付けて食べるのがよく、普段家で食べているようなサラダと同じだ。
イワシグリルを注文したら、こんな小さなものだった。
アテネでは悲しい出来事が起こった。ついにくまモンが脱走したのだ。ケラミクスの遺跡で墓石の彫刻と一緒に写真を撮ったのが最後行方不明になってしまった。

 最近、くまモンの写真を撮る事をよく忘れるので、いじけたのかもしれない。

 おそらく今頃は自由な旅を謳歌しているだろう。1000年後、ケラミクス遺跡で発掘されるかまたは、既にケラミクスの博物館に陳列されているかもしれない。

 我々は、傷心のまま、アテネを後にした。


2013年10月21日月曜日

おっぱい屋根の街 アルベロベッロ

 バーリから、電車で1時間半くらい行ったところのアルベロベッロという街に行って来た。
ここは、石を積んで円いドーム状の屋根と作ったトウルッリという名前の建物がたくさん集まる町並みが世界遺産となっている。

 列車がアルベロベッロに近づくと、車窓からもトウルッリが見えるが、単なる物置小屋のようである。


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 駅から10〜15分程歩くとその町並みはあった。
 小高い丘の麓から、上までびっしり、トウルッリが立ち並んでいる。なんだかテーマパークのような感じさえする。

アルベロベッロのトウルッリ

 ここは観光化されており、殆どのトルッリがお土産物屋さんや、レストラン等になっているようだ。





大抵のトルッリは平たい石を積んで作ったドーム状の屋根を2つ並んで作ってあり、屋根の先端には円いものが付いており、先端から50センチ程度白く塗られているものが多い。
屋根は平たい石が積まれている
屋根の先は白く塗られている物が多い


 その様子は、どう見ても女性の乳房のようでしかも、乳首をつまんで上に引っ張ったような形のデザインである。何故にこのようなデザインにしたのかが非常に興味深い。

おっぱいに見えてしまう。

くまモンも屋根の形が気に入ったモンと言ったかはわからない。

 中は天井がはやりドーム状になった形をしている。中に入ると、別の棟に屋上があり、そこからの眺望を楽しませてくれるお店もある。

 通りを歩いていると、日本語で話しかけてくる店員さんも多く、レストランのメニューも日本語対応しているようである。

 入り口に「陽子のお店」と書いてあるお店があった。出かけているのか中には誰もいなかったが、この陽子さんが教えているのかもしれない。


 なんでこんな家が多いかはガイドブックには、この屋根の構造はすぐに壊れるようになっており、役人が家の税金を取りに来た時にすぐに壊せる様にと、脱税対策であったと書かれていた。

 しかしながら見た感じ本当に、簡単に壊す事が出来るのかは、疑問である。


 なかなか面白い町並みではあるあが、それだけである。2〜3時間見学して、バーリに戻った。

降り口には花が飾られオサレさを演出

 バーリの街は、ナポリとは違い、ゴミも殆ど落ちてなく、清潔だ。宿は、ナポリの宿の方が奇麗だけど。。。

 旧市街まで歩いて行ってみたが、もう日は落ちてしまっており、旧市街の中に入ると、道は狭くクネクネしており、人通りも少なかったので、安全を考慮して、奥までは行かなかった。



バーリの旧市街の中。暗いとはいえまだそう遅くない時間だが。人がおらずヤバいア感じ

 この日は、イタリア最後の日。オサレなレストランを見つけたので、そこで食事をすることにした。

オサレなレストラン

 最近野菜を食べていなかったのとお米が食べたかったのでサラダと、リゾットを注文。それと、メニューがあまりよくわからなかったが、魚も食べたかったので、アンコウとエビのなんとかというのを頼んでみた。

 そのなんとが来てみてびっくり、なんとかはでっかいペンネだった。なんと、炭水化物だらけだった。

 アンコウは、日本では高級魚で食べる事は少ないが、こちらではメジャーな魚のようで、魚屋ではよく見かける。日本で食べるアンコウは少し身が柔らかく、水っぽい感じがするのだが、このアンコウ、身がプリッとしまり、美味しかった。

 しかしながら、ペンネとリゾットと交互に食べるのは辛い。

 リゾットは、一見美味しいが、塩の分量間違えただろうと突っ込みたくなるほど塩辛かった。パンの味も塩気がつよく何も中和することができない。この辛みを中和できるのは白ご飯しかないが、悲しいかな、リゾットはご飯で、ご飯をご飯で中和するのは嫌なのだ。

塩辛リゾット

 こんな塩辛い物を全部食べたら、血圧が上がりそうだと思い、半分以上残してしまった。

 食事後、満面の笑顔でイケメンウエイターが、どうだ美味しかったか?良かったか?と聞きに来た。大量に残したリゾットを前に、嘘はつけない。塩気で血圧が上がってたのかもしれない私は、「Sorry no good too salty」と思わず叫ぶように答えてしまった

 他の客は振り返ってこちらを見ている。

 イケメンウエイターは顏を赤らめ、苦笑いをして引き下がって行った。
 少しプライドを傷つけられ、彼の血圧が上がらないか心配になった。

 日本でも少し高いレストランに行くとそうだが、海外では大衆レストランでも大抵、良かったか?美味しかったか?と美味しかったと答えても、再度又しつこく聞かれる。最近そのしつこさに少し嫌気がさしている。

 これはCS調査(顧客満足度調査)なんだろうか?この答えは今後のレストランの経営に反映されるのだろうかといつも思っているのだが。今まではそう美味しくなくてもgoodと答えていたが、こういうのって、正直に答えるべき物なのか、社交辞令的に良かったよと言うべき物なのか悩む。

 他の人はどう答えているのだろう? 調査してみたい所である。



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2013年10月19日土曜日

イタリア、バーリでのナンキン大虐X 

 なんでも世界一の街、ナポリを離れ、バーリまでバスでやって来た。

 バーリ行きのバスに乗るため朝6時半にバスターミナルに行くと、まだチケットオフィスは閉まっていた。6:40くらいにオフィスが空き、チケットを買おうとしたら、バーリ行は別のバス停で、チケットは車内で買えという。

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昨日確認しに来たときはそんなことは言ってなかったのに。ヽ(`Д´)ノ

言われた通り、ラマダホテルの前行くが目の前はバス停らしき物はない。ラマダホテルのフロントに尋ねるが、バスはたくさんあるからわからない。ノーアイディアだ。と言う。

 自分のホテルの前のバス停の発着も把握していないのかと思ってしまった。

 ホテルの前に立っている人にバーリに行く人がいないか聞いてみるとみな違うという。
通りがかりの黒人男性が、バーリに行くのなら俺も行くから付いてこいと言ってくれ、100mくらい先のバス停まで行き、ようやく一安心。

 予定の7時になるとNAPOLI-BARIと書いたバスがやって来た。ところが反対車線。黒人男性は、大丈夫、Uターンして戻ってくるからという。

 しかしながら、7時を大きくまわっても一向に、バスの来る気配はない。黒人男性は何やら他のバスの運転手に聞きに行っている。

 我らは、さっき行ったバスで良かったんじゃないか、この黒人間違っているのではないかと、思い始め、妻と話していると、黒人男性は時間が変更になった7:25だという。

 さっきほかのバスの運転手に聞いていたとはいえ、その運転手が変更になった時間を知っているとは思えず、嘘だろと思っていた。

 7:40頃バスはやって来てホッとした。 黒人男性は優しいいい奴だった。疑ったりして悪かったと反省した。 

 まあ前回忘れていたが、電車のバスの時間が不正確なのも今の所ナポリがNO1である。


 バーリの宿は高かった。100ユーロ以上するところも多く、ドミでも一人20ユーロくらいだ。ナンキン虫が恐い。そんななかで、ようやく、2人で33ユーロのプライベートルームを見つけ予約しておいた。自分が探した中では最安値だった。

 行ってみると、そこは、普通のマンションで、その中のお部屋を数室、貸しているようで。オーナーはそこに住んでいるようだった。

2Fなのだが、外から見ると、他の階の窓は奇麗なのに、そこだけボロかった。

 中もなんだが雑然としており、大きな犬が2頭飼われていた。

 それでもベッドのシーツは白く一見清潔そうに見えた。

 部屋にいると突然、ドアが空いた。ビックリしてみると、そこには大きな犬が立っており、シッポを盛んに振っている。

 かわいいが、俺は犬が家の中にいるのは嫌いだ。ちゃんと洗ってはいるのかもししれないが、ノミやダニを飼ってそうで衛生的な感じがしないからだ。

シッと部屋の外に追いやったが、犬好きの人は部屋の中まで入れる人もいるだろうなと思った。

 夜寝ていると、なんだか手足が痒い。痒くて眠れない。電気をつけてベッドを見ると、何か虫の死骸のようなものが付いている。妻が、シーツをはぎ、見るとナンキン虫が動いていた。

 あー虫だーと妻は叫び、ティッシュで潰した。他にいないかと探すと、出てくる出てくる。中には丸まると太った奴が。潰すとプチッと音がして、真っ赤な血が出て来た。

 ヤッパリ、知らぬうちにナンキンに献血してしまっていた。
 思わず血液泥棒!!と叫んだ。

 いままでに何度もナンキンにはやられて来たが、いままで姿を見た事はなかった。いつも寝ている間に出て来て、すぐに引っ込む。ニンジャみたいな奴だ。
 今回初めてみた、姿形は、なんだか映画に出てくる化け物みたいで気持ちが悪い事この上ない。
戦死したナンキン。ネットで調べたナンキンと同じなので間違いない。

 とりあえずシーツを全部チェックし、大騒動して、見つけたナンキンはすべて殺した

 この事件は、昔の深夜番組「カノッサの屈辱」風にいうと後にバーリでのナンキン大虐x事件。と呼ばれるような大事件だ。国際情勢を考慮してあえて伏せ字にしておいた。

ちなみに、カノッサの屈辱知らない人はこちら。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%81%AE%E5%B1%88%E8%BE%B1_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)

 しかしまだマットの中に潜んでいる可能性がある。このまま寝れない。ナンキンは暗くなると出てくると何かに書いてあったので、電気をつけっぱなしにして、ベッドの上にエアーマットとサバイバルシートを敷いて寝た。

 銀色のサバイバルシートはアルミホイルのようで、暖かく、ホイール焼きの具になった気分だった。

 ナンキンは、ゲリラ的で、姿が見えずやられる一方だったが、今回はしっかり反撃する事ができ、我々は初めての勝利だった。
 
 しかしながら我々の被害も大きく、自分は左右の足のくるぶしを中心に10数カ所、左手の人差し指の腹を10カ所程度、薬指を1ヶ所やられた。左手の人差し指は曲がりにくい程に腫れてしまった。

 妻も、腕と足と、胸をやられた。ナンキンにおっぱいを吸われたかもしれない。スケベなナンキンだ

 ナンキンに刺されると半日から1日後、赤く晴れ上がり猛烈に痒くなる。酷いときは、水ぶくれが出来る。猛烈なかゆみは2〜3日続き、その後、枯れてくるが、しつこい物は数ヶ月痒い


 刺されたところは基本的に、服から出ているところだ。妻の胸は、おそらくごそごそと、服の中に入って来たのだろう。俺の指をナンキンが這って行ったかと思うとぞーっとする。


 宿に文句を言おうと思っていたが、翌朝9時のチェックアウト時、ナンキン騒動を察知したのかどうかわからないが,宿のスタッフはいなかった。呼んでもでこなく、文句も言わしてもらえなかった

 旅に出てから、ケアンズ、ニュージーランドロトルア、チリのサンチィアゴ、アルゼンチンイグアスの滝、ペルーのナスカ、メキシコのプラヤデルカルメン、スイスのインターラーケン、スペインのグラナダ、モロッコのワルサザード、そしてイタリアのバーリと何度も何度もナンキンにやられている。我々の旅はナンキンとの戦いである。

 今後、世界一周に出ようとしているカップルに忠告するが、絶対に裸で寝ない方がよい。大事な所をやられたら一巻の終わりだ。ちなみに、自分はいつもTシャツとジャージだだが、怪しいと思ったときは、靴下を履いて、雨合羽を着て寝る事にしているが、暑い日はなかなかそうはいかない。


 それにしてもものすごい頻度だ。自分たちがナンキンキャリアになっていないか心配だったが、今回は、ベッドの下からたくさん発見されたので、明らかに宿にいた奴だ。

 バッグの中は何度もチェックをしているが見つかっていないし、服は出来るだけコインランドリーで、高温で洗い、乾燥機で乾かし、乾いた物はビニール袋で遮断しているのだが。。。

 日本では、ナンキンは撲滅したと聞いている。自分が子供の頃、年に1回家の中を消毒に来ていた。消毒がくると、家の中が真っ白になり、半日、家には入れなかった。おそらくこういった地道な作業によりナンキンが撲滅されたのかもしれない。

 是非是非、ホステルも年に1日休業して、消毒してほしいのである。

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