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2013年10月29日火曜日

アテネでくまモン脱走


 バーリの港はバーリ駅から20/のバスに乗って、20分くらいだったろうか?港には大きなクルーズ船が泊まっており、その奥に我々が乗るスーパーファーストフェリーというとても速そうな名前のフェリーが泊まっていた。



 バスを降りたところにある青い建物でチケットを買い、フェリーに乗り込む。チケットはデッキが67シートが83キャビンが2人で360ユーロだったかな?デッキにするかシートにするか悩もうとしたが、外は寒いので悩む必要はない。シートにした。

 乗る時間が8時間程長いのでクロアチアからイタリアに渡ったフェリーより、ずいぶん高い気がした。しかしながら、船は、新しくそこそこ奇麗であった。

 出航は13:00ギリシアのパトラ港には7:00の到着予定だ。スーパーファーストフェリーだが乗船時間は17時間結構長い。

 さすがに船内で何も食べない訳にはいかない。レストランで、チヌのような魚のグリルと、グリークサラダというギリシア風サラダ、ビーフの煮込みにビールを注文したら、40ユーロもかかってしまった。Σ( ̄□ ̄;)

 魚は塩気がなかったが、昨夜の塩辛いリゾットと相殺されてよかったかも。

 食事を食べながら何となくカーテンを見ると、なんか虫がいる。よく見るとナンキンだった!! こんなところにもナンキンが!! もしかしたらシートにもいるかもしれないという恐怖が湧いて来た。


 もうシーズンは終わったので、船はガラガラだが、カーデッキには大きなトレーラーが一杯積み込まれ、よくまあこんなに奇麗に詰め込めるなと感心した。

 ガラガラなので、シートを4つ使い、横になったがでこぼこで、傾いており、寝にくい。またナンキンへの恐怖感から熟睡は出来なかったが、翌日は不思議と疲れはなかった。

 7時に入港。奇麗な朝焼けが我々を迎えてくれた。

船から降り、アテネ行のバスが出るバスターミナルに移動するためバス停へ行ったが、タクシーの運ちゃんがバスは運休だといいう。本当かどうかわからないが、バス停で待っていた他の4人はタクシーに乗るので、我々もタクシーに乗った。
 7ユーロ。メーターは使わないので、きっとボラレている。

 バスターミナルで切符を買う。8:15のバスは満員で、9:00のチケットを買う。我々より遅くチケットを買ったフェリーで一緒だったカップルは8:15のバスの最後の2枚のチケットを手に入れていた。なんで?? 並んだ窓口がよくなかった

 今日の宿は、アテネの中央駅の近くのビジネスホテルにした。ダブルで39ユーロ。もっと安いホテルはあったが、だいたい最安値のホテルでいつもナンキンにやられるので、若干高めにしてみた。

 部屋は奇麗だった。バルコニーもある。
 持っている服は、近くのランドリーで洗濯。なんと20ユーロもした。今までで一番高い。洗濯料金がどんどん高くなる。

 ナンキンのキャリアになってないかとても気になるので、バッグの中身を全部出し、ナンキンチェックをしたが、やはり見つからない。それでも気になるので、バルコニーでバッグを日に干した。この日はとてもいいお天気、バッグを触ると、熱い。もしナンキンがいたとしたら、この熱さが嫌になって出て行くはずだ。
よごれモンになっていたくまモンも洗濯し、いけモンになった。

 アテネの観光は、パルテノン神殿見学、アクロポリス博物館、ケラミクス遺跡&博物館、考古学博物館、その他、遺跡少々を見学。

 パルテノン神殿は、アクロポリスの丘の上にあり、市内のいろんなところから見る事が出来る。

 垂直に立ち上る丘を息を少し切らして登る。途中に、野外劇場がある。この劇場の最前列は、貴賓席のようで、細かな彫刻をあしらった椅子が並べられている。その外側の一般席は、縁から25センチ程度が5センチ程高くなっており、そこが座面、後ろの低くなっているところが通路であるということがわかった。座ってみると座り心地は悪くなかった。

観客席

おそらく王様用の席

劇場全体

 もう一つの大きな劇場は、改修され、今でもコンサート等に使われているようだった。

ここの、劇場の観客席の角度がキツく、バレンシアのサッカースタジアムMestlliaを思い出した。キツい坂を上って行くとパルテノン神殿の入り口の門が見えてくる。この階段は大理石で出来ており、その近くの床も天然の大理石だ。

 皆が歩くので、大理石はすり減り磨きをかけた様にピカピカと光り輝いているが、滑りやすい。何人かのお年寄りがひーひー言い、みんなスリッピーと声を掛け合い、注意を促している。

 門を抜けるとパルテノン神殿だ。しかしその姿は、私が知っている姿ではなかった。修復作業中で、クレーンが横に立てられ柱は、セメントで固められており、骨折治療中の様で痛々しい。こちらは裏側だった。

 反対側にまわると、そこには教科書に載っていたパルテノン神殿があった。
 パルテノン神殿の柱は、高さ50センチから1mくらいの大理石を円く削り、縦縞模様を彫り込み、その石を上に積んで出来ている様に見えた。
パルテノン神殿
ポンペイでも同じような形の柱をみたがこちらのほうはレンガを積みその周りをセメントのようなもので固め、模様を作っていたような感じだったので、作成手法が異なっているようだ。

 パルテノン神殿は意外とたいした事無いなというのが感想だが、このアクロポリスの丘から見るテネ市内の景色が素晴らしかった
アテネ市内
市街地には見渡す限り、白い壁の建物がびっしりと立ち並び、人口200万を超える大都市であることをアピールしていた。
アテネ市内
大都市の新市街には、大抵高層ビルが建っているが、アテネには見当たらなかった。おそらく、景観保護のため禁止されているのであろう。

 この高層ビルがないところが良い
夜のアクロポリスの丘
ゼウス神殿はアクロポリスの丘の下の方にあった。ここにはいくつかの柱が残されているだけである。公園を歩いていると、一匹のリクガメのこのこと歩いていた。このカメはこの公園で飼われているのか?謎であるが、カメと神殿を一緒に写真に収めようとしたが、カメのくせに歩くのが早くてなかなか難しかった。


ゼウス神殿


 この公園には、倒れた柱もそのままにしてある。これを見ると、やはり、柱は円い大理石を積み上げて作られている。倒れた柱は、それぞれのパーツ部分で柱がずれて、恐竜の脊柱の様である。私はその様子から、す巻きで表面に縞模様をつけた日本のだし巻き卵を連想してしまった。


 ケラミクスの遺跡は、当時の墓地と、陶芸職人の作業場があった場所らしい。立派なと彫刻をあしらった当時の墓石がたくさんあった。


 また、陶器を焼いた窯跡等もあり、ケラミクスが陶器のセラミックの語源となった等とガイドブックには紹介されている。




 ここは、アクロポリスの丘と異なり、観光客が少なく、のんびりできるが、ここにある博物館では、幼稚園児小学生老人会のお年寄りまで幅広い年齢層の団体ツアー客でにぎわっており、このケラミクスで発掘された、墓石や、陶芸品、彫刻等展示してある。


紀元前の時代にこんな立派な陶器が作られていたなんて信じられない感じがした。

 アクロポリス博物館は、このアテネにはちょいとミスマッチな近代的な建物であった。この博物館は、遺跡の上に立てられているようで、床の下では今でも発掘作業が進められているようで、入り口のアクリル張りの床の下では、作業員が、発掘作業を行っていた。

入り口のアクリル板の下では発掘作業がつづく


 土をかき分け、表面に残った土をブラシで払うと、奇麗なモザイクが見えた。これはモザイクの床の発掘作業の実演なのか、本当の発掘作業かはわからなかったが興味深かった。


 ここにはアクロポリスから出土した彫刻が多数展示されており、色等も再現したレプリカ等もある。彫刻はすべて石の色とおもっていたが、色とりどりに塗られていた事がわかった。写真撮影禁止だったのが残念だった。

 次には、考古学博物館、ガイドブックには、15:00までと書いてあったが、とりあえず行ってみると、20:00までやっていた。

 ここには、特定の一部の地域を除いたギリシア全土から発掘された彫刻や美術品が展示されているらしい。ここでみた彫刻は男性の裸の彫刻が多く、大事なところも変に隠す事なく作られていたが、先っちょが損傷しているものが多く、痛々しい。

先っちょが。。。
左手を伸ばし、右手を曲げて、上を向いたポーズと取った男性像と同じポーズで写真を撮ろうとしたら、ポーズとって写真撮ったらダメと思い切り怒られた。(写真撮影はOK)


 悔しいので、いろんな彫刻のポーズだけ、まねてみると、オジさんが、ちょっと違う、こうだとお手本を見せてくれた。

 しかしながら写真を撮らずにポーズだけ取っているのもなかなか格好悪い

 いつもの様に、この3つの博物館のなかで最も印象に残った作品MIC(Most Impressive C
arving)を決めてみた。

 それは、考古学博物館にあった裸婦像だ。これは、化け物にいたずらされそうになった女性が自分のサンダルで化け物を殴ろうとしている作品だ。
MICの作品
女性の裸の彫刻は少なかったことと、このサンダルのデザインが、現代でも使えそうであるというところで、心にビビッと突き刺さったのが選択の理由である。
現代でも通用しそうなサンダルのデザイン

 アテネという街は、事前情報によると汚く、治安が悪いということで、いつも以上に気を使っていたが、観光地しか行っていないせいだろうか?それともナポリを見たあとだからか?ゴミも少なく奇麗であった。

また地下鉄も、奇麗で、待ち時間も少なく、快適であった。

 オリンピックをやった時にかなりがんばって整備したのではないかと思う。

 しかしながら、列車のボディーに書かれた落書きはナポリを彷佛させるほどの物で、街のあちらこちらの落書きも、少しヤバい感じがする。やはりいつも以上に気をつける必要がある。







 食事についてだが、いままでより2割程度安い感じがする。一皿の量も多かった。気にいったメニューはグリークサラダ(ギリシア風サラダ)大きめに切ったトマト、キュウリ、タマネギのスライス、オリーブ、ピーマンがはいっており、上にヘタチーズがのっているシンプルなサラダで、お好みでオリーブオイル、酢と胡椒、塩を掛けて食べる。
グリークサラダ

 チーズは若干臭うので必要は無いが、これは何の味付けがされていなく自分で適当に味を付けて食べるのがよく、普段家で食べているようなサラダと同じだ。
イワシグリルを注文したら、こんな小さなものだった。
アテネでは悲しい出来事が起こった。ついにくまモンが脱走したのだ。ケラミクスの遺跡で墓石の彫刻と一緒に写真を撮ったのが最後行方不明になってしまった。

 最近、くまモンの写真を撮る事をよく忘れるので、いじけたのかもしれない。

 おそらく今頃は自由な旅を謳歌しているだろう。1000年後、ケラミクス遺跡で発掘されるかまたは、既にケラミクスの博物館に陳列されているかもしれない。

 我々は、傷心のまま、アテネを後にした。


2013年10月21日月曜日

おっぱい屋根の街 アルベロベッロ

 バーリから、電車で1時間半くらい行ったところのアルベロベッロという街に行って来た。
ここは、石を積んで円いドーム状の屋根と作ったトウルッリという名前の建物がたくさん集まる町並みが世界遺産となっている。

 列車がアルベロベッロに近づくと、車窓からもトウルッリが見えるが、単なる物置小屋のようである。


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 駅から10〜15分程歩くとその町並みはあった。
 小高い丘の麓から、上までびっしり、トウルッリが立ち並んでいる。なんだかテーマパークのような感じさえする。

アルベロベッロのトウルッリ

 ここは観光化されており、殆どのトルッリがお土産物屋さんや、レストラン等になっているようだ。





大抵のトルッリは平たい石を積んで作ったドーム状の屋根を2つ並んで作ってあり、屋根の先端には円いものが付いており、先端から50センチ程度白く塗られているものが多い。
屋根は平たい石が積まれている
屋根の先は白く塗られている物が多い


 その様子は、どう見ても女性の乳房のようでしかも、乳首をつまんで上に引っ張ったような形のデザインである。何故にこのようなデザインにしたのかが非常に興味深い。

おっぱいに見えてしまう。

くまモンも屋根の形が気に入ったモンと言ったかはわからない。

 中は天井がはやりドーム状になった形をしている。中に入ると、別の棟に屋上があり、そこからの眺望を楽しませてくれるお店もある。

 通りを歩いていると、日本語で話しかけてくる店員さんも多く、レストランのメニューも日本語対応しているようである。

 入り口に「陽子のお店」と書いてあるお店があった。出かけているのか中には誰もいなかったが、この陽子さんが教えているのかもしれない。


 なんでこんな家が多いかはガイドブックには、この屋根の構造はすぐに壊れるようになっており、役人が家の税金を取りに来た時にすぐに壊せる様にと、脱税対策であったと書かれていた。

 しかしながら見た感じ本当に、簡単に壊す事が出来るのかは、疑問である。


 なかなか面白い町並みではあるあが、それだけである。2〜3時間見学して、バーリに戻った。

降り口には花が飾られオサレさを演出

 バーリの街は、ナポリとは違い、ゴミも殆ど落ちてなく、清潔だ。宿は、ナポリの宿の方が奇麗だけど。。。

 旧市街まで歩いて行ってみたが、もう日は落ちてしまっており、旧市街の中に入ると、道は狭くクネクネしており、人通りも少なかったので、安全を考慮して、奥までは行かなかった。



バーリの旧市街の中。暗いとはいえまだそう遅くない時間だが。人がおらずヤバいア感じ

 この日は、イタリア最後の日。オサレなレストランを見つけたので、そこで食事をすることにした。

オサレなレストラン

 最近野菜を食べていなかったのとお米が食べたかったのでサラダと、リゾットを注文。それと、メニューがあまりよくわからなかったが、魚も食べたかったので、アンコウとエビのなんとかというのを頼んでみた。

 そのなんとが来てみてびっくり、なんとかはでっかいペンネだった。なんと、炭水化物だらけだった。

 アンコウは、日本では高級魚で食べる事は少ないが、こちらではメジャーな魚のようで、魚屋ではよく見かける。日本で食べるアンコウは少し身が柔らかく、水っぽい感じがするのだが、このアンコウ、身がプリッとしまり、美味しかった。

 しかしながら、ペンネとリゾットと交互に食べるのは辛い。

 リゾットは、一見美味しいが、塩の分量間違えただろうと突っ込みたくなるほど塩辛かった。パンの味も塩気がつよく何も中和することができない。この辛みを中和できるのは白ご飯しかないが、悲しいかな、リゾットはご飯で、ご飯をご飯で中和するのは嫌なのだ。

塩辛リゾット

 こんな塩辛い物を全部食べたら、血圧が上がりそうだと思い、半分以上残してしまった。

 食事後、満面の笑顔でイケメンウエイターが、どうだ美味しかったか?良かったか?と聞きに来た。大量に残したリゾットを前に、嘘はつけない。塩気で血圧が上がってたのかもしれない私は、「Sorry no good too salty」と思わず叫ぶように答えてしまった

 他の客は振り返ってこちらを見ている。

 イケメンウエイターは顏を赤らめ、苦笑いをして引き下がって行った。
 少しプライドを傷つけられ、彼の血圧が上がらないか心配になった。

 日本でも少し高いレストランに行くとそうだが、海外では大衆レストランでも大抵、良かったか?美味しかったか?と美味しかったと答えても、再度又しつこく聞かれる。最近そのしつこさに少し嫌気がさしている。

 これはCS調査(顧客満足度調査)なんだろうか?この答えは今後のレストランの経営に反映されるのだろうかといつも思っているのだが。今まではそう美味しくなくてもgoodと答えていたが、こういうのって、正直に答えるべき物なのか、社交辞令的に良かったよと言うべき物なのか悩む。

 他の人はどう答えているのだろう? 調査してみたい所である。



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2013年10月19日土曜日

イタリア、バーリでのナンキン大虐X 

 なんでも世界一の街、ナポリを離れ、バーリまでバスでやって来た。

 バーリ行きのバスに乗るため朝6時半にバスターミナルに行くと、まだチケットオフィスは閉まっていた。6:40くらいにオフィスが空き、チケットを買おうとしたら、バーリ行は別のバス停で、チケットは車内で買えという。

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昨日確認しに来たときはそんなことは言ってなかったのに。ヽ(`Д´)ノ

言われた通り、ラマダホテルの前行くが目の前はバス停らしき物はない。ラマダホテルのフロントに尋ねるが、バスはたくさんあるからわからない。ノーアイディアだ。と言う。

 自分のホテルの前のバス停の発着も把握していないのかと思ってしまった。

 ホテルの前に立っている人にバーリに行く人がいないか聞いてみるとみな違うという。
通りがかりの黒人男性が、バーリに行くのなら俺も行くから付いてこいと言ってくれ、100mくらい先のバス停まで行き、ようやく一安心。

 予定の7時になるとNAPOLI-BARIと書いたバスがやって来た。ところが反対車線。黒人男性は、大丈夫、Uターンして戻ってくるからという。

 しかしながら、7時を大きくまわっても一向に、バスの来る気配はない。黒人男性は何やら他のバスの運転手に聞きに行っている。

 我らは、さっき行ったバスで良かったんじゃないか、この黒人間違っているのではないかと、思い始め、妻と話していると、黒人男性は時間が変更になった7:25だという。

 さっきほかのバスの運転手に聞いていたとはいえ、その運転手が変更になった時間を知っているとは思えず、嘘だろと思っていた。

 7:40頃バスはやって来てホッとした。 黒人男性は優しいいい奴だった。疑ったりして悪かったと反省した。 

 まあ前回忘れていたが、電車のバスの時間が不正確なのも今の所ナポリがNO1である。


 バーリの宿は高かった。100ユーロ以上するところも多く、ドミでも一人20ユーロくらいだ。ナンキン虫が恐い。そんななかで、ようやく、2人で33ユーロのプライベートルームを見つけ予約しておいた。自分が探した中では最安値だった。

 行ってみると、そこは、普通のマンションで、その中のお部屋を数室、貸しているようで。オーナーはそこに住んでいるようだった。

2Fなのだが、外から見ると、他の階の窓は奇麗なのに、そこだけボロかった。

 中もなんだが雑然としており、大きな犬が2頭飼われていた。

 それでもベッドのシーツは白く一見清潔そうに見えた。

 部屋にいると突然、ドアが空いた。ビックリしてみると、そこには大きな犬が立っており、シッポを盛んに振っている。

 かわいいが、俺は犬が家の中にいるのは嫌いだ。ちゃんと洗ってはいるのかもししれないが、ノミやダニを飼ってそうで衛生的な感じがしないからだ。

シッと部屋の外に追いやったが、犬好きの人は部屋の中まで入れる人もいるだろうなと思った。

 夜寝ていると、なんだか手足が痒い。痒くて眠れない。電気をつけてベッドを見ると、何か虫の死骸のようなものが付いている。妻が、シーツをはぎ、見るとナンキン虫が動いていた。

 あー虫だーと妻は叫び、ティッシュで潰した。他にいないかと探すと、出てくる出てくる。中には丸まると太った奴が。潰すとプチッと音がして、真っ赤な血が出て来た。

 ヤッパリ、知らぬうちにナンキンに献血してしまっていた。
 思わず血液泥棒!!と叫んだ。

 いままでに何度もナンキンにはやられて来たが、いままで姿を見た事はなかった。いつも寝ている間に出て来て、すぐに引っ込む。ニンジャみたいな奴だ。
 今回初めてみた、姿形は、なんだか映画に出てくる化け物みたいで気持ちが悪い事この上ない。
戦死したナンキン。ネットで調べたナンキンと同じなので間違いない。

 とりあえずシーツを全部チェックし、大騒動して、見つけたナンキンはすべて殺した

 この事件は、昔の深夜番組「カノッサの屈辱」風にいうと後にバーリでのナンキン大虐x事件。と呼ばれるような大事件だ。国際情勢を考慮してあえて伏せ字にしておいた。

ちなみに、カノッサの屈辱知らない人はこちら。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%B5%E3%81%AE%E5%B1%88%E8%BE%B1_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)

 しかしまだマットの中に潜んでいる可能性がある。このまま寝れない。ナンキンは暗くなると出てくると何かに書いてあったので、電気をつけっぱなしにして、ベッドの上にエアーマットとサバイバルシートを敷いて寝た。

 銀色のサバイバルシートはアルミホイルのようで、暖かく、ホイール焼きの具になった気分だった。

 ナンキンは、ゲリラ的で、姿が見えずやられる一方だったが、今回はしっかり反撃する事ができ、我々は初めての勝利だった。
 
 しかしながら我々の被害も大きく、自分は左右の足のくるぶしを中心に10数カ所、左手の人差し指の腹を10カ所程度、薬指を1ヶ所やられた。左手の人差し指は曲がりにくい程に腫れてしまった。

 妻も、腕と足と、胸をやられた。ナンキンにおっぱいを吸われたかもしれない。スケベなナンキンだ

 ナンキンに刺されると半日から1日後、赤く晴れ上がり猛烈に痒くなる。酷いときは、水ぶくれが出来る。猛烈なかゆみは2〜3日続き、その後、枯れてくるが、しつこい物は数ヶ月痒い


 刺されたところは基本的に、服から出ているところだ。妻の胸は、おそらくごそごそと、服の中に入って来たのだろう。俺の指をナンキンが這って行ったかと思うとぞーっとする。


 宿に文句を言おうと思っていたが、翌朝9時のチェックアウト時、ナンキン騒動を察知したのかどうかわからないが,宿のスタッフはいなかった。呼んでもでこなく、文句も言わしてもらえなかった

 旅に出てから、ケアンズ、ニュージーランドロトルア、チリのサンチィアゴ、アルゼンチンイグアスの滝、ペルーのナスカ、メキシコのプラヤデルカルメン、スイスのインターラーケン、スペインのグラナダ、モロッコのワルサザード、そしてイタリアのバーリと何度も何度もナンキンにやられている。我々の旅はナンキンとの戦いである。

 今後、世界一周に出ようとしているカップルに忠告するが、絶対に裸で寝ない方がよい。大事な所をやられたら一巻の終わりだ。ちなみに、自分はいつもTシャツとジャージだだが、怪しいと思ったときは、靴下を履いて、雨合羽を着て寝る事にしているが、暑い日はなかなかそうはいかない。


 それにしてもものすごい頻度だ。自分たちがナンキンキャリアになっていないか心配だったが、今回は、ベッドの下からたくさん発見されたので、明らかに宿にいた奴だ。

 バッグの中は何度もチェックをしているが見つかっていないし、服は出来るだけコインランドリーで、高温で洗い、乾燥機で乾かし、乾いた物はビニール袋で遮断しているのだが。。。

 日本では、ナンキンは撲滅したと聞いている。自分が子供の頃、年に1回家の中を消毒に来ていた。消毒がくると、家の中が真っ白になり、半日、家には入れなかった。おそらくこういった地道な作業によりナンキンが撲滅されたのかもしれない。

 是非是非、ホステルも年に1日休業して、消毒してほしいのである。

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2013年10月17日木曜日

何でもNO1な街 ナポリ

 クロアチアのプリトビッチェから、バスに乗り、ザダール経由でスプリトの街に戻り、そこからフェリーに乗り、イタリアのアンコーナへ。アンコーナから列車を乗り継ぎ、イタリアのナポリにやって来た。実に34時間の大移動だった。
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 フェリーは、シート席ではゆっくり寝れないので、少し高かったが、2人部屋を利用した。部屋はカーデッキの下の2Fで、迷路のような通路を通り部屋にたどり着く。
迷路のような船内
ドミトリーのような2段ベッドと、バストイレ付きの部屋だった。意外に広く快適だった。
我らのキャビン
マイアミから乗ったクルーズ船とは格が違うが、ベッドはちゃんとしたマットレスで寝心地がいい。エアコンも効いていてちょうど良く、シャワーも熱いお湯が大量に出て、気持ちよく使う事が出来た。
バスルーム
揺れも殆どなく寝ていたらあっという間だ。

スプリトの夜



朝焼け
アンコーナの港からバスで、駅まで向うが、バス停の場所がわからないので、他の人達の後を付けていく。しかし、一向にバス停につかない。他の人に駅行きのバス停に行くのか?と尋ねると、多分ね。自分たちも何処に行っているかわからないとみんな同じ答え。

 結局、30分くらい歩き、駅に着いてしまった。なんだか、交通の案内があまりよくない印象。

 切符売り場でナポリまでというと、今列車は無いよ。次は、1時45分よと言う答え。船が遅れたのと、駅まで歩いたので、8:50の列車に乗り遅れてしまった。自分の調べでは、10時台と11時台の列車が有ったと思ったのだが、仕方なしに、1時45分のチケットを買った。

 後でわかったが、10時と11時台の列車は、経由地が違い2回乗り換えが必要だった。おそらくは、ローマ経由の便しか窓口は教えてくれなかったようだ。不親切きわまりない。

 時間があるので、アンコーナの街を観て廻ったが、たいした街ではなかった。朝早いので、レストランも開いておらず、カフェでカップチーノを飲みながら時間をつぶした。
アンコーナの街

アンコーナの街
12時過ぎて、レストランが開いたので、駅前のしょぼいレストランでスパゲッティーボンゴレと、ペンネアラビアータを食べた。

 ボンゴレは、少し塩っぱかったが、自分が入社したての頃、横浜の寮の近くのよく通ったピザとスパゲティーがお気に入りのお店の味にそっくりだった。アサリの身がやせているのと、時々、殻が割れていてガジッとするのはご愛嬌で、おいしかった。
 あの店は、本場の味だったんだなと今更ながら思ったのであった。
ボンゴレ
ナポリは、治安が悪くヤバい街という情報をよく聞いていたし、スプリトの公衆トイレで、財布から現金を抜き盗られたばかりで、気をひきしめて、リュックのジッパーにはしっかりとを掛けていた。

 ナポリの駅から宿に向かう途中。背中のリュックが一瞬軽くなった気がした。しかも2回。振り返ると、体の大きな男が、すっと横に移動した。おかしいなと思って、リュックを触ると、鍵を掛けていなかった一番外側のジッパーが空いていた。

 金目のものは入っていなかったけど、「やられた!」と思い、妻を呼び止め、怪しげな男をガン見してたら、その男、俺のフィルターケースを差し出し、ごめんと言って、仲間と足早に歩いて行った。

 盗ってはみたが金目の物ではないので返してくれた訳だが、自分はスリですと言っているようなものだが、どうせ訴えられないし、捕まらないと思っているから返してくれたんだろう。
なめていやがる
でもフィルターケースにはクローズアップレンズが3枚ははいっており、1万円くらいはするので、なくなったらなくなったで痛いのだ。

 今回は、前回考えた抜本的スリ対策を実行していたおかげで、結果的に何も盗られなかった。

 何も盗られなかったら良かったじゃないと妻はなだめてくれたが、奴は私のイタリアとナポリに対する愛情を盗って行った

 ナポリの街、危険度NO1だ。

 イタリアは、7年くらい前に一度来た事がある。そのときはパックツアーで、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマを回っているので、今回はパスして、イタリアはナポリだけ見る事にしたのだ。

 前回のイタリア旅行では、食事がついていたが、修学旅行生が行くようなレストランが多く、おいしくはなかった。自由時間に行ったレストランでは高いコース料理を頼んだにも関わらず、ステーキの上にカレーソース等がかかっており、がっかりのお味で、今回のイタリアでは食事のリベンジを果たすのが、目的でもあった。

 到着した日は、スリ未遂事件にも遭い、ちょっと、気分がめげてしまって、あまりレストランを探し回る気が起こらず、駅のマクドナルドで食べてしまった。この旅での分の盛り下がり度NO1だった。

 翌日は、妻が調べていたレストランで、タコとムール貝のスープ、

イワシのマリネ、

スパゲティーポモロドーロ
等を頂く。タコとムール貝のスープには、タコ、アサリ、ムール貝、エスカルゴ等がはいっており、アサリは少し臭くダメだったが、タコはふわっと柔らかく、ムール貝はプリプリ、エスカルゴもコリコリした感じでおいしかった。

オジさんが丁寧に時間をかけてスープを注ぐ。ものすごいこだわりを感じた。
お洒落のおの字もないレストラン。
また、スパゲティーポモロドーロは絶品だった。

スパゲティーポモロドーロは、トマトだけのスパゲティーで、この名前を知ったのは、10数年前に行ったタイのサムイ島のイタリアンレストランで一番安いスパゲティーを頼んだときだった。このときは、「なんだこの具無しパスタ」と思っていた。実際にあまりおいしい物ではなく、この時以来、具の無いパスタは頼まない事にしていたのだ。

 しかしながら、ここのポモロドーロは、本当においしかった。トマトソースは少し酸味があり、オリーブオイルとよくなじみ、具がなくてもボリューム感があり、旨味が感じられた。また麺の固さも良かった。

 このポモロドーロ、うどんで言ったら、「すうどん」に相当するものかもしれない。讃岐うどんの本場では、ゆでたうどんに生卵をかき混ぜて食べるのが美味いということであるが、それに類するものみたいだなと思った。

 そして、ナポリと言えばピザ。多くの方から、「ナポリのピザを食え」とご推薦を受けた。
ナポリ在住の日本人ご推薦というお店を誰かに教えてもらい、早速行ってみた。

 宿からはちょっと離れている、暗い夜道を少し恐い思いしながら歩き、ようやくたどり着いた。中に入るとお店はガラガラ? 
オジさんが釜で丁寧にピザを焼いていた。
注文したのは、DOCという最高級のモッツァレラチーズを使ったもの。このDOCと聞いて、何故か俺は、叶姉妹を思い浮かべてしまい、気持ち悪くなり、やめよう思ったのだが、あれはDHCよと妻に言われて、注文した。もう一つはサラミとペペロン。サラミはどうでもよかったのだが、ペペロンが食いたかった。
ペペロン
DOCは、チーズにミルキーを砕いていれたのではないかと言うくらいミルキーな味がして、おいしかった。また、ペペロンは、食べていると後からジワーと聞いてくる辛みでビールがすすみ、病み付きになりそうだった。
DOC
店を出て、隣を見ると、やたらと、人がたくさんいる。何の店だろうと思ったら、barで、道路に立ち飲みしている人だったが、もう1軒奥にまた店がある。そこもピザ屋さんで、自分たちが行った店より遥かに混んでいる。
人気のお店
店の名前を見たら、自分たちがいこうとしていた店はこちらだったということが判明した。アメリカ在住という日本人女性と一緒の男性に、日本人ですかと聞かれ、しばらくその前で話をした。彼らはビールとシャンパン片手に、その店の順番待ちをしていたのだ。

 BARにいたたくさんのお客さん達も、実はそこのピザ屋さんの順番待ちの人達だった。しばらく話をしていたら、彼らも名前を呼ばれ、お店に消えて行った。

 店間違ったんだから、再度挑戦しなければならなくなってしまった。翌日ランチにこの店にやって来た。12時頃に入店すると、待たずに入れた。注文したのは、マルゲリータとルッコラと生ハムのピザ。ピザ2枚はいらないが、この店ピザしかないのだ。
マルゲリータ
 ルッコラのピザは、運ばれて来たときから、ごまのようなルッコラの風味がして、よかった。家の庭に、ルッコラを植えていた事があり、我が家で穫れたルッコラは、ピリッと辛かったが、同じ様にこのルッコラも辛みがあり、我が家のルッコラも正しいルッコラだったんだと、なんとなく安心した。(笑)

マルガリータもおいしかった。
 ピザの生地自体が、少し塩辛く、一枚食べてしまうと、喉が渇く。具が乗っていない、最外周の生地の部分を残している人も多く見かけた。これは、やはり塩辛いからなのかなと思ったりもした。

 イタリアで食べたのは全般的に塩辛いものが多かったような気がする。夜中に目が覚め、何度も水を飲んだ。イタリア人の血圧は、大丈夫だろうかと少し心配になった。
シーフードパスタ

以下とエビの唐揚げ

 高いお金を出せば、何処でもおいしい物は食べれる。しかしながら、そこそこの値段で食べられる物が、その国の食のレベルを表すものだと個人的に思っている。
そういう意味で、ナポリは食事NO1だ。

 レストランでは残念な事もあった。カプリ島でピザとスパゲティーを注文したが、注文していないサラダがやって来た。頼んでいないというと、そうかと言って、下げて行った。次に、スパゲティーと一緒にまた別のサラダを持って来た。これは何と聞くと、メニューを広げ、18ユーロもするサラダを指差した。頼んでいないというと、今度はそのオジさん、お前は頼んだ。と言う。頼んだ頼んでない喧嘩になり、他の客からも注目を浴びた。

 ウエイターは、自分が書いたメモを持って来て、ほらここに書いてあるというが、頼んでない物は頼んでいない。しばらくもめた後に、ウエイターは皿を下げて行った。本当に間違えたのか、高い料理を食べさせようとした確信犯なのかわからない。
カプリ島
別のレストランでは会計が22ユーロだったので30ユーロ渡したら、5ユーロ札と1ユーロ玉とあと小銭が少々。ちょっと足らなさそうだなと思い、数えていると、店員は、すかさず、ごめん間違ったといい、コインを私の手から奪い取り、別の店に両替えしに行き、正しいおつりを返してくれた。こいつは釣りをごまかそうとした確信犯だ。

 ウエイターの怪しさNO1だった。


 もう一つ美味しかったもの、名前なんていうのか忘れてしまったが、蛤みたいな形をした、お菓子。我々は蛤パイと呼んでいた。
ソレントで食べた蛤パイ。
これは、表面は細かいヒダヒダで覆われており、中にクリームが入っているお菓子。最初に食べたのはソレントという街。食べると、ヒダヒダ部分がパリパリといい音がして、中からたっぷりのクリームが現れる。このクリーム何で出来ているかわからないが、程よい甘さで、ほのかな塩気もあり、レモンの酸味とが3味一体となって、絶妙だった。

 ナポリの別の店で同じお菓子を買ってみた。この店は、妻が、ネットで、おすすめされていたお店まで、わざわざ行って買ってみたのだった。ここでは、出来立てホカホカのあったかい物をくれた。外側の皮はパリパリで最高だったが、いかんせんクリームが少なかったのが残念だった。この店のクリームにはオレンジピールがはいっており、中のクリームは各店で、工夫されているようだ。

ちなみに、ホテルの近くの店で、コーヒー味、レモン味のクリームのものに挑戦したが、これも美味かった。
 お菓子もNO1。(一応ベルギーの高いチョコは別格、フランスのお菓子は高すぎて食べていない。(T-T))

 ナポリの街を歩いていると、とにかく汚い。道端にはゴミが散乱しており、ゴミ収集用のゴミ箱はあるものの、その周りには回収されないゴミが積まれている。汚いとは噂には聞いていたが、その通りであった。
回収されないゴミ
夜、食事から帰ってくる途中、ゴミ箱が赤い炎に包まれ、燃えていた。自然と発火したのか、誰かがおもしろさ半分で、火をつけたのか、それともゴミを処分したくて、わざと燃やしたのかわからないが、道端にあるゴミ箱が燃えているのだから、異常である。
燃えるゴミ箱
街の汚さ、NO1である。

 ナポリからポンペイの遺跡を観に行く事にした。
 ポンペイは、ナポリから近郊列車で、30分のところにある。この列車に乗ろうと駅に行ったのだが、列車のホームがよくわからず、切符をどうやって買うかまたよくわからない。
 交通システムのわかりにくさNO1である。

 またこの列車落書きだらけでおそろしく汚い。落書きを消したような、努力のあとも伺えるが、おかげで、列車の塗装もぼろぼろである。
  列車の汚さもNO1だ

 ポンペイの遺跡につくと、広大な敷地にこれでもかというぐらいに、遺跡がある。
ポンペイは、今から2000年弱前に、発達していた古代都市で、近くの火山の爆発により、砂に埋まってしまった都市であるということは何となく知っていた。


ローマは一日にしてならずという言葉があるが、ポンペイは一日にして壊滅ということらしい。確かにいろんな物を作り上げるのは時間がかかるが、壊すのはあっという間だ。

 我々が住む日本の熊本には、阿蘇の火山がある。まだ活動中だ。また対岸には雲仙の普賢岳がある。十数年前の普賢岳の大噴火では、対岸の島原の街は火山灰で埋まってしまった。我が熊本の街でも火山灰が降り、洗濯物が干せない毎日が続いた。

 噴火が収まり、島原に行くと、埋まってしまった多くの家を見る事ができた。火山の恐ろしさは我々も体験しているのだ。

 被害に会った方々には申し訳ないが、数千年後、もしかしたら、島原は遺跡として発掘され伝説となっているかもしれないと思った。


 ポンペイには広大な敷地にものすごい数の住居跡や、劇場跡や、公衆浴場跡等、街が丸ごと埋まっているのだから何でもある。
壁画

ワイン屋さんだったとガイドの説明を盗み聞き

公衆浴場 テルマエロマエを思い出させる
特にすごいと思ったのは、劇場。楕円形の劇場で、ローマのコロッセオと同じような感じだ。ここでどんな催し物があったのだろうか?
奇麗に残っているので
新しい物か、噴火で埋まらなかった物かもしれない。
劇場の中央に立ち、「あー」と叫んでみた。ものすごく良く響く。
円形劇場 この中心で、愛を叫んでみるのもいいかも
手も叩いてみた。同様に良く響く。場所を少しづつずらしながら、同じように叫んだり手を叩いたりしてみると、だんだん、中央からはなれていくと響かなくなる。ここは真ん中が一番音響効果が良くなる様に設計されたのだろうか?今から2000年以上も前にそんなこと考えて作ったとしたらたいした物だ。

他人のふんどしで写真を撮ってみた。

自分のふんどしでも撮ってみた。

松の木が多かったのも印象的である。
このポンペイの遺跡のスケール、質ももNO1である。

 ナポリの街を歩いてみる。ケーブルカーに乗り、要塞の上に登ってナポリの景色を眺めてみた。港には、大きなクルーズ船が3隻泊まり、他にも大きなカーフェリーが泊まっている。

これだけ大きな船がいくつもつける岸壁をもつ港はそう多くはないだろう。
 港の大きさもNO1クラスである。

 ケーブルカーの名前はフニクラーレというらしい。妻はイタリアの歌「フニクラフニクラ」のフニクラじゃないかと言う。この歌はきっとケーブルカーに乗って出かけようという歌ではないかと言う。これはまだ調べていないから本当かどうかわからない。

 妻の感が鋭いかどうか、暇な時に調べてみたいと思う。

 ピザ屋さんでピザを食べていたら、フニクラフニクラが流れて来た。日本では「のパンツはいいパンツ〜♬」と言う歌詞だ。いったい誰が、この歌詞をつけたんだろう。イタリア人は日本ではこの歌が鬼のパンツの歌だと知っているのだろうか?。

ちなみにちょいと調べたら、この歌詞の作者は不明だそうだ。
http://www.worldfolksong.com/songbook/italy/funiculi-funicula.html

 ナポリの道を走る車の数自体はそう多くはないとは思うのであるが、横断歩道には信号器があることはあり一応守られているようだが、信号が正常に動いているか心配(両方青になっていないか等)で安心できない。交通量は多いのに信号がないところも多く、道を渡るのに緊張する。また道がぐちゃぐちゃで、渋滞も多い。
 交通の悪さもNO1である。

 ナポリに来てから、調子悪かった喉がさらに調子悪くなった。原因は空気のせいだと思う。車はそんなに多いとは思わないが、街全体が排気ガス臭い。なんだか東南アジアや南米にいるみたい。自分の経験では、排気ガスの臭さはフィリピンが1番だが、ヨーロッパではナポリがNO1だ。

 他にもNO1はある。

 英語の伝わらなさNO1。(宿でもなかなか伝わらない。ちなみにGoogleでイタリア語に翻訳したのを見せたが通じなかった)

 トイレの便座のない率NO1。(ホテルのトイレにはあるが、公衆トイレやレストランのトイレにはまずない。)

 トイレの鍵がない率NO1。(エアー便座で大きなバッグを抱えて大をする姿は絶対に人には見られたくないのだが、鍵がないのでドアを押さえなければならず、体勢がアクロバティクになる)

 トイレにビデが有る率NO1(安宿にもビデがある。この辺りにイタリア人のこだわりが感じられる。ちなみにウオッシュレットの代わりに使おうと挑戦したが、水が出る角度が悪く、お尻がびしょ濡れになった)
 
 お土産のオリジナル率NO1.(見た事ない物がたくさん売られていた。ジオラマのような人形はナポリで作っているのだろう。「No Cina」「中国製じゃない」と這ってあるところにナポリ人のプライドを感じるが、なぜ「Made in Napori」と書かないのかが謎である。
 



 とまあ強引なものもあるが、何でも一番だからと喜んではいけない。ネガティブな物の一番が多いからだ。でも、他で経験できないような様々ことがあり、ナポリという街はなかなか楽しかった。

 特に食事はおいしく、到着後にすり盗られた私のイタリア、ナポリに対する愛情を食事が、取り返してくれた。

 いろいろくだらない事を書いたが、ゴミの問題だけは改善してもらいたいものだ。ゴミを放置すると、なんだ捨てていいんだと思われ、みんな捨てる。ゴミがゴミを呼び、街は荒れて行く。また変な菌等も発生し、人々の健康も害する。
 財政難という話も聞くが、是非是非改善してもらいたい。そうしたら又、訪れてみたい。

 データ 宿泊日 10月1日〜4日
 宿       Bed & Breakfast Napoli Centrale ダブルルーム 44ユーロ/泊
        Hotel Garden Napoli ダブルルーム 45ユーロ/泊
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