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2013年10月15日火曜日

クロアチアの港町スプリトで金盗まれる。

 ドブロヴニクから、バスで、5時間くらいだったろうか?スプリトという港町に到着した。ドブロヴニクは、クロアチアの飛び地になっており、途中、隣の国に一旦入国してから、再度クロアチアに入国する事になる。
スプリト行のバス
バスの中に係員が乗り込んできて、一人一人パスポートのチェックをして行く。またクロアチアに入国するときも、同様だ。
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 港近くのバス停に停まり、バスを降りた。港にはたくさんの小型クルーズ船と1隻の大型クルーズ船が泊まり、奥には旧市街の古い塔が見え、なかなかいい絵になる街だ。
スプリトの港から
イタリア行のフェリー
イタリア行のフェリー
予約した宿に向かったが、看板もなく、住所だけ確認して、たどり着いたが普通の家。小さい紙に、電話しろと書いてある。電話なんか持っていない

 途中にネットカフェがあったので、そこからスカイプで電話できないかと思い、行ってみた。店のオヤジに、Wifi有るかと聞いたら、無いという。電話掛けたいんだけどどこか電話あるかと聞くと、俺が掛けてやるよと、携帯を取り出し、電話を掛けてくれた。OK、10分後に来るぞという。御礼を言い、サービスだと思ったが、お金は必要ないかと聞いてみると、何と200ユーロだという。私が笑っていると、来年で言いぞと言われた。オヤジと来年又来ると守れない約束をして店を後にした。

 何も説明しなくてもやってくれたからそういう人は多いのだろう。しかし、宿側は、付近の住民に迷惑かけていると思わないのだろうか?などと思いながら、待つが、なかなか来ない。

宿の前の道

 20分位して、ハアハアいいながら、青年がやって来た。文句言おうかと思ったが、ハアハアしてるので許してやった。自己紹介して握手。名前はマルコ。またマルコだ。

 マルコと言えば、母を訪ねて3千里の主人公はマルコだが、彼は、たしかイタリアのジェノバからブエノスアイレスに向かったのだと記憶している。クロアチアではなかったはずだ。

 ここも普通の1DKの部屋を貸してくれるアパートメントタイプの宿だ。小さいながらキッチン、洗濯機もついている。早速、洗濯

 全自動洗濯機だが、脱水がアマい。タオルを手でしぼったらまだじゃんじゃん絞れた。Σ(@ω@;)

 物干し場は部屋の窓から隣の家の壁にロープがかかっている。滑車が着いているので、一枚ロープに干して,洗濯バサミで止めたら、ロープを引くと、洗濯物が奥へ行き、順番に干しせるという憧れの物干ロープだ。

 干し終わり、下から,洗濯物を見上げてみると、風に洗濯物がひらひらと気持ちがいい。

洗濯なんかどうでもいい。観光だ

この街は、古代ローマの時代の宮殿の中に中世になって、庶民が暮らし始め、古代ローマの遺跡の上に中世の建物が建てられている街だそうだ。
城壁の中
そんな中途半端な知識だけで、街の中に入って行く。街のなかは建物と建物の間が狭く、迷路の様になっている。そんな通りを進んで行くと広場があった。広場の周りは、レストランが立ち並んでいる。なかなか奇麗なレストランだ、さらに奥に進むと、教会があり、この街のシンボルの塔がある。

 このあたりは、ローマ時代の遺跡が残っているようだ、7年前ローマで見たようなデザインの壊れかけた柱等が、みられる。
多分ローマ時代の名残
そこからトンネルのがあり、中に入ると、そこはローマ時代の宮殿の地下室で、今はお土産物屋さんが立ち並んでいる。さらに奥にいくと、地下室の展示場がある。お金を払い、地下の展示場を見学するが、宮殿を支えていた、柱が有るばかりで、地下の中は、何となく変な匂いがする。
真ん中からトンネルに入る
地下のお土産物屋さん
最初に見た部屋はには作業用のような機材や、照明器具等が置いてあり、写真を撮っていたら、体のデカい用心棒みたいな男性に、写真撮るなと怒られた。なかなか恐い

ドンドン奥に、進むと、匂いがさらにキツくなる。
一番奥にはトイレがあった。匂いの正体はトイレの芳香剤だった。
猫の足跡がコンクリにあった。
犯人はこいつか
帰りにさっき怒られた部屋の前を通ったらさっきとなにか様子が違う、覗いてみると、先ほど準備されていた照明器具が光り、部屋の中がのようになっている。映画か何か撮影をしていたのだった。さっき怒られた理由がわかった。
たぶん映画の撮影
映画の撮影にはもってこいの場所だ。

 翌日は、上半身半裸の男性がテルマエロマエの阿部寛が着てたようなローマ時代のような衣装を着てその辺りをウロウロしていたので、間違いなく映画かなにかの撮影だ。どの映画かわかったらぜひ見てみたい。

映画の撮影かな?
夕暮れ
夕方の街はオサレだ
夕食は久しぶりに自炊。美味しかった。自炊の飯が上手いのは自分で作ったので評価が甘くなる。
ペットボトルのビール。クロアチアは進んでいるぞ。
朝起きて、港の方を見ると、岸壁に大きなクルーズ船が1隻と、沖にさらに大きな船が停泊していた。沖の船は、我々がマイアミからバハマに行った時に使ったノルエージャンの船だ。ちょと懐かしくなったりもするが、我々が乗った船と全く違う船だ。
ノルエージャンのJADE号
近くにビーチがあると言うので、歩いてビーチに行ってみる。途中の道は岸壁になっていて、何処からやって来たのか、ヨットや、クルーザーなどプライベートな船がつながれている。お金持ちの人がおおいものだ。

 この岸壁の道路にはたくさんのプレートがはめ込まれている、これは、オリンピックでメダルを取った人達の記念のプレートだ。1964年の東京オリンピックのものもある。
俺が生まれた年の東京オリンピック銀メダルのプレート
ビーチは特に奇麗な砂浜があるわけではない。岩場に、金属製のはしごがつけてあり、そこから海に入る。底が白い砂でないので、よくわからないが水は、奇麗なようにみえる。
しかしながらもう10月に入ったので、水着姿の人達も少なく、少し寂しげな感じだった。

 夜は、お祭りがあるようで、街がにぎやかだった。メインの通りにはステージがあり、我々が偶然通りかかった時に、ライブ演奏が始まった。

 若いお姉さんが歌っていたが、当たり前だが、歌がうまいく迫力がある。曲は、レディーガガや、マドンナ、なんかスペイン語のような曲、そして、「君の瞳に恋している」だったかな?等々。何となく青春時代(森田公一とトップギャランではないぞ)を思い出す。

 途中で、ティナ・タナーと紹介されて出て来たオバさん。おそらく70近いと思うが、この人がまた、すごい。ミュージカル「マンマミーア」のオバさんトリオを思い出させるような、パフォーマンスだった。

 おそらく、クロアチアのティナ・タナーと紹介してくれたのだと思う。

 その後、キーボードの男性と、若い女性のボーカルで、世界中の名曲を披露してくれた。
韓国のカンナムスタイルでは、ものすごい盛り上がり。若い人もオジさんもオバさんもみんな踊っていた。
ライブ演奏
残念ながら日本の曲はなかった。世界中の人が知っている日本の曲って何かあるのだろうか?楽しかったが、そういう意味で、少し寂しくも感じた。

スプリト小さいながらもピリッとした見所もある素敵な街だったと思う。

 翌日、プリトビッツに行くため、バスに乗った。途中の休憩所で、ジュースを買おうと財布を出したら札束がすべて消えてなくなっていた。

 なにか手品かなと思った。バスのなかだろうか?よく思い出しみると、スプリトのバス停の公衆トイレだ。公衆トイレで用を済ませたあとに、手を洗っている時に、後ろに、トイレ番のおばちゃんが、立っていたのだ。間違いない。

 財布を出すのが嫌で、ポケットにトイレ代3KNを入れて行ったのだが、そのトイレだけ4KNだった。仕方なしにバッグから財布を取り出したのだ。その時おばちゃんの目が光ったのはしかと覚えている。

まあ、財布はここに有りますよと、教えて、手を洗っている時にほらどうぞと差し出したようなものだ。

このおばちゃんは、こうやっていつもやっているのだろうか?

しかし悔しい。本当に間抜け顏してたんだろうな。
スプリトの公衆トイレ。すりと思われるおばちゃんも写っている。
いろんな思いがこみ上げて来て、スプリトという街、クロアチアという国が嫌いになった。

 データ
宿泊日 2013年9月26日〜27日
宿泊場所 Spalato Centre Apartments
     ダブルルーム 35ユーロ/泊

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2013年10月13日日曜日

クロアチア ドブロヴニク

 バルセロナから2時間くらい飛行機に乗ってクロアチアのドブロヴニクという密造酒のような名前の街にやって来た。

 空港からバスで、30分くらいで旧市街に着いた。バス停は旧市街の入り口の門の近くだ。

宿はこの近く。宿に着くと、管理人のマルコが握手で出迎えてくれた。わからない事は何でも聞いてくれという。部屋は、レセプションから少し離れたところにある建物。普通の家の1室を貸してくれた。我々の部屋は3Fで、窓からは、小さな港と、ドブロブニクの旧市街の壁が見えて、なかなかいい雰囲気だ。
部屋の窓からの風景。

 港の所には、レストランがあり、なんだか、一昔前の良き時代の田舎の港のようで雰囲気が最高だ。
港はカヌーツアの発着場所
PANはクロアチアのビールか? 炭酸が若干抜けていた。
お腹が減ったのでレストランに行ってみる。生牡蠣と、リゾットパスタとビールを注文。パスタは、麺がのびきっており、まずかった。リゾットも、今一。牡蠣は、日本で食べる牡蠣とはちがい、形が円く、小さめのもの。これも、今一だった。
生牡蠣
お通しのパテ
海鮮スパゲティー 麺がのびていた。
まあ安いからいいやと思っていたが、自分はレートを1KN=12円だと勘違いしていた。あとで調べ直したら18円程度、両替所で円を両替すると20円近いようだ。また、ユーロを両替すると、円〜の2重両替えになりもっと高くなる。正しく計算するっと、恐ろしく高い。青くなった。

 ドブロヴニクの旧市街は、1周2Km程度の高い外壁で覆われた街である。門から中に入ると、大通りが、1本まっすぐに伸びており、その大通りから小さな通りが直画に走っている。この小さな通りにはレストランがびっしりと立ち並び、通りはレストランのテーブルと椅子で溢れている。
旧市街の大通り
大通りの大理石の床は滑りやすい。
夜の大通り
それからやけにジェラート屋さんが多い。老若男女みなジェラートを食べている。我々も食べてみた。まあ普通のアジだ!!
脇道にはこんな感じのレストランがたくさん。
ジェラート屋さんの街頭。オサレ感を出している。
ただそれだけの街だ

 あっという間に旧市街の中を観て廻り、門の外にある港に出てみる。海の水は透き通っており、イワシだろうか?無数の小魚が泳ぎ回っているのが見える。港の堤防から出たところでは、観光客が泳いでいる。
港では猫がくつろぐ。
魔女宅のジジみたいなのもいた。
ちなみに、kikiという名前のキャンディーがコンビニに売っていたが買わなかった。
堤防の上では犬がひなたぼっこ。水着姿の女性2人組も堤防の上に転がっており、犬も人間もゴロゴロしたくなるいい場所なのだ。水着姿の女性は、なんと日本人だった。話をしたら、シンガポール在住で、夏休みの旅行だそうだ。
港でゴロゴロ
水着でゴロゴロ。最高の旅だ。 俺もゴロゴロしたい。しかし、なかなかそうはさせてもらえない。我々の旅は何故か忙しく辛いのだ。
船を手造りしていた。
ひっくり返して
色塗って、名前書いて完成
翌日は山の上に登り、旧市街をパノラマで見物するつもりだったが、ゴンドラの料金が、往復で1800円程度もかかり、写真撮影には少し遠すぎるという情報を妻がネットで見て、歩いて山の途中まで登ってみた。なるほど近いが、家が邪魔だった。
旧市街を上から
ネットの情報を鵜呑みにするとだめだ。

 今思えば、登っておけば良かったと後悔している。
ゴンドラ
城壁の上も歩いて観てまわれる。入場料はいくらだったか覚えていはいないが、安くはない入場料を払い、歩いてみた。

 この城壁の上の道は狭いので一方通行だ。港の近くのところから上り、半時計周りにまわっていく。分厚く頑丈な造の城壁に圧倒されながら、旧市街の家々を間近に俯瞰してみる。よく見ると、新しい屋根と古い屋根が混じり合っている。
大通り
この辺りは、1990年代の戦争で、攻撃を受け、ずいぶん破壊されたそうだ。最近ようやく完全修復となったことを、ガイドブックで読んでいたが、新しい部分が修復された箇所、古いものは攻撃を免れたものなんだなあ等と思いながら観て廻る。
屋根しか見えない。
海側に行くと、水面がキラキラと輝いて見えて、その上をカヌーツアーの人達がすいすいとカヌーをこいでいる様子が見える。海の水もきれいである。見る感じ、この辺りの海底はゴロタ石のようで、もしここの海底が、白砂だったら、ものすごくきれいに見えるだろうな等と思っていた。
城壁の上から我らの宿を探してみたがちゃんとあった。
オサレなカフェにみえる
オサレなレストランに見える
旧市街の中にギャラリーがあった。中をのぞいてみると、水中写真の写真展をやっていた。自分も水中写真を15年くらい撮っている、いつかは海の写真展をしたいと思って入るのだが、残念な事に人に見せれるようなものは撮れていない。

 この写真展、詳細はわからないが、おそらくは、このアドリア海で撮った写真を展示しているのだと思う。別段、珍しいものや特別奇麗な物があると言う訳ではないが、このアドリア海の水中の様子が伝わってくる写真展だった。

 急にダイビングをしたくなってきた。

 ここの港からグラスボートがでており、港周辺ではいくつものボート会社が客取り合戦を繰り広げている。何処も料金が同じで、コースも似たり寄ったりだ。

 ダイビングの代わりという訳ではないが、我々は比較的奇麗な受付のお姉さんのところで75KNのグラスボートを申し込んだ。

港を出航したボートは一旦城壁の奥まで行き、われわれが泊まっている宿の近くの港の有るところの沖でUターンして、旧市街の沖にある、島を周り、港に帰ってくる。だいたい45〜50分程度。透明度がいいので、ガラスボトムからは、海底の様子が分かるが、魚や珊瑚等を見る事は出来ず、グラスボートは見かけ倒しでつまらなかった。
グラスボート
我らが天草の牛深のグラスボートから見える海底がいかにクオリティーが高いかという事を知った。しかしながら、島の反対側に回り込むと、そこはなんとヌーディストビーチすっぽんぽんのオジさんが仁王立ちしている。ボートの上は大盛り上がり。

自分の前に座っているおばちゃん、ちらっとそっちの方向をむき、「ちょっと小さいわ〜」等と言ってる。隣の旦那さんが照れくさそうにしていたのが笑えた。
夜景
この街は2泊した。この旧市街の中の観光なんかすぐに終わるが、もう少し暑い時期に長居して、カヌーや海水浴を楽しむのにいい街だ。

DATA
 滞在日 9月24〜25日
 宿   Hostel Marker Dubrovnik ツインルーム47ユーロ/泊

2013年10月11日金曜日

バルセロナ その2 メルセ祭り、ピカソ美術館

 バルセロナにはたくさんの美術館が有るが、その中でも有名なピカソ美術館に行ってみた。

 さぞかし大きな美術館かと思っていたら、意外と小さく、道幅の狭い路地の所に有った。前を通ると、入場券を買うための長蛇の列。自分たちは1時間位並びようやくチケットをゲット。

お祭りの最中は市内の美術館は無料と妻が何処からか聞いて来たが、そんなサービスはなく残念であった。
美術館の前では日本人女性が手作りイラストを販売。飛ぶ様に売れていた
おそらく、小さな美術館なので、入場をコントロールするために、チケット販売を遅くしているんだろう。チケット売り場の係員の手の動きはおそろしくスローだった。
美術館の前の通り。狭い。
このピカソ美術館には、ピカソの若いときの作品から晩年のいわゆるピカソと言う感じのぶっ飛んだ作品までたくさんの作品が展示されていた。
美術館の外壁にはこんな物があったが、これはピカソではないだろう。
ピカソの絵が年代毎に変化して行く様が見て取れ面白い。
美術館のお土産物屋さんの前
いつものように最も印象に残った絵MIPを決めてみた。撮影禁止で、写真がないのが残念であるが、「バルセロナ ルーフ トップ」という作品にした。

 これは、タイトルからバルセロナの家々の屋根を描いた物であると思われるが、全体が青みがかかって描かれており、モロッコで一番気に入った街シャウエンを思い出させるようなものだったというのが選択の理由だ。

バルセロナは9月20日から24日までメルセ祭という祭りだった。人に聞いたのだが、メルセという守護神があり、その守護神の出し物が街を練り歩き、広場ではいろんな催しがあり、その数500近く有るらしいということが何となくわかった。
広場には特設ステージ。ガウディのガス灯は、ステージの真ん前にあり、もはや邪魔者
通りを歩いていると、祭りの出し物と思われるものが並べてあった。馬や牛や恐竜みたいなものとかイロイロあるが、ハリボテ感満点で、あまりここからは歴史は感じられない。
お祭りの出し物
その出し物が練り歩く姿は、一度だけ見たが、遠すぎて写真も撮れなかった。

 バルセロナの大聖堂の前も、ステージが有り、オジさんとオバさんが手をつないで、輪になり、ダンスを踊っていたり、お父さんが下になり、子供が上に乗り、高いピラミッドを造ったりといった催しなんかもやっていた。


子供達のピラミッド
大聖堂の中に入ると、ステンドガラスがきれいでであったが、サグラダファミリアとは全然違った印象。中の照明の加減がよいのかとてもきれいに見えた。
大聖堂。サグラダファミリアとはやはり違う
大聖堂天井

大聖堂ステンドガラス

大聖堂ステンドガラス
教会の椅子に座り、休憩をしていると、どこかで見たような女性が立っている。記憶の底からよみがえって来たその女性は、マラケシュで会ったナミさんだった。

 再会を喜び合い、一緒に食事に行く事になった。 バルでアウトサイドの席に座り注文しようとするが、店員の態度が素っ気ない。ナミさんは、今まで行ったところのスペイン人は人懐っこく、親切だったがが、バルセロナに来てから、お店の人も、宿の人も冷たい感じがする折角来たのに少し残念だという。

 実は、我々も同じ事を感じていた。宿のレセプションのオジさんはニコリともせず感じ悪くロボットのように同じ言葉を繰り返すだけで、サービス精神のかけらも無い、レストランのウエイター、ウエイトレスは何処も愛想が悪かった。

 フローズンヨーグルト屋さんでは、お姉さんに、トッピングは何にするか?と恐い顔で、詰め寄られ、思わず「your smile please」と言いたくなった程だ。(本当に言ってみればよかった)

 バルセロナは、世界でも屈指の観光都市、忙しいんだなという結論に。でも、その街の印象はその街の人々の態度が決めると言っても過言ではない。忙しくてもチョットした笑顔が欲しいものだ。

 ナミさんは、その日、夜9時から教会でフラメンコギターのコンサートがあるので一緒に行かないかというので、行ってみることにした。教会に行ってみると、コンサートをやるような雰囲気ではない。

 しばらく待ってみたがどうも違う。付近の人に聞いてみると、それは別の場所であるという。間に合わないので諦めてしまった。
 後でわかったのだが、それはカタルーニャ音楽堂というところでのコンサートだった。カタルーニャ音楽堂は、古い音楽堂で、内装が素晴らしく、中を見学するだけで10ユーロもかかるところだった。チケットは30ユーロ前後だったが、今思うと行けなかったのが残念だ。

カタルーニャ音楽堂

 大聖堂の裏の広場でも何か催しがあり、建物の壁に映像が映し出されて大音響でなにかやっている。しかしながら、大聖堂から広場に抜ける道は狭く、人が多く満員電車状態で、広場に近づけず、これまた断念した。

 カタルーニャ広場でもコンサートをやっていて、広い広場は多くの人で埋め尽くされていた。出来るだけ前にいこうと思ったが、人が多く、みにくいので一番後ろから見る事にした。

 やっている曲は「ミスター・カタルーニャ」だ。なんでわかるかというと、サビの部分では、ミスターカタルーニャを連呼してるからだ。99%の確率で自信がある。

 その次の曲では、会場の人が手を振り、一緒に踊っている。有名な曲みたいだ。ナミさんが近くのオジさんに聞いてみると、オリンピックの曲で、「アミーゴ・フォーエバー」だと教えてくれた。このバンドがオリジナルかどうかはわからないが、結構な盛り上がりであった。
アミーゴフォーエバー
翌日もカタルーニャ広場で、コンサート。この日は、ジャズバンドで、ボーカルはなかったが、ベースのおっちゃんとサックスのおっちゃん、ピアノのおっちゃんがノリノリで、サックスのおっちゃんは、ステージを降りて、自分の近くまでやって来た。
ジャズバンド
サックスのオジさん

 曲はどれも知らない曲だったが、なんだか聞いたことがあるような気がした。会場では「バルサ、バルサ」の大合唱。そう、カンプノウで聴いたFCバルセロナの応援歌だった。

 アドリブで、曲の中に組み込んだのじゃないかなと思う。
 夜、宿にいたら、ドーンドーンと花火の音、窓を開けてみると、ちょうどビルとビルの間に花火があがっているのが見えた。花火大会があるのはわかっていたのだが、調べが追いつかず,場所が分からなかったのだが、見れてよかった。

 バルセロナ最後の日、モンジェックの丘に行く予定だったが、朝起きると、妻の右のホッペが腫れ上がり、右目が全部開かない。別人のような顏だ。

 病院に行ってみることにした。保険会社に電話すると、バルセロナの総合病院に連絡を取ってくれ、日本語の通訳を付けてくれた。

 行ってみるときれいな大きな病院だ。自分が南米で紹介してもらった病院は、いずれも個人病院で、全然専門外の病院を紹介され面食らったのであるが、ここなら安心そうだ。

 内科の先生に見てもらったが、耳鼻科の先生にも見てもらったがほうが良いと行って、耳鼻科の先生がやって来た。さすがに総合病院だ。「蜂巣炎」という診断。通訳の方によると、原因究明までやってないから本当かどうかはわからないけど,一応そういう結果ですだと。原因究明もやってもらいたかった。折角来たから点滴も射っていけと言われ、1時間くらいの点滴をうけた。そうすると、妻のほっぺたの腫れは少し引き、目がずいぶん正常になった。

 抗生剤、胃薬、消炎剤等の処方箋をもらい、病院を後にしたが、保険を使うので、順番等を優遇してもらい、すぐに見てもらえ、最後には、通訳の方に見送りまでしてもらい、VIP待遇で、なんだか優越感だった。(笑)
 
 最後の日は、今後のことも考え、部屋でおとなしくしていた。バルセロナには6泊もしたが、いろいろ有り、十分に観て廻ることが出来なかったのは残念ではあったが、ガウディーの建築物やお祭りにも遭遇し楽しかった。バルセロナの人達の愛想が良かったらもっと良かったのだが。。。。


データ 滞在日  9月17日〜9月24日