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2015年6月20日土曜日

バンコクでインフルエンザ

 世界一周の最後の都市はバンコクだ。バンコクは自分は何度もいったことがあり、別に行かなくても良かったのだが、世界一周航空券の都合でバンコクになってしまったのだ。

 この辺りの融通が利かないのが世界一周航空券の欠点でもある。

 カンボジアからバンコクにきた時は、既に燃えつきた感じで、何もしたくいなかったので、バンコクではおかまショー見てあとはゆっくりするつもりだったのだが、おかまショーを見たあとホテルに帰ると、なんだか気分が悪くなってきた。翌日は、熱が出て動けなくなってしまった。






 あまりにも熱が高いので、インフルエンザではないかと思い、病院に行った。バンコクのインターナショナルホスピタルは、ホテルから割と近い所にあった。ものすごく立派な建物で、中に入ると大きな吹き抜けがある。
 日本人用の受け付けがあり、日本人用の待合室に通される。待合室には、無料のミネラルウオータやジュースジュースがあり、看護婦さんの対応も日本以上に丁寧だった。
バンコクの病院の吹き抜け

 医者はタイ人と日本人のハーフの男性で優しい感じだった。

インフルエンザの検査をしてもらうと、やはりだった。こんな暑いバンコクなんかでインフルエンザなんてと思ったが先生の話によると毎日一人くらいは来ますよと言われた。


 タミフルをもらい、ホテルで2〜3日静養することになり、予定していた帰国日を遅らせることになった。

 世界一周航空券の帰国のチケットは1年を超えてしまい、期限切れで、使えなくなってしまった。どうせ使えないのだからそのままにしておこうかと思ったが、ちゃんとキャンセルすれば、空港税と、燃油サーチャージの分が戻ってくるようなので、とりあえず連絡はしておいた。

 自分がようやく良くなってきた頃、今度は妻が、具合が悪くなり、また病院へ行った。今度はタイ人と日本人のハーフの女性の医者が診察してくれた。自分が最初に見てもらった医者の妹だそうだ。
 またこの医者がなんか怖い感じで、早口でまくしたてる。妻もインフルエンザ黒の結果だが、まだ詳しく検査をするという。

 保険使うので病院側ではできるだけたくさん検査をしようとする。血液検査の結果が悪ければ、入院させると脅され、ビクビクしながら血液検査の結果を見た。特に問題なかったのだが、入院したければしてもいいぞと言われ、どうしても入院させたいらしかったが、一旦病院に入ると出るのが面倒なので、やめといた。

 バンコクー成田間のチケットを捨ててしまったので、帰るのはいつでもよくなったので、妻が回復するのを待って、しばらくバンコクを観光しようかと思ったが、バンコクで大規模なデモがあるといい、注意するようにと呼びかけられていたので、結局大規模デモが予定されている日に、バンコクを出ることにした。

 飛行機は、中国の航空会社で、上海経由で福岡に到着した。



上海では乗り継ぎだけで入国していないのだが、乗り換えの待ち時間に空港内で日本そばを食べたのだが、これがまずい。旅の中で食べたものの中でも最もまずいと思われる代物だった。
 
 なんだか最後はしりすぼみで終わってしまったが、ようやく1年の我々の旅は終わった。

 

アンコールワットを見に行く(カンボジア シェリムアップ)

 ルアンパパーンからシェムリアップへの飛行機は、チェンマイの旅行会社で手配していた。直行便もあったが、少し料金が安いので、ラオスのパクセーという空港経由の便でシェリムアップまで向かった。使用した飛行機はラオエアー
 嫁は、ラオエアーは世界一危いらしいよ。ATR-72型という飛行機以外は乗らないようにと書いてあるという。どうやら中国からのお下がりの機体が飛んでおり、それがよく事故を起こしているようだ。我らが乗る機体を調べるとATR-72型。ホッしたのだが、今、このブログを書くにあたり、調べてみるとATR-72型も2013年10月に事故っていると言う記事を見つけてしまい、事故がなくてよかったと今頃胸を撫で下ろした。

 自分たちが乗ったATR-72型は運転席の後ろが荷物室になっており、最後尾から乗込む。4人掛けでどのくらいかな60ー70席くらいのプロペラ機だ。乗り心地はよく、翼が機体の上にあるので、視界がよかった。

 シェリムアップには無事に着いた。空港ではホテルのピックアップがきているはずだったが、そんな人は見当たらなかった。仕方なしに、タクシーの運転手にホテル名を言い乗り込む。出発してから、運転手はそんなホテルは知らない等と言い出した。じゃあ電話して聞いてよと電話番号を渡して電話で聞きながら連れて行ってもらった。

 シェムリアップでは義妹と合流するため、少し高めのホテルを予約したつもりだったのだが、着いてみると、なんだかボロい。宿のオヤジは愛想はいいが、なんだかヘラヘラしていて、頼りない感じだ。

 ピックアップが来なかったぞと文句を言い、明日、義妹がくるから、絶対にピックアップに行ってよと釘を刺しておいた。

 部屋に案内されると、メチャ狭い。これじゃ3人泊まれないじゃないかと文句をいうと、明日部屋を代えてあげるという。そうかと納得して、その日はその部屋に泊まったが、何となく変な匂いがする。

 次の日、新しい部屋に案内されたのだが、前日の部屋と同じサイズの部屋にベッドが3つ。荷物を置くスペースが無い。予約サイトの写真と違うじゃないかと文句をいうと、別の部屋に案内された。そこはまあ、そこそこ広さがあり、ホッとしたのだが、この部屋は鍵が壊れていて、鍵がかからない。また鍵がかからないじゃないかと文句を言う。宿のオヤジは出かけている間に直しておくというが、帰ってくるとやっぱり、修理していない。

 自分がシャワーを浴びていると、嫁と義妹が騒いでいる。なんだろうと思ったら、ゴキブリが出て来たというのだ。宿の別のお兄さんに処理してもらい、事泣きを得たが、自分が風呂から上がったら義妹のベッドの上に空からゴキブリが落ちて来てまた大騒ぎ。今度は自分が処理したが、日本のゴキブリより固い。潰すときゴキッとすごい音がした。

 そろそろ寝ようかとした時に、今度は嫁のベッドの蚊帳の中にゴキブリが入り込んでまた大騒動。またもや自分が処理する。まったく蚊帳の意味がない。

 女性陣2人は、もう耐えきれない、こんな宿で新年を迎えるのはイヤだと言い出し、ホテルを変わる事にしてしまった。しかしながら年末に手頃な値段の宿は空いているはずもなく、仕方なしに、4つ星の宿に移動する事にした。

 さすがに4つ星のホテル(といっても大して高くはない)。部屋は広く、ベッドの寝心地もよく、快適だった。一度こういうホテルに泊まると、もう安宿には泊まれない。

 大晦日の日はこの宿で、紅白歌合戦をみて、義妹が日本から持って来たインスタントのそばを年越しそば代わりに食べて過ごした。
 しかしこの宿にも欠点があった。なんだか自分の手足がもやもやして痒いのだ。ナンキンがいそうな感じがしていたが、まさかここにいる訳けないと思い、気のせいにしていたが、翌日、手足が真っ赤に腫れ上がり、ナンキンに間違いなかった。ベッドのシーツを矧ぎ、探してみると、2匹のナンキンらしき死骸を見つけ、これをフロントに持って行き、自分の手を見せて、ベッドバグがいるから、部屋を代えてくれというと、フロントですぐに対応してくれた。流石は4つ星だ。(ナンキンがいる事自体はダメだが)

 しかし最後の最後までナンキンにはやられっぱなしだ。しかもいつも俺だけ。

 さて、ここシェムリアップにやって来たのは、もちろんアンコールワットに行くため。

 アンコールワットには、宿でトゥクトゥクをチャーターして連れて行ってもらった。料金は、ちょっと忘れてしまったが一日の料金と、サンライズやサンセットをつけるといくらというふうに決まっていたと思う。

 アンコールワットの入場は3日券を購入した。購入時は写真を撮られ、チケットに写真が付き、他人への譲渡が出来ない様になっている。この辺りは、カンボジアとは思えないくらい進んでいる。

 朝まだ日が昇る前に宿を出て、アンコールワットの中にあるサンセットポイントまで行く。入り口の近くには池がありその池のところから見学する訳だが、我々が到着した時には既にたくさんの人達がおり、場所がない。仕方なしにちょっと端のほうが空いていたのでそこに三脚を構えたが、やはり日が出てくる方角とアンコールワットの位置関係が悪かった。


 日が昇りきると早速中の見学。アンコールワットの中の遺跡は、かなりきれいに修復されているようだった。塔になっているところにはかなり急ではあるが木製の階段が新しくつけられており、登りやすくはなっていた。

 さすがに年末だ、日本人観光客もたくさんいた。

アンコールワットから出てくると、すぐにトゥクトゥクの運転手は自分たちを見つけてくれた。長い時間待ちながら何時出てくるかわからない自分の客を待ち続けるのも結構大変だなと思った。

 お腹がすいたので朝食をたべてもどると、トゥクトゥクボーイはトゥクトゥクにハンモックを張って爆睡していた。Good Morninngと声をかけると、飛び起きた。

 次にアンコールトムへと向かう。車1台しか通れない門をくぐり、アンコールトムの中に入るのだが、この道が込み合い渋滞する。ようやく中に入るとバイヨンという遺跡に到着。この遺跡にはたくさんの塔があるのだが、塔の先端部分は仏像の顏になっており、たくさんの顏が双んでいる感じだ。石組みの塔はかなり崩れており、中に入る事は出来るが、地面には崩れた石がゴロゴロ転がっていた。




 その他にエレファントテラスとあと名前は忘れてしまったが2つくらいの遺跡を見て帰った。

 2日目は、今度は、サンセットコースをお願いした。アンコールワットの遺跡群は結構広い範囲に点在している。トゥクトゥクの運転手は夕陽をみるならラージコースがいいといい、いくつかの遺跡をピックアップして連れて行ってくれたが、何という所みたのか、名前を忘れてしまった。ちゃんと、メモしておくべきだった。

 最後は、サンセットポイントのプレ・ループに連れて行ってくれた。一番有名なのは、アンコールワットに近いプノン・バケンだけど、運転手は周囲に邪魔する物がないからこちらが一押しだと勧めてくれた。ここは周りをジャングルに囲まれた遺跡で、遺跡の上に登ると、ジャングルが見渡せ、ジャングルに沈む夕陽が見れる。少し早めに着いた我々は、いい場所を確保したつもりだったが、ちょうど、太陽が落ちる場所に大きな木がありよく見えなかった。(T-T)


翌日は、タクシーを使って、ベンメリア遺跡に向かった。この遺跡は天空の城ラピュタのモデルとなった遺跡と言われているが、オーストラリアにもそんな風に言われた場所に言った事があり、どれが本当のモデルだかわからないがとりあえず行ってみることにした。

 この遺跡はシェムリアップよりタクシーで1時間半くらいだったかな?タクシーのドライバーは若い男性で日本人ぽい感じで、今時のイケメンだった。英語は少しだけ話せるくらいだったが、道中暇なので、ドライバーには彼女がいるのかという質問をした。彼はいたけど今は遠い所にいるという。「何処にいるんだ」と激しく追求すると、アメリカに勉強しに行っているという。「帰ってくるのか?」とさらに追求。彼は悲しそうな顏をして、おそらく帰って来ないだろうという。「じゃー君がアメリカに行けばいいじゃないか」提案すると、「そんなお金ない」という。彼は「もう終わったと思っている」と悲しげだった。「ジャー新しい彼女をみつけるしかないね」と励ましてこの話は一瞬のうちに終わってしまい、何となく変な雰囲気となってしまったが、時間をもてあますことなく無事に目的地にたどり着いた。


 中に入ると、日本人観光客がラピュタの歌を歌いながら写真撮っていたり、日本語ガイドが日本人観光客を案内していたりして、そのガイドの話を盗み聞きしながら見てまわった。この遺跡は、発見されたままの状態で、殆ど壊れており、単なる石の残骸のようであるが、ガイドさんの話によると、アンコールワットも発見当時は、同じ様な状態で、当時フランスが占領していたので、フランス人により修復されアンコールワットはきれいになったが、ここは全く手つかずの状態だということだった。

 遺跡の塀や建物には巨大な木の根が覆い被さり、石を締め上げ、石垣や建物を崩して行ったのだなと言う事が想像された。

 子供達が、俺が案内してやるといってイロイロと教えてくれる。ある彫刻を指して、アンパンマンだという。よく見ると、円の中に目、鼻、口みたいな線が見え、言われるとアンパンマンのような感じにも見える。これはガイドブックによると花の蕾だそうだ。アンパンマンって日本人がの誰かがいい始めたのだろうか?

 子供達はチップ頂戴とおねだりしてくるが、ダメっていうと、あっと今に消え去り、他の観光客の案内をしている。これがインドだと、しつこくつきまとってくるから、こちらの子供のほうがかわいい。

 ベンメリア遺跡から帰ってきたのは、夕方ちょっと前、前日の夕陽にちょっと不完全燃焼だったので、プノン・バケンにも行ってみた。プノン・バケンはアンコールワットの近くにある山の上にある遺跡から夕陽を眺める。山を登ると、遺跡に登るのに大勢の人が並んでいた。出発した時間が遅く、日没に間に合わないかと思ったが、なんとか間に合い夕陽を拝んだ。トゥクトゥクボーイが言っていたとおり、山に生えている木々が若干邪魔になってはいるが、ゆっくりと沈んで行く太陽をみることができた。

 世界一周の旅では夕陽を眺める事が多かった。水平線に太陽がかかると、見る見るうちに太陽が沈んで行くのがわかり、最後点になり、あっという間に地平線に消えて行く。地球が回転しているということをこの時に実感することが出来るのだ。この世界一周の旅で見る最後の夕陽であった。

 シェムリアップの街の繁華街はパブストリートという所だ。この通りには電飾が飾り付けられ、夜になると、少し怪しげなネオンが輝く。この通りを中心に、レストランや屋台、お土産物屋、マッサージ屋等が立ち並んでいる。

 正月のカウントダウンはこのパブストリートに出かけて行ったのだが、この通りはまるで満員電車のようにギュウギュウ詰めの状態で、気分が悪くなり抜け出してしまったが、途中で義妹とはぐれてしまい、義妹は小さいので探すのに苦労した。(笑)


時差があるため紅白歌合戦を見た後に、PUB STREET
にくり出したが、ものすごい人だった
結局新年は通りのレストランの2Fの椅子の上に登った状態で迎えた。0時を回ると盛大に花火が打上りなかなか盛り上がっていた。

 カウントダウンに着ている人達は、地元の人達で、みなさん結構お洒落をしていた。遺跡であれだけたくさんいた日本人ももちろんの姿はほとんど見かけなかった。
 タクシーの運転手の話によると、シェリムアップのカウントダウンには、プノンペンから大挙してカンボジア人がやってくるそうで、1日で帰って行くと苦笑いしていた。
1日の夜のパブストリートは人は少なかった。

 食事は、ほぼ毎日パブストリート近辺のレストランで食べた。良かったのは、鍋焼き肉
これは、鍋と焼き肉を一緒にしたようなもので、ジンギスカンのような真ん中が盛り上がった鉄板の周囲にスープをいれて、焼き肉と鍋を一緒に食べるというものだ。そう、ルアンパパーンのカフェで隣の人が食べていた料理が、カンボジアにもあった。

 この鍋は2度食べたが、人気らしく、数件のレストランがあるが、込んでいた。
肉は、牛肉、豚肉、鶏肉、イカ等に加えて、クロコダイルやカエル等もあった。クロコダイルやカエルは初めて食べたが、淡白な感じで脂のない鶏肉のようでもあり、不味くはなかった。カエルは太ももの肉で、これも、さっぱりとした鶏肉ような感じで身がプリッとしていて、よく鍛えられているという感じがした。

 カンボジアで良かったのはマッサージ。1時間で600円くらいだったと思うが、正直言って、タイのマッサージ店よりもはるかにシェムリアップのマッサージのほうが丁寧で気持ち良かった。ほぼ毎日のように通ってしまった。

ルアンパパーン(ラオス)

 旅の途中に出会った人々は皆ラオスが良かったというので、ラオスのルアンパパーンというところに行く事にした。
 どういった所いいの?と聞くと、皆一様に人がいいという。みんな優しく、飯がうまいという。フランスの植民地だったので、パンがおいしい等と教えてくれた。


 チェンマイの空港に向かう途中、ソンテウという乗り合いタクシーの中でアメリカ人老夫婦と一緒になった。リタイアして、チェンマイに住んでいるそうだ。アメリカ(何処の州だったか忘れた)よりずっとこっちのほうが気候がいいよなどと言っている。歩くのはチェンマイは歩道に段差があったりして歩きにくいけど、この街が気に入っているよ等と言っていた。

これからルアンパパーンに行くというと、彼らも行ったことがあるけど、静かでとてもいい街だ、歩きやすいしねとまたおすすめしてくれた。

 ルアンパパーンの空港に着くと日本人女性が声を掛けて来てタクシーをシェアしないかという。我々はホテルを予約していないと言うと、その女性は今ハイシーズンだから空いてるかしら?等と不安な事をいうが、とりあえず、その女性が予約したホテルまで行き、そこから空いている宿をさがすことにした。

 案の定、その女性が予約した宿は満室だった。少し焦り、隣の宿に聞いてみると、空いていてホッしたが、この宿ちょっと、Wifiが弱く、部屋が臭かったのでやめて、他に数件あたったてみたが、空きはあるものの思ったより高くなかなか宿は決まらなかった。

 ようやく1軒良さそうなところを見つけ、チェックインした。値段もそこそこで、部屋は広くいい感じの部屋だった。

 ルアンパパーンには仏教のお寺がたくさんあり、お坊さんが毎朝早くから、托鉢にまわる風景が有名であり、その様子をたくさんの観光客が見物する。我々も朝早起きして見に行った。ラオスといえどもこの時期、朝はとても寒く、ダウンを着込んで見に行った。

 托鉢の坊さんが通ると思われる道の歩道の端には、食べ物を用意した人々が敷物を敷いて座って待っている。暫くすると少し明るくなりかけた道から静かに坊さんは現れた。オレンジの袈裟を来て、片側の方はむき出しで、裸足で、手に托鉢の品物を受け取る壷を持っている。大体1グループ10人〜20人くらいだろうか、一列に双び、うつむき加減で、受け取る時はゆっくりになるが立ち止まる事は無い。待っていた人達は、一人一人に準備してた食べ物を入れる。
 観光客は、そんなお坊さん達を取り囲み、写真を撮る。もちろん自分も撮ったが、暗すぎるのとお坊さんは止まらないので、うまく撮るのはなかなか難しい。


 托鉢を与える人の隣には、汚い格好の子供が数人座って、カゴを前に置いている。お坊さん達は、もらったばかりの、食べ物の一部をその子供達のカゴの中に投げ入れてその場を去って行った。
もらったご飯を子供達に与えるお坊さん
一見貧しい人々に、お坊さんが集めた食べ物を分け与えるという感じなのかと思ったのだが、それだったらお坊さんを経由せずに、直接渡せばいいような気もした。
 部屋に帰ってから、ネットでちょっと調べていると、どうやら、この子供達はもらったカオニャオ(餅米のご飯)をある工場に売りに行き、その工場では、カオニャオを油で揚げておかきのようなものを作り観光客向けのお菓子として販売しているという事が書いてある記事を読んだ。

 なんと托鉢の品物は、まわり回って観光客の口の中に入るということだ。そういえば、ルアンパパーンで食べたラオ風ウドンの要な物の中に、米をあげた物を入れてうまいうまいと食べていたのだが、これは托鉢のカオニャオが原料だったのかもしれない。なんだか複雑な気分になった。

 お坊さんのグループはいくつかあるようで、そんな感じで、いくつかのグループの托鉢の風景を見学して部屋に戻った。この托鉢は、この地域が世界遺産にも登録されているということで、集客のためのショーのようなものになっている様な気がして、これまた複雑な気分になった。


 朝早く起きたので、しばらく部屋で休憩をしていると、ガガガガッ〜と工事の音の様なものがする。どうやら、部屋の隣を工事しているようで、とてもゆっくり寝ていられない。また、近くから大音響で音楽が聞こえる。この音楽は何の騒ぎだと思い、音の方に行くと、道端にテーブルを出し、いい格好したたくさんの人がたくさんのごちそうを食べており、どうやら結婚式のようだった。音楽は夜まで鳴り響いていた。

 とっても静かな所というわけではなかった。

 我々は、宿で自転車を借りて、ルアンパパーンの街を探索する事にした。
最初にお寺を数件まわってみた。1軒目のお寺は、若干街の外れにあったが、お坊さんが話しかけて来た。お坊さんといってもまだ10台の若者だが、英語で、境内にある木を指差して、この木に成っている実を食べてみろという。食べてみると、それはナツメだった。
 ナツメは、自分が以前に住んでいた家に植えてあり、よく食べていた。味は若干リンゴのようだが、あまり甘みはなく若干エグミがあり、そんなに美味しい物ではないが、懐かしく感じた。

 次のお寺に行くと、またお坊さんがこんにちは、日本人ですかと話しかけて来た。思いがけず日本語で話しかけられビックリしていると、彼は日本語を勉強しているんで、日本人見ると話す様にしているんですという。お寺で日本語も勉強できるのかと聞くと、そうではなく、週に何度か習いに行っているという。

 彼は19歳で1年くらいその寺にいるそうで、ここで修行して将来住職になるのかと聞いてみたが、彼はそこを出たら大学に行き勉強したいという。ここでは若い人達は一旦お寺で修行をしたあとに、自分の道を進むようだった。

 自転車でメコン川にかかっている橋を渡り、がたがた道を進んで行くと、紙すき屋さんがあった。店の前で、実演をやっている。

 日本で言えば和紙なんだろうが、ここではラオ紙とでもいうのだろうか、実は、自分の父方の祖父母は和紙の職人で家で紙すきをやっていたそうだ。
 2人とも父が中学時代に亡くなっており、会ったことはもちろんなく、写真も1枚しか見た事がなかったのだが、おそらく祖父母もこんな感じで紙を作っていたのかもしれないと思った。そのお店で、お土産として、ラオ紙で作った写真のアルバムを買った。

 この先には、シルクを織るお店もいくつかあり、中を覗いてみたが、若干高いので何も買わなかった。

 一旦ルアンパパーンの街に戻りメコン川沿いを走ると、竹で作った吊り橋が見えて来た。もちろん徒歩でしか渡れないのと渡るのにお金が必要だったが、面白そうなので渡ってみた。歩くたびに揺れて、少し恐かったが無事対岸までたどり着いた。

 階段を上り、通りまで出てみると、さっき自転車で通った所だった。階段を上がった所にはカフェがあったので、お茶をすることにしたが、そのカフェは、外からは竹でよく見えなかったが、中に入ると、周りを竹で囲まれ、竹の間から差し込む光と竹の緑がきいれいでほっとする空間だった。

 ビールと、ジュースを飲んだが、隣の人は、ジンギスカンのような鉄板の外側にスープをいれた、焼き肉と鍋を合体した様な物を食べており、とてもオイシソウにみえた。

 別の日にメコン川を船で上り、上流にあるお寺を見学するというツアーに参加した。宿までピックアップしてもらい、船着き場まで行くが、時間になっても受付も始まらない。ようやく予定時刻の30分遅れて、受付が始まり、順番を与えられる。そして、番号を呼ばれた者から船に乗り込む。

 船はひょろ長い木造船で、なんだかサンマのような形をしているので、サンマ船と自分たちは呼んでいたのだが、長さはかなり長いが、巾が狭いので、お客は6人しか乗れない。
ちゃんと椅子があるので、乗っている分には楽だった。

 同じ場所を出たツアーの船は10隻くらいはあっただろうか?我らの船頭はスピード狂らしく飛ばしまくり、5番目くらいに出たのだが、あっという間に前の船を抜去り、途中で、給油のためピットインしながらも、途中のお土産物の村に一番に到着した。

 上陸すると、先ずは、そこで作っているというアルコールの試飲。マムシのようなものと一緒につけ込んだものもあるが、とりあえずプレーンなものを飲ませてもらった。少し甘く、少し変な味がした。1本200円くらいだから買っても良かったのだが、それより、船の上が寒いので、羽織る者が欲しかったので、スカーフの様な物を見てまわった。

 たくさんのスカーフ屋があり、たくさんの品物が売っている。お店の人は、必死で売り込んでくる。子供を連れた店員は、子供のミルク代がいるからと泣き落とし作戦に出てくるのでちょっと辛くなる。
 シルクと綿の混紡のスカーフが程よく厚く暖かそうだったのでそれを買い、船へと戻り、上着の下からスカーフを腹に巻いたらかなり暖かくなった。

 目的地のお寺にも一番乗りをしたが、急な階段をハアハアいいながら上ると洞窟の中にたくさんの仏像がある。懐中電灯がないと全く中は見えないが懐中電灯で照らすとチョット恐かったりするが、観光客は多いが仏像は埃まみれであまり大事にされてなさそうな感じだった。

 このツアーは、メコン川を船で上り下りするのがメインな感じのツアーだった。帰りの船は予定通りの時間にルアンパパーンまで帰って来た。どうやら、出発時間が遅くなるのも予定通りだったようだ。

 昼食後は別のツアーで、滝を見に行った。車で1時間位だ。中に入ると、なんとそこには熊が飼育されており、数頭の熊を見物することができた。

 奥に進むと、いよいよ滝が見えるが、滝は、階段状にたくさんの滝がある。滝壺は大きく、木が滝壺の上にせり出している所があり、ロープが張ってあり、ターザンのようにロープを使って水の中に飛び込むことが出来る。

 白人の若い男女がキャーキャーいいながらそのターザンロープを楽しんでいた。

 この時期昼間日が照っているとはいえ、ちょっと寒い。自分はとても挑戦する気にはならなかった。やっている人達は、白人ばかりでアジア系の人はいない。ヤッパリ白人は基本寒い所の人達で寒さに強いいんだろうと思った。

 滝の下から徐々に上のほうにっていくと、最後に一番大きな滝が見えた。かなり落差のある大きな滝だ。近くによると水しぶきがすごい。早速写真を撮ったのだが、2枚撮った所でバッテリーがなくなってしまい。思い切り写真を撮れなかったのが残念だった。
 バルセロナで買ったNIKONのD5200は、軽くて写りも良いのだが、軽さの代償でバッテリーが小さくなっていて、一日バッテリーが持たないのが問題だ。(その前に使っていたD90は一日でなくなる事はほぼなかった)

 ルアンパパーンのメインストリートは、夜になるとナイトマーケットとなり、片側1車線の2車線道路は通路2本で両側にビッシリとお店が開かれる。売っている物は、Tシャツや、スカーフ、チョットした雑貨等のお土産物や、お茶やコーヒー等の嗜好品等いろんなものが売られている。毎日、昼間は普通の道が、夕方にはあっという間に露天商に切り替わってしまうので、ビックリしてしまう。今思えば、ここのお店が、値段もそこそこ安く、品物も豊富だったのでお土産物は、ここで買った方が良かったかななどとも思っている。
ナイトマーケット

スルメ屋さん。炭火で炙ってくれる。あたりはスルメの香りがする。


 そんなこんなで5泊くらいはしたルアンパパーン。たまたま泊まった宿の隣が工事中で、人から聞いたようにとても静かな街ではなかったが、それでも、きれいで落ち着いた雰囲気で、建物の雰囲気は、どことなく日本の古い温泉街にちょっと東南アジアの香りを付け足した様な感じでいい感じではあった。食べ物はこれっと行った特別なものはなかったが、全体的に美味しい物が多くいい感じだった思う。

 我々は、ルアンパパーンのから空路でランボジアのアンコールワットに近い街、シェリムアップに飛行機で向かった。

2015年6月19日金曜日

タイのチェンマイでマッサージを習う。

 インドの次はタイだ。タイは今まで数回行った事があり、とくに今回行く必要はなかったのだが、今回は今まで行った事がないチェンマイに行くことにした。チェンマイでは、マッサージの学校がたくさんあるという。自分はタイマッサージが大好きなので、今回は、マッサージを習ってみようと思っていた。


 ネットで学校を調べた。最初にいこうと思った所は、若干、街中から外れていた。他の所を探してみたら、日本人宿がある前に、ロイクロマッサージスクールというのがあり、日本人宿も空いてそうだったので、そこに行く事にした。


バンコクのスワンナプーム国際空港に到着後、すぐに、ドンムアン空港まで移動する。この2つの空港間はチケットを持っていると無料のシャトルバスが利用できる。
 成田〜羽田もこんな無料バスが欲しい。

 ドンムアン空港に到着する。12年前に初めてタイに来たときは、このドンムアン空港しかなかったが、新しい空港ができた今は、このドンムアン空港はLCC専用の空港になっていた。中に入ると、派手目で品のないLCCカラーのカウンターあり、たくさんの人が並んでいた。

 使用する飛行機はエアーアジア。アジア最大のLCCだそうだ。飛行機の中に入ると赤いポロシャツとジーンズ姿の客室常務員が印象的だった。ジーンズは私服かと思っていたが、しっかりジーンズにもエアーアジアの刺繍があり、これも制服だということがわかった。

 まあ、客室乗務員が、スーツのような立派なユニフォームでなくても、十分に仕事はできるのだが、なんとなく締まりが悪い気がした。

 チェンマイ空港までは1時間くらいだったろうか?あっという間についた。

 タクシーで、予約していた日本人宿に向かう。この日は日曜日で、ナイトマーケットが開かれるから行ってみるといいよタクシーの運転手にすすめられる。

 ロイクロ通りにある日本人宿の前にロイクロマッサージがある。早速マッサージスクールに行ってみるが、なかから木魚のような音とともに「アッ」「エッ」「ウッ」というような変な声がする。近くにいたオジさんがやって来て、今瞑想の時間だから、後で来た方がいいよとアドバイスしてくれた。なんだか宗教関係っぽくて、ヤバいところに来たのではないかと若干心配になった。

 夜同じ宿にいた女性に話しかけると、ロイクロでマッサージを勉強しにきたという。しかもなんと、帰国後、熊本でマッサージのお店を開くという。この女性から、チェンマイについてイロイロ教えてもらったりして情報を収集した。

 予約していなかったが、グループレッスンなら、受講できるよといわれ、翌日から5日間のコースを受講する事になった。自分は、タイマッサージのベーシックコース、妻は2日間のリフレソレクジーという足マッサージで3日間のコースだった。

 自分のレッスンはフランス人1人と日本人の男性1人と自分であわせて3人で、先生は女性のタイ人の先生だった。
 日本人男性は、教師を退職後、日本で1年マッサージ学校に行き、少し前にマッサージ店を開業したばかりのプロのマッサージ師だった。こんかい、バリエーションを増やしたいということで、スクールに来られたようで、フランス人男性も、リラクゼーションの仕事をしていると言っていたので、遊びで受けているのは自分だけで申し訳ない感じのして、足を引っ張らない様にしなければならなかった。

 最初に生徒のだれかがモデルになり、先生が、説明をしながら、マッサージをしてくれる。一通り終わると、今度は生徒が練習し、先生が直してくれると言う感じで進める。

 先生からマッサージを受けると本当に気持ちよく、思わず寝てしまった。しかもいびきかいてて、先生にウエークアップと注意されてしまった。

 自分がマッサージをする時、間違った箇所を押すと、やはり指が入らない。先生に直してもらい、正しい位置を押すと指がズボッと入って行く感じがする。タイ人のおばちゃんをモデルにしてたときは、うまく指がはいると、思わずおばちゃん「サバーイ」(きもちいい)と声を漏らす。このサバーイが聞こえるとうれしくなって、もっと押してしまう。

 でもマッサージは人の体を触らないと出来ないのだが、相手が男性でも女性でも妙に緊張する。とくに足の付け根とかを触るときは、変な所に触れないようにやたらと緊張した。

 カメラを持って行って、先生のお手本の写真を撮りまくったのだが、他の人も、後で写真くれと言われたので、調子にのって、ばんばん撮ってたら、隣の先生に怒られた。


 チェンマイのこの時期の夜は結構寒く、ダブルのベッドなのに、シングルの布団しか置いてなく、夜の布団争奪戦で、妻に破れて、風邪を引いてしまい、一日熱が出たので、スクールを一日休んでしまい、終了証書はもらえないだろうなと思っていた。


 もう1人の日本人の先生は、グループレッスンだから、補講はありませんよと冷たく言われていたのだが、私の先生は優しかった。土曜日にマンツーマンで補講をしてくれ、終了証書を発行してくれてとても有り難かった。

 妻は、自分がマッサージ教室に行っている間は、宿に泊まっていた人に別のスクールのモデルにならないかと誘われ、モデルになりに行ったり、料理教室に行ったりとチェンマイを満喫していた。モデルというからお金は必要ないと思っていたが何とマッサージ代を取られたらしい。

 マッサージ店は、通りを歩くと至る所にあり、大勢の女性マッサージ師が店の前にたむろしている。こんなに大勢店の前に座られるとちょっと入りづらい。あんまり店の前に人がいないお店を選んで、2軒程試してみた。1時間200バーツ大体600〜700円くらい。
1軒目は若い女性がやってくれたが、妻と隣同士で、マッサージ師達がぺちゃくちゃおしゃべりして、うるさく、時折おしゃべりに夢中で手が止まるのがダメだった。

2軒目は、美容室と一緒になっている所で、おばちゃんマッサージしだった。ここは比較的良く気持ちよかったが、妻は今一だったという。隣で見ていたら、マッサージ師の姿勢が悪い。マッサージをやっている姿があまりかっこ良くない。スクールの先生のマッサージは見た感じ姿勢がとてもよくかっこ良かった。もちろんこの2軒のマッサージと比べ物にならないくらい気持ちよかった。
ナイトマーケットの露天のマッサージは大人気
満席でした。

 自分の風邪は、1日寝ていたら、熱はすぐに下がったが、咳と痰が止まらなく、肺が痛くなって来た。ちょっとヤバい感じになったので、病院に行く事にした。チェンマイにはインターナショナルホスピタルがあり、診察には日本語通訳をつけてくれる。軽い気管支炎を起こしているということで、薬をもらって帰って来た。

 チェンマイではナイトマーケット(夜市)がたくさんある。サンデーマーケット、サタデーマーケット、ナイトマーケット等がある。この3つのマーケットは場所が異なっている。
ナイトマーケットは、ほぼ毎日開かれているようで、主に服や、小物等のお土産物のたぐいが多かったように思う。

サンデーマーケットと、サタデーマーケットは別の場所であるが、通りを通行止めにして、通りの両脇にびっしりと露天のお店がでており、いろんな物を売っている。また、通りには、チップを求めてストリートミュージシャンが演奏をしたりしているが、実質サンデーマケートとサタデーマーケットは中身はさほど変わらない。

もちろん食べ物の屋台もある。食べ物の屋台は特にお寺の中の境内に多く、パッタイや揚げ物、ウドンのような麺類や、中には寿司等様々な食べ物があった。
 飯の上にマンゴーを乗せたマンゴーライスがあり、現地の人達からは人気のようで、飛ぶ様に売れていた。さすがにマンゴーライスは食べる気はしなかったが、よく考えたらフィリピンのセブ島で鰻マンゴーロールという、中に鰻がはいっていてマンゴーで巻いた寿司を食べた事があり、意外な美味しさだったのだ。マンゴーライスもおそらく美味しいと思われる。
 こういった屋台の食べ物をいくつか食べて、ディナーとした。

なんだか毎晩がお祭りのようなにぎやかさだった。

 チェンマイでは特に観光をしていなかったので、1日だけ、エレファントトレッキングツアーに行って来た。朝からワゴン車で、ピックアップに来てもらい、象を飼育している所まで連れて行ってもらいった。最初に象のショーを見る。
 ここには数十の象が飼育されており、10頭くらいの象がいろんな芸をしてくれる。
 鼻で握手したりおやつを受け取ったり、絵を絵を描いたり、サッカーをしたり等だ。
 印象に残ったのは、象の建築作業みたいな芸。一頭の象が、マルタを引っ張って登場し、ある場所までマルタを運ぶと、別の象が、足と鼻を使いマルタを積み上げて行くという作業だった。おそらく昔から象はこういった作業に使われていたのだなということがわかった。
 象がおすわりをした。その姿に、インドの仏像のガネーシャを思い出した。

像のおすわり
おそらく,インドでも昔から象は農作業や、土木、建築作業等に使われ、生活の役に立って来たのだろう。それで、その感謝の気持ちも込めてガネーシャ等の仏像を作り、祭ったのではないかと思った。逆にサルはあんまり役に立たず悪さばかりしてたのでサルの仏像はないのだなとインドでの疑問の答えがここで出た。

 次に象に乗りエレファントトレッキングに出かけた。象に乗るといきなり象は川を渡り始めた。川の流れは意外と早いが、さすがに象は流される事なく川を渡りきり、ジャングルの中を進む。途中で象の餌屋さんがあり、そこでバナナやサトウキビを買うと、象に餌を与える事が出来る。また川を渡り、別の所で一旦象から降りると、そこは、お土産物屋さんといううまく出来たコースになっている。象に乗る時間は30分くらいだったかな?
そこからは、今度は牛車にのり、元の場所に戻ってくると言う感じだ。

 その後は、そこのレストランで昼食をとり、帰りに蝶と蘭の公園みたいな所に寄り、宿まで送ってくれた。すべて、予定時間通りに終了。

 象とのふれあいはなかなか楽しいツアーだった。

 チェンマイは、大きな街ではあるが、バンコク等と比べるとどこかのんびりした感じの田舎の都会という感じの街だった。この街の雰囲気はかなり気に入った。ここだったら、住んでみてもいいかも等と思いながらチェンマイを後にした。

インド総括

人力車
インドに行った人は、思い切りはまる人と、もう2度と行かないという人に分かれるという事をよく聞く。自分はどっちかというと、また行きたいとはあまり思わないので後者のほうだろう。

 インド人は、とても人懐こく、一見フレンドリーだ。歩いていると、「どこに行くんだ?」としきりに声を掛けて来くる。大抵は、仕事の営業なのだが、断っても断っても何処までもついてくる。営業で話しかけてくる人も話してみると、仕事以外の事でも親切に教えてくれたりして、根は悪くない人達ばかりのようだ。1人で来ても話相手には困らず、寂しい思いをすることが無いというのがインドの魅力なのかもしれない。自分は、逆に面倒だったりして、そういった人懐こさ,しつこさは苦手だった。
フレンドリーな家族、呼ばれたので家の前でおしゃべり。お水をご馳走になったが、生水を飲んでいいものか迷った。

子供達はどこいっても愛想振りまいてくれる。
カメラを向けるとすばらいい笑顔をくれた。

 インドの街は何処にいっても混沌とした感じでめちゃくちゃな感じがする。道にはリキシャ野良牛が四方八方から押し寄せてくる感じだ。交通ルールなんかあったモンじゃない。インドは左側通行だが、ニューデリーのメインバザールなんかはどっちが通行なのかわからない状態だ。


牛は、お腹すくとなんかくれ〜と店先を覗く。

 道には野良牛のが至る所に落ちており、それをリキシャや車が踏みつけて薄く伸ばされ、それが乾き、車やリキシャが、巻き上げ牛糞が空中を漂う。まさに空中肥料状態で、また、道には屋台が多く、屋台から放たれた煙も漂い、街の中はもやがかかった様な状態に見える。
ほかほかの牛糞

 最近ネットで見たのだが、インドの大気汚染は中国より深刻で、ニューデリーなんかは北京の2倍くらい汚いらしい。自分は、鼻くそが真っ黒になり、インド滞在中は、喉が痛く、ずっと喉に痰が絡んでいた。インドを離れた2日後すっかり良くなったので、ヤッパリ、インドの空気が悪かったのだと実感した。

死んでいるのかと思った。

 インドは、ニューデリーリシケシハリドワールアーグラアウランガーバードハンピに滞在した。最も気に入った所はリシケシだ。
リシケシの謎のおじさん

リシケシまでくればガンジス川も綺麗だ。

 リシケシは、ちょっと辺ぴな所にあり、ガンジス川が流れ、その両側に小さな街が形成されており、のんびりした感じで、ここでヨガをしながら、長期で滞在するのはいいかもと思った。ガンジス川と言っても上流域であるので、川の色は青くきれいである。唯一インドでもう一回行ってもいいなあと思ったところだ。
リシケシのヨガ道場

 一番嫌いな街は、アーグラ。ここはタージマハールがあることで有名だが、街自体は汚く、交通はめちゃくちゃ。タージマハールという一級の観光地があることで、逆に街が擦れている様な感じがした。タージマハールやアーグラ城なんかはきれいに整備され管理されているのに、なんできれいな町づくりが出来ないのかが不思議だなと思った。
タージマハール

 インドは列車の交通網がかなり整備されており、長距離の移動には便利だった。バスもあるのだが、バスに長時間乗るのは窮屈だが、列車だと動き回れるので気分的に楽だ。車両は寝台車両が多く、座席の種類も豊富なので、予算に合わせて選べるのがよい。
列車はとても長い。(アウランガーバード駅)

 さすがに、ジェネラルという一番下のクラスには、防犯上危険なので乗らず、かなり良い方のシートを使っていた。列車自体はちょっと汚い感じもするが、まあ許容範囲だった。


 列車の切符は、駅に買いに行かなければならない。大きな駅には外国人用の専用カウンタがあるのであまり並ばずに買う事が出来るが、前日や2日前とかだと、満席で思う様に買う事がきなかった。当たり前だが、しっかり計画を立てて、早めに切符を購入する事が大切だ。

 インドの列車はどうせ遅れるだろうと思い悠長に構えていたが、意外や意外、始発でもないのに、定刻にやって来てビックリしたことがあった。でも、到着はしっかり2〜3時間遅れた。

日本の新幹線はインドに売り込んでいるという話も聞いている。インドに新幹線が走っ
ている姿はあまり想像できないが、もし実現したら、インドの旅はもっと快適になるに違いないと思う。何時になるのかわからないがぜひ頑張って受注してもらいたいと思う。

 列車の予約が出来なくても大抵の所ならバスがある。しかしながら、バスの路線がどうなっているのか自分で調べるのは困難だった。自分は、旅行会社に頼んだ。旅行会社でも、バス路線を把握しておらず、インターネットを駆使して調べてくれる。

 長距離の寝台バスがなかなか良かった。これは、座席がベッドになっているバスで、完全にフラットで身長175cmの自分にはぎりぎり足を伸ばして寝る事ができた。今まで乗ったバスの中では一番快適かもしれない。しかしながら、このベッドはシートにはならないので、起きているのは辛いので、昼間は乗らないほうが良い。
 トイレはついていないので、トイレに行きたくなったら運転手に言えば、適当な道端で止めてくれる。しかしながら、老若男女問わず野ションとなるのが欠点だ。

 あと近距離の移動にはリキシャが便利だ。リキシャは、人力とオートリキシャがある。人力に乗ってみたが、ちょっと坂になると運転手は立ちこぎで、かなりキツそうに感じ自分の体重の重さを申し訳なく思い、ダイエットをしたい気分になるので、体重オーバーの人にはお勧めだ。

 オートリキシャは3輪車で、つめれば後ろ3人、前に2人、全部で5人くらいはお客さんが乗れそうだ。小回りが利いてとても便利である。面倒なのが料金交渉。だいたい相場を知らないので、大抵吹っかけられ、値引き交渉も思うようにいかず、大抵事前に調べていた額より多く払っていた。この料金交渉制は面倒だなと思っていたが、最初に料金交渉するので、一旦交渉が成立すると、ドライバーは最も速く行けるルートを考えて行ってくれる。もしメーター制なら遠回りされてもわからないので、かえってよくないと思った。そう思う様になってから、料金交渉が楽しくなった。

 インドを走っている車は、見た目日本のスズキ製の車が多かった。ロゴにはマルチスズキと書いてあるが、間違いなく日本のスズキだ。それから、T字のエンブレムをつけた車。トヨタと最初思ったがトヨタではない。これはタタ自動車というインドの会社の車だ。

 タタという車は、数年前に日本円で20万円台の車を販売するとして、世界中の注目を浴びた会社だ。何故そんなに安く車を作る事ができるのかと言う事で、とある会社で、その車を購入し内部の部品の調査を行ったらしいのだが、結局部品は古いものばかり特に目新しいものがなく参考にならなかったという話を聞いたことがある。
 当たり前のことだが、市販の古い部品を使うことがコストダウンの秘訣だったのだろう。

 このタタ自動車がなんでタタ自動車かというと、エンジンが「タタタタッ」という音がするからタタ自動車だという名前にしたと聞いたことがある。タタの車が走っているときによく音を聞いてみたのだが、別に普通の車の音だった。デマかと思っていたのだが、ハリドワールドで道を歩いていた時に、「タタタタッ」というエンジン音が聞こえた。

 あれ?と思い、あたりを見渡すと前方にオートリキシャが止まっていた。また「タタタタッ」と音がした。その音はそのリキシャのエンジン音だった。そのリキシャをよく見るとなんとタタ自動車のTのエンブレムがついていた。

 おそらくタタ自動車は、昔は、オートリキシャを作っていたのだろう。このリキシャのエンジンの音が「タタタタッ」だったのだろうと思った。ヤッパリ噂は本当だったということがわかった。

タタのリキシャ

 街を走っているリキシャのメーカーは2〜3個あったような気がするが、タタの物はこの時見た物だけだったので、今は作っていないのだろうなと思った。

 食事に関して、インドと言えばカレー。カレーと言えばインドなのだが、実はインドのカレーは思った以上に美味しく気に入った。もちろん辛いのだが、でもそんなに辛くない。しかしながら食べ終わると、お腹の中で辛み成分が暴れだし、代謝があがり、体があたたまり、なんだか無性にやる気がでてくるから不思議である。

 カレーにもカリーとマサラというのがあるようで、カリーはどちらかというとサラサラした感じで色が黄色いのもので、マサラは、もっとどろっとしており、色が赤っぽかったような気がする。ご飯やナン、チャパティーにつけて食べていた。
カレーを食べると力が湧いてきた。
しかしながら毎回カレーばかりでは嫌になる。そんなときは、チョウメンをよく食べた。
チョウメンは焼きそばで、何処のレストランにもある。焼きそばと思えば、日本の焼きそばのほうがうまいが、カレーの合間にたべるのにはよかった。チョウメンの中でも特にジンジャーチョウメンが気に入った。旅にでてから、なかなかショウガを食べる機会がなかったのだが、久々に食べたショウガはやはり体を暖めてくれて、体に力が湧いてくる様な感じがした。
チョウメンの調理中
それから、インドでは、ベジタリアンが多い。レストランのメニューにはベジタリアンとノンベジのメニューが置いてある。自分は旅に出てから、肉の臭みが強いものが多く、体が拒否反応を示すことが多くなり、あまり肉を食べられなくなっていたのでベジタリアンメニューがばかり注文していた。(帰国後は以前通り肉も食べているけど)

 でも約1ヶ月もいると、カレーとチョウメンだけでは最後の方は飽きてしまう。もう少し食事のバラエティーが欲しかった。
屋台で調理していたB級グルメ
そんなこんなで、25日間滞在したインドだったが、今まで行った国の中でも衝撃度は高く、印象は深い国であった。インドを出る時にはもう行くことがないだろうと思っていたのだが、帰国後どこの国が面白かったと聞かれると、面白いのはインドだと答え、ぜひインドに行ってみてくださいと答えるようになっていた。
 
 この原稿は旅の途中に書いた物だが、ブログにアップするのは実は帰国後かなり時間が経ってからである。この原稿を読み直しているとインドがとても懐かしく、また行ってみたいと思うようになっている。もしかしたらインドにやられてしまったかもしれない。