いよいよハンピに向かう。アウランガーバードのバス停からプーネへはパブリックのちょっといい(といっても普通)のバスに乗り込み、5〜6時間位走っただろうか?
プーネに着いたときはもう夕暮れだったが、プーネの街は大きなビルが建ち並び、おシャレな宝石屋さん等が車窓から見え、今まで見て来たインドのどの都市よりも都会に見えた。
インドにもこんな街が有ったんだというのが正直な感想だった。
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しかしながら、バスターミナルは相変わらず混沌としておりぐじゃぐじゃだ。バス停に着いてから、とりあえず夕飯を食べようとターミナル前のレストランへ行った。
インドのレストランは、お水をステンレスの大きな水差しにいれておいてありコップも置いてあるので勝手に水を飲んでよい訳であるが、埃っぽい空気に外のテーブルに置いてある水はとても飲む気になれない。その時妻が「あっ」と叫んだ。通りを歩いていた浮浪者がレストランの水差しに直接口をつけて水を飲んで行ったのだ。やっぱり、レストランに置いてある水差しの水は飲んではいけないという事がわかった。
このレストランでは何を食べたのか忘れたが、まずかったのだけは覚えている。だいたい都会になると飯がまずくなるような気がする。
さて次のホスペット行きのバスは、このバス停とは別の場所であり、リキシャでべつのバス停まで行った。リキシャマンには、旅行会社の人に書いてもらった警察署の近くのバス停までお願いしたら、警察署に連れて行かれた。違うよ、バス停に行ってといいようやくパブリックのバス停に降ろしてもらった。
バスターミナルは大きいので、ホスペット行きのバスが何処につくのか分からず係員に尋ねるが。その辺にくるとしか言わない。他の人にチケットを見せて聞くとこの旅行会社に電話した方がいいよなどというが、電話もっていない。
ここで間違いないと思い、時間になったが、それらしきバスは来ない。インド人ではなさそうな白人系の男性が丁寧な英語で何か困っている事があったら助けになってやるよと言ってくれた。早速チケットをみせると、多分バス停はここでは無いと思うよという。
もう一度、インフォメーションのオジさんにチケットを見せて聞くと、さっきはこの辺りと言ったくせに、この旅行会社に電話しろという。
ここで初めて、バス停がここではないという事に気がついた。出発時刻まであと10分。ウロウロといろんなバスを物色していたら、先ほどの親切なオジさんが再登場。いいから私についておいで、なんとかなるからと言い、我々をバス停の外に連れ出し、通りを渡り、旅行会社並ぶ通りまで連れて行ってくれた。この時既に出発時刻2分後。バスはここにはいなかった。俺はもう諦めていた。
オジさんは我々をリキシャに乗せ、次のバス停に向かうという。次のバス停といってもそんなに遠くはなかった。リキシャを降りたが、ここも違っていた。さらにリキシャに乗り、200m位先に止まっていたバスのところまで行くと、それが我々の乗るバスだった。この時、出発時刻20分後。奇跡が起こった。
名前を確認して、YESと言われたときは歓声をあげ、オジさんとハイタッチをして喜んだ。丁寧に御礼をいい、オジさんの帰りのリキシャ代だけでもとお金を渡そうとしたが、受け取ってくれなかった。「君たちが喜んでくれたのならそれだけで十分だ。私もうれしい」と言い残して彼は去って行った。
彼は現地の言葉がペラペラだったが、時折「メルシー」というフランス語のありがとうが聞こえてきたので、おそらくはフランス人ではないかと思う。本当に世の中には親切な人がいるもんだ、そして、ピンチの時に突然現れる。不思議だなと思った。
今の日本で、困っている外国人に身銭を切ってまで道案内してくれる人がどんだけいるだろうか? 自分だったら、面倒なのでやらないだろうなと思った。でも今後そういった機会があったら、自分が出来る事はしっかりする事がいままで受けてきた親切に対しての恩返しだと思った。
2020年東京オリンピックが開れる。見に来た外国人客が路頭に迷う事のない様にしてもらいたいと思った。
インドの長距離バスはパブリックバスと、プライベートバスがあるらしいのだが、我々が乗ったのはプライベートバス。プライベートバスは,各旅行会社が運行しており、バス停は適当な路上とかになっているのだ。旅行会社の男性が言ったキーポイントの警察署の近くというのが正確なバス停の場所だったのだが、我々はてっきりパブリックバスでパブリックバスステーションからバスは出ると思い込んでおり、パブリックバスステーションの場所が、警察署の近くだと思い込んでいたのが、間違った原因である。
次にバスに乗るときはパブリックかプライベートかを確認しておく必要がある。
バスはエアコンの寝台バス。寝台バスは車の進行方向に向かって2段の右にダブルベッド、左にシングルベッドを並べたような形になっている。我々は夫婦なので、ダブルベッドの下段を予約していた。
長さは身長175cmの自分の足の先っぽが微妙に前のベッドとの壁ににあたるが、まあ狭くはない。
見知らぬ男女がダブルベッドになってしまったらどうなるのだろう等といらぬ妄想を描きながら眠りについのだが、妄想しすぎて眠れなかった。
途中、トイレをしたくなりバスを止めてもらったのだが、そこは道端、老若男女とわず野ションである。トイレを済ませ、再びベッドに入るが、隣のオジさんがなんだか臭い。今度は臭くて眠れなかった。
気がつくとバスは少し長い時間止まっていた。「ちゃりんシャリン」とガラスのような音がする。なんだろうと見に行くと、なんと、バスのフロントガラスが全損していた。どういういきさつで割れたのか知る由もないが、事故にならなくてよかった。バスは、そのまま走り出したが、フロントガラス全開なわけで、とても寒い。今度は寒くて眠れなかった。
ホスペットに到着してから気がついたのだが、トイレに行った時、どうやら自分は肥料のようのなものを踏んだらしくそれが靴とズボンにこびりつき、その匂いが臭かったということが判明した。臭いのは隣のオジさんではなくて自分だった。
まあいろんな事があった寝台バスだったが、無事にホスペットに到着した。
ホスペットでバスを降りると、リキシャマンが待ち構えており、すぐに捕まってしまった。料金交渉するも、事前情報のようになかなか負けてもらえず、そのうち他のリキシャがいなくなってしまい、交渉の余地がなくなりほぼ言い値でハンピまで行く事になってしまった。
ハンピの宿は決めてなかったが、日本人の奥さんのいる宿に連れて行ってもらう事にした。まあ、こんなヘンピなところにも日本人が嫁に来ているというのには多少驚かされた。その女性はサキさんといい、小さなハンピの村では誰でも知っている存在だった。
宿に到着すると、宿からは嗚咽が聞こえて来た。朝早いというのに宿の周りには大勢の人がいてすぐに普通ではない事が分かった。リキシャを降りて、宿に近づくと、近くの人が、今朝サキのハズバンドのマザーが息を引き取ったという。今日は泊まれないよとアドバイスをしてくれた。
このハンピの村にはゲストハウスはいくらでもあった。リキシャマンが案内してくれて、少し村の入り口付近の500ルピーの一見きれいで、Wifiの電波が強かった部屋に決めた。
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インドのレストランは、お水をステンレスの大きな水差しにいれておいてありコップも置いてあるので勝手に水を飲んでよい訳であるが、埃っぽい空気に外のテーブルに置いてある水はとても飲む気になれない。その時妻が「あっ」と叫んだ。通りを歩いていた浮浪者がレストランの水差しに直接口をつけて水を飲んで行ったのだ。やっぱり、レストランに置いてある水差しの水は飲んではいけないという事がわかった。
このレストランでは何を食べたのか忘れたが、まずかったのだけは覚えている。だいたい都会になると飯がまずくなるような気がする。
さて次のホスペット行きのバスは、このバス停とは別の場所であり、リキシャでべつのバス停まで行った。リキシャマンには、旅行会社の人に書いてもらった警察署の近くのバス停までお願いしたら、警察署に連れて行かれた。違うよ、バス停に行ってといいようやくパブリックのバス停に降ろしてもらった。
バスターミナルは大きいので、ホスペット行きのバスが何処につくのか分からず係員に尋ねるが。その辺にくるとしか言わない。他の人にチケットを見せて聞くとこの旅行会社に電話した方がいいよなどというが、電話もっていない。
ここで間違いないと思い、時間になったが、それらしきバスは来ない。インド人ではなさそうな白人系の男性が丁寧な英語で何か困っている事があったら助けになってやるよと言ってくれた。早速チケットをみせると、多分バス停はここでは無いと思うよという。
もう一度、インフォメーションのオジさんにチケットを見せて聞くと、さっきはこの辺りと言ったくせに、この旅行会社に電話しろという。
ここで初めて、バス停がここではないという事に気がついた。出発時刻まであと10分。ウロウロといろんなバスを物色していたら、先ほどの親切なオジさんが再登場。いいから私についておいで、なんとかなるからと言い、我々をバス停の外に連れ出し、通りを渡り、旅行会社並ぶ通りまで連れて行ってくれた。この時既に出発時刻2分後。バスはここにはいなかった。俺はもう諦めていた。
オジさんは我々をリキシャに乗せ、次のバス停に向かうという。次のバス停といってもそんなに遠くはなかった。リキシャを降りたが、ここも違っていた。さらにリキシャに乗り、200m位先に止まっていたバスのところまで行くと、それが我々の乗るバスだった。この時、出発時刻20分後。奇跡が起こった。
名前を確認して、YESと言われたときは歓声をあげ、オジさんとハイタッチをして喜んだ。丁寧に御礼をいい、オジさんの帰りのリキシャ代だけでもとお金を渡そうとしたが、受け取ってくれなかった。「君たちが喜んでくれたのならそれだけで十分だ。私もうれしい」と言い残して彼は去って行った。
彼は現地の言葉がペラペラだったが、時折「メルシー」というフランス語のありがとうが聞こえてきたので、おそらくはフランス人ではないかと思う。本当に世の中には親切な人がいるもんだ、そして、ピンチの時に突然現れる。不思議だなと思った。
今の日本で、困っている外国人に身銭を切ってまで道案内してくれる人がどんだけいるだろうか? 自分だったら、面倒なのでやらないだろうなと思った。でも今後そういった機会があったら、自分が出来る事はしっかりする事がいままで受けてきた親切に対しての恩返しだと思った。
2020年東京オリンピックが開れる。見に来た外国人客が路頭に迷う事のない様にしてもらいたいと思った。
インドの長距離バスはパブリックバスと、プライベートバスがあるらしいのだが、我々が乗ったのはプライベートバス。プライベートバスは,各旅行会社が運行しており、バス停は適当な路上とかになっているのだ。旅行会社の男性が言ったキーポイントの警察署の近くというのが正確なバス停の場所だったのだが、我々はてっきりパブリックバスでパブリックバスステーションからバスは出ると思い込んでおり、パブリックバスステーションの場所が、警察署の近くだと思い込んでいたのが、間違った原因である。
次にバスに乗るときはパブリックかプライベートかを確認しておく必要がある。
バスはエアコンの寝台バス。寝台バスは車の進行方向に向かって2段の右にダブルベッド、左にシングルベッドを並べたような形になっている。我々は夫婦なので、ダブルベッドの下段を予約していた。
長さは身長175cmの自分の足の先っぽが微妙に前のベッドとの壁ににあたるが、まあ狭くはない。
見知らぬ男女がダブルベッドになってしまったらどうなるのだろう等といらぬ妄想を描きながら眠りについのだが、妄想しすぎて眠れなかった。
途中、トイレをしたくなりバスを止めてもらったのだが、そこは道端、老若男女とわず野ションである。トイレを済ませ、再びベッドに入るが、隣のオジさんがなんだか臭い。今度は臭くて眠れなかった。
気がつくとバスは少し長い時間止まっていた。「ちゃりんシャリン」とガラスのような音がする。なんだろうと見に行くと、なんと、バスのフロントガラスが全損していた。どういういきさつで割れたのか知る由もないが、事故にならなくてよかった。バスは、そのまま走り出したが、フロントガラス全開なわけで、とても寒い。今度は寒くて眠れなかった。
ホスペットに到着してから気がついたのだが、トイレに行った時、どうやら自分は肥料のようのなものを踏んだらしくそれが靴とズボンにこびりつき、その匂いが臭かったということが判明した。臭いのは隣のオジさんではなくて自分だった。
まあいろんな事があった寝台バスだったが、無事にホスペットに到着した。
ホスペットでバスを降りると、リキシャマンが待ち構えており、すぐに捕まってしまった。料金交渉するも、事前情報のようになかなか負けてもらえず、そのうち他のリキシャがいなくなってしまい、交渉の余地がなくなりほぼ言い値でハンピまで行く事になってしまった。
ハンピの宿は決めてなかったが、日本人の奥さんのいる宿に連れて行ってもらう事にした。まあ、こんなヘンピなところにも日本人が嫁に来ているというのには多少驚かされた。その女性はサキさんといい、小さなハンピの村では誰でも知っている存在だった。
宿に到着すると、宿からは嗚咽が聞こえて来た。朝早いというのに宿の周りには大勢の人がいてすぐに普通ではない事が分かった。リキシャを降りて、宿に近づくと、近くの人が、今朝サキのハズバンドのマザーが息を引き取ったという。今日は泊まれないよとアドバイスをしてくれた。
このハンピの村にはゲストハウスはいくらでもあった。リキシャマンが案内してくれて、少し村の入り口付近の500ルピーの一見きれいで、Wifiの電波が強かった部屋に決めた。
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