ミコノス島から高速船でサントリーニ島に向かうのだが、ミコノス島の船着き場は、人でごったがえいしていた。やたらと中国人が多い。自分の周りには大量の中国人が雑然と立っている。
この人達もサントリーニに行くんだなと思いながら見ていると、10年前は相当かわいかったと思われる女性が旗を持ってやって来て何やらみんなに告げると、一行はビシッと整列して、きれいな列を作ってしまった。この女性は中国人美人ツアーガイドだった。
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ちまたではマナー等イロイロ言われる中国人だが、我々が見た感じは、そんなに酷いと思うようなことはあまり無い。やはり美人には弱いという事がわかった。
港ははごった返していたが、船は思いのほか空いており、2時間半程でサントリーニ島に到着した。眠っていた自分は目を開けて、窓の外をみると、山のような島の上に白いものがかぶっている様に見えた。妻に、「雪が積もっているよ」と言うと、「えっ本当?」と言って妻は飛び起きた。
妻を起こすのはこの作戦が一番よい。
サントリーニ島は、火山の島らしく、カルデラになっている。一番大きな島は三日月のような形で、その円弧の延長線上にいくつかの島が配置されており、その中央に島が一つある。
阿蘇のカルデラと似ているなと思った。阿蘇はカルデラの中には田んぼがあり、人が暮らし、まだ活動中の中岳がある。
一方サントリーニではカルデラの中に海水があり、大きなクルーズ船が停泊し、魚が暮らしている。カルデラの中に山(島)がある所も似ている。
滞在中昼間は常に数隻の大型クルーズ船が泊まっていた |
帆船も夕暮れ時にクルーズしていた。 |
崖の上に立つ建物 |
到着後、ご飯を食べに行ったが、どうしてもお米が食べたいので、島唯一の中華屋さん、中華大飯店に行った。
サントリーニ島にはふさわしくないデザインの中華料理屋。ビールはサントリーではなく、アムステルだ。 |
スープヌードル。おいかった |
少しにぎやかになり、ふと見上げると、朝ミコノス島にいた中国美人ガイドがいて、お客さんに店を紹介しているようだった。
マーボ豆腐 |
よく見る、サントリーニ島の、ブルー屋根の教会は見当たらなかったが、これはイアの街の方だそうだ。
夜は、フィラの崖の下にあるポートの真上にあるレストランにて食事をとった。グリークサラダに、ラムのグリルが夕食だ。
ラムのグリルは、ただ焼いたラムに塩を振ってあるだけだが、そこそこ美味しかった。
ラムのグリル。お味はまあ普通かな? |
グリークサラダ |
自分の場合は、フェタチーズを潰して、野菜に混ぜ、オリーブオイルと酢を多めにかけて胡椒を振って食べる。
チーズとオリーブの塩気が強いので、これでちょうどいい味になる。
フェタチーズは実は対しておいしくないので、どうでもいい。この食べ方、実は我々が日本で食べているサラダの食べ方と殆ど同じであるのである。日本での場合、酢は、すし酢を普通の酢で半々に割った物を使っているのとチーズとオリーブが無いのが違いと言えば違いである。
なので、ギリシャオリジナルの料理でこれは美味いと思った物は実は無い。
なんだか横道にそれてしまったが、とにかく崖のレストランで食べたのである。食べていると、さっきの中国美人ガイドが、お客さんを伴ってやって来て、隣のレストランに入って行った。そこは我々が最初に入ろうとしたところだった。
中国人団体と行き先が同じでおかしかった。
我々が食べたレストランからはとても眺めがよく雰囲気も良かったが、夜なので、クルーズ船も出払っており、何も見えない。
このレストランの下は、港に通じる道となっており、急な坂道が続いている。クルーズ船できた観光客は、この下の港まで小型のボートで渡してもらい、ゴンドラで上るかこの坂道を登ってくることになる。この坂道はロバで登る事も出来て、たくさんのロバが待機している。
崖の下のボート乗り場 |
ロバ乗り場 |
ゴンドラ。6連でなんだかゲジゲジみたい |
最初はなかったのだが風向きが変わったようだ。食事時にこれはキツい。息を止めてた食べて、一刻も早く店を出たかった。ウエイターにチェックをお願いしたが、なんだか変なジェスチャーでふざけているようで、なかなか勘定を持ってこない。10分くらい待って堪忍袋の緒が切れ、厨房まで早くしろと怒鳴り込みに行ってしまった。もちろん、笑顔で。
この崖の上での食事は、中世の香りに要注意だ。
宿は、中世の香りがしない崖から少し離れた所に取ってよかったとつくづく思った。
イアの街は、フィラからバスで20分くらい行った所だ。バス代は1.6ユーロだったかな?
イアの街は夕陽ポイントらしく、夕方になるとたくさんの人が集まってくるらしい。
我々も夕陽をねらって行ってみる。本当にたくさんの人達が夕陽を見るために自分の場所を確保しており、道や場所のいいカフェは人で一杯だった。
サントリーニといえばこの教会が有名? |
とにかく写真をを撮る量がすごい。専属カメラマンにメークの人もいて、ありとあらゆる所で撮影している。
カメラをが向いているので、写り込んでは悪いと、優しい白人達は、道の途中で撮影が終わるのを待っているが、彼らの撮影には終わりがない。道が渋滞してしまう。
結婚式の撮影 |
彼らは、肩を抱いたり、キスしたり、男性が膝ま付き女性の手にチューしたりと様々なポーズで写真を撮っている。
我々も、その様子を写真に収めた。またもや他人のふんどしで写真を撮ってしまった。
そんな様子を、夕陽ギャラリーから大勢の人が夕陽とともに見物している。中には自分の部屋の屋上から、頭と体にタオルを撒いたお風呂上がりスタイルで見物している人もおり、結構笑える。
チュー |
風呂上がりで見物 |
こんな風景 |
わしらも結婚式の写真はここでしようなどと会話はしていないと思う。 |
膝まづきスタイル。 |
ギャラリー |
みんな他人のふんどしの写真を撮る。 |
彼らには、本当にいい思い出になっただろう。私は、彼らが末永く幸せに一緒にいる事を願うばかりだ。もし離婚でもしたらこの時の写真はどうなるのだろうとよけいな心配までしてしまった。
ちょっとここいいなという場所には必ず観光客もいて、記念撮影をしている。
夕陽を眺めていると、隣には日本人観光客がいて、写真撮影を頼まれた。エーゲ海に沈む夕陽をバックに彼らの写真を撮った。
イアの夕焼け |
夕陽が水平線に落ちてくると、結構な早さで太陽が動いていることがわかる。太陽の下の部分が水平線にかかってから上の部分が沈むまであっという間だ。このときばかりは、地球が回転しているという事を体感する事が出来る。
地球の自転を感じる瞬間 |
実はこの後が、自分たちの狙いであった。夕暮れ後暗くなるまでの間の空の色がとても好きだ。三脚を立てて月明かりで写真を撮ると、写真を撮ると空が青く、その中に星が写り、建物は普通に写り、昼間のようだけどなんだか違う不思議な写真になることが多い。
日が暮れて待つ |
空が暗くなりすぎた |
残念ながら、きれいには写らなかった。
サントリーニ島の崖の反対側はなだらかな坂になっており、海沿いにはビーチが存在する。砂が黒いブラックビーチと赤い砂のレッドビーチがあるので、先ずは、ブラックビーチに行ってみることにした。
ブラックビーチの近くには、遺跡があるというので遺跡も観て廻る事に。
バスで、遺跡に行くミニバス乗り場まで行く。たしか1.6ユーロだったが、そこから遺跡までのミニバス料金がなんと7ユーロ。
しかもバスがなかなか来ない。バス停のオジちゃんはなんか携帯でしきりに電話している。オジちゃんどっか行ったと思ったら、バンに乗って帰って来た。
オジちゃんがいうにはバスは車両トラブルだから、この車に乗って行けという。この車なんだろうと思ったらプライベートの送迎車のようで、そのあと、いくつかのホテルをまわり、遺跡に行った。(まあ、最初の7ユーロ以外とられなかったからよかったけど)
この遺跡は、山の上にあり、いろは坂のような急な坂道をクネクネと登って行く。15分位で頂上に到着。そこで入場料(いくらか忘れた)を払い、急な坂をのぼり、中を見学。
この遺跡は調べていないのでよくわからないが、相当古いらしく、石垣と、壁掘られたライオンのような彫刻くらいしか残っていない。
神殿らしい |
ブラックビーチ |
帰りは、バスが又来るかわからないし、7ユーロのミニバス代が高いので、歩いて降りて、ブラックビーチへ行った。
ブラックビーチ沿いにはたくさんのレストランが並んでいるが、観光客が少ないので、何処も閑古鳥が鳴いており、呼び込みに必死だ。
ちょっと奇麗めのお姉さんの店を選んで入った。ミックス魚グリルというのを頼んでみる。フレッシュなお魚がたくさん、焼かれてやってくるのを想像していたが、なんと、やって来たのは、一夜干しの魚だった。Σ( ̄□ ̄;)
レストランの前には、パラソルと、ベッドがあり、この店のお客さんは使っていいというので、そこで、昼寝と洒落込んだ。一応海にも浸かってみたが、ナンキンの傷跡にしみるのですぐに上がった。
しかしながらこのビーチにはトップレスがいた。
おばちゃんかと思いきや、一人は若い。もう一人はおばちゃんっぽく、親子か姉妹ではないかと勝手に想像した。
ブラックビーチ。写っていないがトップレスもいた |
しばらくの間、彼女らを見ながらしばしの休憩を取った。
レッドビーチは、フィラの街から、バスで30分くらいの場所にあり、バス代も1.8ユーロと若干高い。バスは満員で、立ったままだった。
ここにも、遺跡があり、その先にレッドビーチがある。先ずは遺跡を見る。ここの遺跡は、すべてが屋根に覆われ、保存状態がよいようだ。おそらくは、火山の噴火によって埋まってしまったようである。この中には、2階建て住宅の後等があり、台所だったのだろうか?大きな瓶や壷等が置いてある。
また、石で作った便器もあり、これは、イタリアで見たビデのような形をしており、なかなかオサレなデザインである。中央部には排水の穴があけられており、ここで古代人が用を足していたのだなと思うと、なんだか感慨深い物がある。
便器ー |
レッドビーチは、この遺跡から歩いて、10分くらいの所にあったが、途中、崖崩れの危険性があるので、立ち入り禁止になっていたが、みんな、行くので我々も行ってみた。
レッドビーチへの道 |
足早にその危険地帯を通り過ぎ、ビーチまで降りるが、ビーチはふかふかと絨毯の様だ。よく見ると、そこには海藻が打ち上げられ、ビーチ全体が海藻で覆われおり、海藻の匂いがキツい。
奥の方は赤い砂であるが、溶岩が固まったようなゴロタであり、きれいではない。海も海藻が混じり、はいるのにはちょっとと言う感じである。
レッドビーチ |
ヨガっています |
中には、この島で出土した陶器等が展示されている。この出土品は本当に保存状態がよいようで、無傷のものも多々ある。確か紀元前のものであったと思うが、この時代にこれだけの物が作れていたということに驚いた。
サントリーニ島は、今でこそ、エーゲ海に浮かぶ島々のなかでもトップクラスの観光島であり、フィラやイアの街はとてもお洒落である。しかしながら、歴史的には、火山の爆発に翻弄された少しかなしい歴史を持つ島だったんだなということがわかった。
サントリーニ島最後の夜は、適当にその辺のレストランに入り、本日の魚のグリルを頂いた。本日の魚は何だろうと思っていたが、出て来たのは、チヌだった。ウエイターに聞いたらシーブリームという名前だと教えてもらい、それを、訳したら、タイになる訳だが、赤くないのでチヌである。
この辺りの英語訳し方は難しい。タイはsnapperともいうみたいで、なかなかの高級魚だ。
ウエイターは、自分が日本人だとわかると、シチズンの腕時計を外してみせてくれて、1994年から使っているけど全然壊れないよ。
車もトヨタのコロナに乗っているけどとっても良いよ。
日本は大好きだと言ってくれたが、日本は大好きだというのはよく聞くが、本心から言っているのか気になる所だ。
でも中国人は、嫌いだという。「旅の途中で、何人かの中国人と話をしたがみんないい人だったよ、いい人もたくさんいるよ」と言うと、わかっているけどねーと。でも。。。と はっきりは言ってくれなかったが、嫌な思いをしたことがあるようだった。
サントリーニ島には結局3泊して、夜の12:50のフェリーで、ロドス島へと向かった。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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とても魅力的な記事でした。
返信削除また遊びに来ます!!