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2013年12月24日火曜日

パレスティナ自治区ベツレヘムで考えた。


 エルサレムを出て、パレスティナ自治区ベツレヘムという所に行ってみた。エルサレムの旧市街のダマスカス門の近くのバス停からバスに乗り、40分くらいだったろうか?

 事前情報では、チェックポイントがあり、パスポートチェックされるとかしないとかいろいろ言われていたが、特に何事もなく、ベツレヘムのバス停に着いた。あれ?チェックポイントは何処だろう?と思いながら歩いて、目的の教会へと向かった。

 途中で寄った食堂で前の席に座っていたおじさんは、空手道場をしているという。今からぜひ見に来いという半ば強引な誘いをイロイロ理由を付けて必死に断り、目的地である教会へと向かう。
こんなもんを食べてみました。まあまあ美味しかった。

空手道場のオジさんと
途中商店街があり、yukaさんが寒くなるからコートが欲しいなと言いだし、洋服屋さんで、コートを物色。値段を見てびっくり。なんと、エリマキトカゲ風の温かコートが日本円にして3000円なのだ。エルサレムの物価からして考えられないくらいの値段。ベツレヘムはかなり物価が安いようだ。

エリマキトカゲ風コート
速攻でコートを買い込むyukaさん。

 ようやく聖誕教会へ。

意外と地味な教会の入り口

教会の床の下にはモザイクの床がある。

教会の柱は手脂でピカピカ


ここは、キリストが生まれた場所があり、中に入ってみる事が出来るという。早速その列に並ぶが、その列にはたくさんの人が並んでおり、30分程並んでみたが、全く動かない。若干前に進むのだが、それは、諦めて列を離れる人がいるからだ。

 そこへ、親切なオジさんが登場。この列は、ツアー客用で個人客は別の入り口から入れるよとyukaさんに教えてくれた。やっぱり若い女性と一緒に来るべきだ。情報が勝手に歩いてくる。(笑)

 この生まれた場所というのは教会の祭壇の下にあり、向かって右側に列があり、右から入り、左から出て行くが、個人客は、左から入れてくれるというのだ。

 早速中に入れてもらい見るが、生まれた場所のシンボルは、高さ1mくらい穴の中にあり、腰を屈めないと入れない。そこには、たくさん観光客が群がり、なかなか中に入る事ができない。自分は諦めていたが、妻は、隙間を縫って中に入り、写真を撮ってきた。
キリストの生まれた場所だそうだ。
それを見ると、さすがに、生まれた場所というだけのことがあり、があり、周りに星形の模様が描かれていて、みんなが触るのだろう。手脂で磨かれた感じだ。まあそれだけだ。ここはエルサレムの教会のように10秒でつまみ出されるという事はなく、優しい感じで印象は良かったが、人がたくさんで空気が悪そうだった速攻で出てきた。

そのあとガイドブックによると聖母マリアの母乳で赤い地面がミルク色に染まったというミルクグロットという教会に行った。

 途中では、オリーブの木を削って、彫刻を作る工場が立ち並んでいて、職人さんも、愛想がよく写真を撮らせてくれる。


数珠の玉を削っている

職人





買ってあげられないのがとても残念だったが、十字架に掛けられたキリストの大きな彫刻等はなんだかリアリティーがありよかった。
オーリーブのイエスさん
教会自体は、古い建物と、新しい建物が一体化したような造りの建物で特にどうこういうもではなかった様な気がした。

ミルクグロット教会




 昼食を、聖誕教会の近くのレストランで、昼食をとることにした。エルサレムと比べて、値段は安く、美味しく我々のベツレヘムに対する印象がぐんぐん良くなって行く。

 そこのレストランのマネージャーだろうか?ちゃんとした格好のオジさんが非常に丁寧な口調で、我々のペットボトルを指して、水が必要だったら、ペットボトルに入れてあげるので、遠慮なく言ってくださいと言う。

 そんな風に言われるのは初めてで親切だなーと思っていた。我々のボトルはまだ十分に水があったのでお断りしたが、yukaさんは水を入れてもらった。

 実をいうとこのパレスティナ自治区という物を私はよく理解しておらず、なんだか恐い地区というよな漠然としたイメージしか持ち合わせていなかったが、 このパレスティナ自治区の人達は、エルサレムと比べて、みんな、親切でとてもいい感じの人達が多い様に感じた。(もちろんエルサレムにもいい人達はいたけど)

 このあと、パレスティナ自治区とエルサレムを隔てているを歩いて観に行く。
いろんな人に聞きながらようやく、壁に到着すると壁は落書きだらけで、かなり荒れている。でもその中にいろんな絵が描かれているが大抵は、平和を願う絵だ。
監視塔?




有名なイギリス人壁画アーティストのバンクシーの絵もある。と偉そうに書いてみたが実はバンクシーって誰だか知らない。調べてみると、ゲリラアーチストで、世界の有名美術館に自分の絵をこっそり展示してたりと、なんだかルパン3世の様な感じの画家らしい。

 バンクシーの少女が風船をジャンプして取ろうとしてる絵を見つけて、自分もジャンプしてみた。壁はものすごく高く、ちょっとやそっとジャンプしただけでは、写真であっても飛越えられない。私のジャンプ写真もこの壁には通用しないようだ。

ジャンプしてみたが、壁は高く、当たり前だがとても飛越えられない。

 この長く続く壁沿いを歩いて行くとそこにはチェックポイントがあった。チェックポイントからは、エルサレムで仕事をして帰宅する人達が大勢出て来ていており、その客目当てのタクシーお店がたくさんあり、活気があった。
ベツレヘムのチェックポイント。夕方イスラエル側から帰ってくる人達でごった返していた
パレスチナ側からイスラエルに行く人達はごくわずか。おそらく朝はこの逆だろう。
誰もいないチェックポイントを通過しようとしたらセキュリティーチェックの兵士はさぼっていて我々に気がつかない。

 セキュリティーを通り抜けるとけたたましい音がなり、再チェックをさせられた。パスポートチェックは我々のうち1人が見せたらあとはノーチェックでエルサレムに戻った。

 エルサレムよりパレスティナの方が人達が優しくおおらかな感じがする。エルサレムはどこに行っても、銃を構えた兵士がウロウロしており、威圧感を感じる。逆に安全なのか、危険なのかよくわからない。

 イスラエルからの出国は、北のボーダー、ヨルダン川ボーダを使用した。最初宿のオヤジに行き方を聞いたが、適当に答えられ、どうやら嘘っぽい事がわかり、ヤッフォ門の近くのツーリストインフォメーションに聞きにいくと、1枚のプリントをくれて説明してくれた。

 北のボーダーへはエルサレムのセントラルバスステーションから、バスに乗り、ベトシェンと言うところで降り、そこからボーダーまでタクシーで行くということがわかった。
こんなキッパ頭の人を見ながらバスでベトシェンへ

ベトシェンへの道中はこんな風景が広がる。
バスを待っていると1人の日本人女性と一緒になった。高橋さんというカメラマンで、何ヶ月かパレスティナの友人宅で遊んでいたという。

 我々はパレスティナの事なんか殆ど良く知らない。彼女に根掘り葉掘りきくと、彼女は親切にいろいろ教えてくれた。

 パレスティナでは未だに銃撃戦が行われており、緊張が続き、2年に1回くらいは人が死ぬ事もあるとか、友人の外国人が流れ弾に当たり怪我をした事もあるらしい。

 エルサレムの飯がまずいというと、パレスティナでは家庭の料理を食べていたので、美味しいですよと言われた。ヤッパリ、エルサレムの旧市街がダメなんだろう。

 ただ、パレスティナでは、水が貴重で、外から来た人にたいして水を振る舞うのが最高のおもてなしだそうだ。

 そういえばぱベツレヘムのレストランのマネージャーのような紳士は丁寧な言い回しで我々のペットボトルに水を入れてくれるとも言ってくれた。彼は我々に最高のお・も・て・な・し・をしてくれたという事がいまさら分かり、すこし感動した。

 国境では出国税を払い、窓口にパスポートを提出し、すんなりと通過した。

 高橋さんはヨルダンの国境にいくバス乗り場までくると、ほっと安心した様な顔つきになり、実は、取材でたくさんの写真を撮り、もし調べられたらヤバい物がたくさんあったんで緊張したんですという。

 大切な物はクラウドにバックアップしてあるとはいえ、全部写真をアップする事は難しく、ここでデータを消されたら一貫の終わりである。

 国境でパソコン没収され、中を全部チェックするまで返してもらえなかったという人の話も聞いており、自分も、写真見られたら、ヤバいなあ等と思っていたくらいだから、緊張度は相当な物だっただろうと思った。

 彼女は、見た目には、そんな風には見えなかったが、その辺りはプロだ。飛行機で出国しなかったのは、空港でのチェックがとても厳しいので、この国境を選んだのだそうだ。
 やはりイスラエルという国はまだ我々の想像を超えた世界にある様な気がした。
このバスでイスラエルの国境からヨルダンの国境

ヨルダンの国境
国境からアンマンの空港まで、3人でタクシーをシェアして行った。彼女はアンマンで1泊してから帰るという。

 今日は久々にゆっくり寝たいなーという彼女の言葉が印象的だった。おそらくいままでは緊張でよく寝れてなかったのだろう。

 我々は、アンマンから飛行機で、インドのデリーに向かった。

アンマンの空港だモン



ただいまチェックイン中


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