2013年10月30日水曜日

天空の修道院のある街、メテオラ

 妻がギリシアでどうしてもメテオラに行ってみたいという。それ何処?と尋ねると、アテネから列車で5時間行ったところにあるという。アテネからはエーゲ海の島々を点々として、トルコへ渡る予定だったが、その前にメテオラに行く事にした。

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アテネからの列車は、午前8:30一本だけ、午後1時にカランバカという街に到着する。メテオラへはそこからバスで20分程、そこから歩いて、修道院を周り、カランバカまで帰ってくるが、帰り道は10Km以上を歩く事になる。帰りの列車は午後5時半の1本だけ、4時間半ではちと時間が足らない。1泊する事にした。

 列車は往復一人、約30ユーロ。メテオラまでのバス代は1.6ユーロだ。

列車は落書きだらけで外観は荒れていたが、車内は、奇麗だった。アテネ駅からの乗客も多く、満員とは行かなくても、80%程度の乗車率。
車内
列車は、アテネを出るとしばらくクネクネと走っていた様子で、揺れが大きかったが、しばらく走ると、あまり揺れなくなった。窓の外を見ると、小高い丘の上を走っているようで、車窓からは、広大な景色を見る事が出来た。
途中の風景

 予定より30分程度遅れて、カランバカに到着。

汚い列車

 予約していた宿に、いこうとしたら、ホテルの客引きがやって来て、パンフレットをくれたが、そこは我々が予約してた宿だった。

 行き方を聞き、宿は要所要所にの看板があり、わかりやすかったが、看板があるのはこの宿だけ。この宿、よっぽど客が来ないのか、商売熱心なのかどちらなんだろう。
至る所にこの看板
宿に着くと、アンジェラアキの怒った顔似の奥さんが、レセプションにいた。ものすごい勢いの英語でいろいろ説明してくれたが、顏も口調も恐い。彼女の子供にも何か言っているが、これはもっと恐い

 部屋に案内すると言って、外にでると、知り合いがいたようで、満面の笑顔と甘い声でしゃべっている。全然恐くなく、顏もやさしい顏している。

 なんでお客に恐顏なんだろう?などと不思議に思った。

 この宿の後ろには、巨大な石が鎮座している。この石山の上に、いくつかの修道院が立てられており、この修道院をまわるのが、メテオラの正しい観光らしい。
先ずはビールで乾杯。

右の岩はゴリラに見えないかな?
しかし、この石山、ものすごいデカさだ。オーストラリアのエアーズロックを思い出させるような大きさで、さらに、その数がたくさん。垂直に切り立った岩肌は登る物を拒んでいるようである。

 この様子は、どちらかというと、エアーズロックよりは、エアーズロックの近くにある、カタジュタという巨岩の集まりに似ている。カタジュタは赤い岩であるが、ここの岩は、灰色である。

微妙な形の石があった

微妙な形の石も方向を変えると、お地蔵様みたいに見えるのが不思議だ
  少し離れた位置からは、この岩の頂上に建物があるのがわかるが、岩に近づくと、見えなくなる。垂直に切り立った岩を見上げると、首が痛くなってくる。


この石の上に修道院がある。

垂直に切り立った岩。ジャンプしてみたが超えられなかった
宿の近くには古いビザンチン教会があった。入場料2ユーロを払い中に入る。中は狭い。

先ずは入り口が有るところに前室があり、その奥に神殿のようなものがある。前室にもメインの神殿にも壁と天井にはビッシリ絵が描かれており、この絵のデザインは今までにみたことがないような独特の物である。残念ながら、古い絵らしく、損傷が激しかった。神殿のある部屋には中央にシャンデリアがあり、その周りに直径2〜3mの輪っかの金属が宙に浮いている。

 おそらくは、こういうスタイルがギリシア正教の正しい教会なのだろう。アテネでも小さな教会がたくさんあった。教会のデザインも今まで見て来てた物とは大きく異なる。
教会からはカランバカの街を一望
今まで見て来た物は主にカトリックの物だった。いままでの教会は、大きく、堂々とその力を誇示するかのように威厳のある物だったが、ギリシアの教会は、本当にこじんまりとこっそりとした感じである。やはり弾圧を受けて、こっそり信仰したような感じである。

 天気がよかったので、この岩山の麓で、たくさんの写真を撮って、一日目を終えた。

 朝起きると、空はどんよりとして、あまり天気がよくなかった。

 バスに乗り、山の頂上のメガロメテオン修道院まで行くと、雨が降って来た。バスを降りると、下からが上がってくるのが見えた。この修道院からは、切り立った岩の上に立ついくつかの修道院を見る事が出来るが、これらの修道院の下の方に霧がかかり、修道院のある部分は霧がかかっておらず、修道院が雲の上に浮いているように見えた。




とても幻想的だ、天気が悪いのを嘆いていたが、この幻想的な風景が見れてかえってラッキーだった。

 写真を一枚とり、雨合羽を着ていると、あっという間に霧がかかり、全く何も見えなくなってしまった。いい風景は、待ってくれないのである。今と思った時に写真を撮らないと後では撮れないのだ。

 メガロメテオン修道院はバス停からすぐのところにある。橋を渡り、階段を上り、修道院に入る。女性は、スカートでなくてはいけないらしく、入り口に腰巻きがおいてあるので、それを腰に巻く。



  入場料は一人3ユーロ。ガイドブックには2ユーロとあったので1.5倍にも値上がりしている。

 修道院だがやはりお金が大事なのだ。

 入り口から右手に何やら怪しげな物が。部屋の中をのぞくと、人間の頭蓋骨が並べられている。妻は小鼻をふくらませ、この修道院で亡くなった人らしいよという。なんで、頭蓋骨を並べなければいけないのか不思議である。

教会は、階段を上ったところにあった。ここも昨日見たオールドチャーチと同様に前室と神殿に別れており、同様に壁から天井まで絵が描かれている。前室の絵は、迫害を受けている信者の絵だろうか?槍で胸を突かれ首を切られ釜ゆでにされ、火あぶりにされている人々達が描かれている。妻は「残虐よねー」とまた小鼻を膨らませている。

 神殿に行くと、頭に金色の輪っかをつけた、幸せそうな人たちの絵が描かれている。この人達は天国に行った人達なのか、生きている人達を描いているのかわからないが,おそらく、信仰によって、幸せになるとでも言いたいのだろうか?。

 まあ歴史をみると、宗教は、もめ事の種になっており、迫害等も多い。信じる者は救われないこともあるのだだ。
修道院の台所

修道院の当時使われていた食器


修道院で暮らす猫は幸せそうだ。

 この修道院をあとにして、そのあと歩いて、全部まわろうと思っていたが、雨が激しく、また霧が深く何も見えないことと、今日、closeしている修道院はパスして、アギオス・ステファノス修道院に向かった。

 途中で、雨も上がり、霧も晴れてきて眺めのいいところが有ったので、写真を撮っていると、日が照って来た。その瞬間、ができた。マジックのようだった。
虹だ!!
先ほどの墨絵のような修道院の寂しげな風景から一転、虹のかかったカラフルな天国のようなメテオラを見る事が出来た。これは、まるで、迫害から一転、幸せになる修道院の絵とかぶった。

 アギオス・ステファノス修道院に到着すると、朝一緒のバスにのった中国人と思われる、女性に会った。歩いて来たのかと尋ねられ、そうだと答えると、彼女らはバスで来たという。バスがあったとは知らなかった。彼女らは、奇麗に書かれた手書きイラストの地図を持っており、入念に下調べしてきたようだった。我々の情報収集が足らなかった

3ユーロ払い、見学したが、ここも同じ様な造りである。ただ、壁の絵は新しかった。おそらく最近描いたのだと思う。

 アギア・トリアダ修道院は、垂直に切り立った岩の上に立てられており、道路からも隔たっており、クネクネした坂を一旦下り、そのあと岩肌に作られた階段を上って行かなければならない。

行く途中からの道中、最も絵になっている修道院だった。

 この修道院から、道までは1人乗りのゴンドラが取り付けられている。我々が向かっていると、ゴンドラが動いており、そのゴンドラが到着すると、車庫の扉が電動で開き、黒い服に黒い帽子の神父さんらしき人が車に乗って出かけて行った。

なんだか神父さんがハイテク機器を使っていると、イメージが狂ってしまうが、現代の世の中、神父さんだって、ハイテクは必要だだ。

 まあ、日本の坊さんが袈裟を着てカブ号で法事に出かけるのと同じだ。うちの坊さんは、3500CCのスカイラインGTで爆音を轟かせて、父の法事にやってくる。お布施の金額減らそうかといつも思ってしまう程だ。

この崖を登る
坂道を下り、それから岩肌に取り付けられた階段を上るが、この階段は、岩を1m程えぐり、そこに階段を彫り作られている。なかなか凝った造りである。作るのにずいぶん時間がかかったに違いない。
岩をえぐり道が造られている
ここの修道院も小さな同じ造りの教会があるだけでたいしたことはなかった。
ただ面白いのは、大きな釣り針のような針がぶら下がっている。

これは、今は使われていないが、昔、物を下から運び上げる時に使われた物らしく、この針に引っ掛けて引っ張り上げていたようだ。

 やはり、こういった特殊な場所で、こういった工夫が必要なんだなあと思った。こうやって技術は発達するのだ。

 ここからカランバカまでは、フットパスといわれるトレッキング道がある。30分程でカランバカに戻って来た。しかし、雨上がりのこの道。石畳で作られているが、よく滑る。妻は短い足を滑らせ、1回滑って転んでしまった。



帰って来たのは、だいたい2時くらい。思いのほか早かった。レストランで昼食を摂り、列車の時間まで休憩。帰り道の夕飯を買い込もうと街を歩いてみたが、シエスタの時間。殆どの店は閉まっていた。唯一開いていたパン屋さんでパンを買い、帰途についた。

 アテネに帰って来たのは11時過ぎ、前に泊まっていた駅前のホテルにチェックインすると、メテオラ行きのバスで隣に座っていた中国人カップルもチェックインしていた。考える事は同じである。

 彼らは上海からで、翌日、始発の地下鉄でも一緒になった。もしかしたら、我々と同じでフェリーに乗るのかなと思ったら、飛行機で上海に帰るそうだ。

 次の日、朝7時のフェリーでミコノス島に向かう。いよいよ憧れのエーゲ海だ。

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