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2013年4月16日火曜日

バルパライソ〜イースター島

3月25日 

 今日はイースター島に移動する日だ。イースター島は、この旅でもっとも楽しみにしていた場所である。飛行機の時間は17:05絶対に、遅れてれていはいけない。

 イースター島は物価が驚く程高いので、サンティアゴで食料を調達していったほうがよいという話を聞いていたので、バルパライソのスーパーに朝から買い出しに行く。

 昨日街を歩き回ったが、スーパーは、見つけることができなかったので、宿のスタッフに聞くと地図に○をつけてくれた。なるほど、そこは昨日行かなかったところだ。宿は坂の上にあるが、スーパーは坂の下かなり遠いと思ったが歩いてみると10分くらいで着いた。





 少し大きめのスーパーで1階に生鮮食料品、2階に生活用品を売っているようだった。米1KGとパスタ、ツナの缶詰2個、貝の缶詰、パスタソース、タマネギ、ニンニク、スープ、オリーブオイル、醤油等2500円分位を購入。さすがに、葉っぱものの野菜や、肉、魚は買えないので、イースター島で調達することにした。
 
 一旦宿に帰り、タクシーで、バスターミナルへいく。行きはTUR-BUSというので来たので帰りは違うブルマンバスにしようと思い、窓口にいくと、スペイン語しか通じず、なんだか分からないので、結局TUR-BUSのチケットを買った。





 チケットを購入後、近くの露天のおばちゃんがやっている、揚げ春巻きみたいなものと、あげパンみたいなものを買って食べてみた。春巻きの中には、キャベツと、少しの肉がはいっていたが、これがなかなか美味しかった。自分が子供時代を過ごした街にある、パン屋さんの野菜パン(全国版のテレビにも紹介されたこともある)に似た味がして、少し懐かしく感じた。揚げパンの中には、チーズとハムがはっていおり、これもボリュームがあり、とても美味しかった。

 バスは、1時5分に発車した。2階建てのバスで、我々の席は1階だったが、ふくらはぎを乗せるシートもついていて、リクライニングも結構出来る席だ。バスは高速道路をMAX98
Kmで走る。メーターが着いているので車速がわかる。

 あっというまに2時間が過ぎ、サンティアゴのバスターミナルへ到着した。このバスターミナルから空港に行くにはどうしたら良いかわからないので、尋ねてみるが、いまいちよくわからない。TUR-BUSの窓口は何処も人がいて、聞けなかったが、一つだけCLOSEとなっている窓口に人がいたので、尋ねてみると、24番の乗り場に行けといわれた。
 その乗り場に行くと、確かにtur-bus社のエアポート行きのバスがあった。いつも使っていた、青いバスとは違うが、2F建てバスで。なかなかよかった。まあ値段もすこしよかった。

 イースター島行の飛行機は定時に出発し、ほぼ定刻に到着した。荷物を受け取り、空港の外にでると、予約していたホテルAkapuの札の下に自分の名前を書いた札をもった女の人が迎えに来ていた。早速、生花のレイを首にかけてもらい、宿までむかった。しかしこのレイ濡れていて気持ちが悪い。

 5分くらい走ると、車は、ダート道にはいり村の明かりが遠くにみえ、そこは、村からずいぶん離れているところにあるということが分かり、自分は、中心部に近い、宿を予約したつもりだったので、少し面食らった。宿に着いたが、運転手はアルバイトの単なるドライバーでホテルの人がいない。10分くらい待ってようやくオーナーが現れたが、英語が全く通じない。

 ここの宿は、安い宿が予約できなかったので、最初の1泊だけで、次の日に他の安宿を探すことにしていたので、とりあえず、今日はここにとまった。

 このホテルは、村のはずれではあるが、宿からほど近いところに、モアイ像が立っており、リゾートとしては、いいかもしれなが、自炊したりするには不向きそうだったので、次の日に移動することに決めて、寝た。



世界遺産の街バルパライソの街巡り


3月24日 
 今日はサンティアゴからバスで2時間の世界遺産の街バルパライソに行ってみることにした。バス停まで宿から30分位を荷物を引っ張って歩きサンティアゴ大学の前のバス停までやって来た。
TUR BUSという会社のバスでバルパライソまで

 バス代は片道3000ペソだいたい600円くらいなので、まま安い。バスは2時間ちょうどでバルパライソへ到着した。到着後、宿のある場所がわからないので、案内所で地図をもらい、宿を紹介してもらった。歩いて行くには、遠いので、バスに乗ったが、大きな荷物を持って路線バスに乗るのは大変だ。おまけに何処で降りてよいかわからない。隣の客に、地図をみせて、ここで降りたいというと、その場所になったら教えてくれて、バスを止めてくれた。本当に親切な人達だ。

 教えてもらった宿に行くと、満室と言われ、ホバートでの苦い経験が頭をよぎる。ホテルのフロントのおばちゃんは親切で、ホテルの場所が書いてある地図をくれた。それを観ながら、歩くが、どうやらホテルは、この急な坂道の上にある地域にたくさんあるようだ。


 今日は日曜日で、街の中は、車も殆ど走っておらずまた、街のお店も全部閉まっている。これだから日曜日は嫌いだ。この坂を上るケーブルカーを見つけ、坂の上に登った。ケーブルカーは一人300ペソ60円くらいか?
ケーブルカーでこの急坂を上がる。


 このケーブルカーを降りた通りには,ベンチがおいてあり、いくつかの出店があった。ここからの風景もなかななよく雰囲気がいい。

ケーブルカーを降りると,お土産物屋さん等が並び,景色もよい。

 ここから一番近いホステルで空きがあるか聞いてみると、9000ペソで部屋があった。レセプションのお姉さんもかわいくて、英語もばっちりだった。早速このドミトリーにチェックインして、荷物を部屋において、観光に出かけた。

 宿の周りには、いい感じのレストランもある。どこかでランチをと探していると、レストランの客引きがメニューを見せてくれた。一皿2000円〜3000円程度で高いので、高いからいいと断ると、その客引きはこの辺りのレストランは高いところが多いから、坂を下ったところに安いレストランがあるよと親切に教えてくれた。

 いくつかのレストランをのぞいてみて、お客がムール貝を食べているところがあり、お客さんもまずまず入っているので、そこに入ることにした。

 メニューランチのセットメニューでメインと、前菜と、デザートを4種類くらいからえらぶようになっていた。自分は前菜にパイのようなもの、妻はムール貝、メインは二人とも魚なのソテー、デザートはミントチョコレートのパフェにした。
昼間からビール

自分が頼んだ前菜
自分の頼んだ、パイのような前菜はなんだかよくわからなかったが、ムール貝はスープが味が良かった。ムール貝自体は身がやせていた。ムール貝は、ニュージーランドで食べた緑色のものが、身が超えていてよかったな等と思いながらたべた。
ムール貝のスープはなかなかおいしかった
ソテーは、少し,身がしぱついていたが、ソースの味はよろしかった。デザートはパフェを想像していたが、ミント味のチョコレートケーキだった。これはちょっとチョコレートの砂糖がざらついた感じであまり美味しくはなかった。

 ランチの後は、妻がガイドブックに載っている青空美術館に行きたいというので、そちらに向かって歩いた。ケーブルカーで上に登りたかったが、ケーブルカーは運転しておらず、階段を歩いて登る。周りの家の壁には意味不明の絵がかかれていたりして、また、階段には、親子連れが座って、くつろいでいたりする。なんだか坂のある街は住むのは大変だが、平坦な街よりは、情緒があるような感じがした。
家の壁は絵が書いてある

こっちも絵が

ここにも絵が





階段の途中で突然これが現れビビる
坂を上り、広い道にでたが、何処が青空美術館かはわからない。この青空美術館は、街の至る所に、絵が書かれているエリアのそうだ。分からないので、街の人にきいたがスペイン語での答えはよくわからない。街の人がタクシーの運転手にも聞いてくれた。運転手があっちと指差すほうへいくがよくわからない。
青空美術館はこの上だが、ケーブルカーは営業していなかった。
そうしていると、さっきの運転手が客をおろして帰って来て、乗れという。お金なくてもいいのと一応確認して乗り込むと、青空美術館と書いてあるところまで連れて行ってくれた。もちろんお金の請求はなし。本当にみんな親切だ。
青空美術館の絵 んーん
美術館と書いてあるところを通り過ぎると、あれ?さっき汚い落書きがあると思って歩いていたところに出て来た。落書きとおもっていたのは、実は、実は青空美術館のアートだったのだった。
この町並みが世界遺産らしいがよくわからない



汚い絵だな〜

 なんだーと思いながら、階段ではなく普通の道を下っていった。また歩いて、一番景色がいいよと案内所の兄ちゃんが教えてくれたポイントまで行く。ここは街の端っこで、ケーブルカーで上まであがる。トイレに行きたかったのでトイレにいくと有料で150ペソだったが紙がないので、とりあえず小だけして出て来たが何となくお腹が痛い。

 ここからの景色は、街を一望できるポイントで、何枚か写真をとり、坂を下った。

展望所からの街


それいんしても凄い坂




坂にはこんな家がある



ところが、なんだか腹が非常に調子が悪く、持ちそうになかったので、近くのレストランに駆け込み、注文の前にトイレに駆け込んだ。


 レストランでお茶をして、店をでてしばらくしたらまた、ヤバくなってきて、またレストランに駆け込みトイレを借りた。完全に下痢だった。お昼はフレンチのレストランだったが、ニュージーランドでもフレンチレストラン二行った後、お腹を壊した。フレンチはどうやら自分の体にはあわないようだ。

 もう一カ所観たいところがあったが、お腹が心配だったので、宿に戻った。しばらく宿で、休憩しているとおなじ部屋のアメリカ人女性が帰っていてしばらく話をした。女性は、ここはビスコサワーがおすすめよという。すると妻が俄然飲む気まんまんになってしまった。もう日が暮れるので、夕暮れと、夜景の写真を撮り、宿の下のカフェで、簡単にサンドイッチと、サラダを頼み、妻はビスコサワーを飲んだ。

 このカフェではカップルの歌手が、歌を歌っていた。自分が知って切る曲もあり、なかなか雰囲気もよかった。2〜3曲聞いたところで、ライブは終わり、チップくれと封筒をわたされた。またまたいくら私ららいいか分からないので一番額面が小さな札1000ペソ札(200円くらいか)をいれておいた。
夜のケーブルカーの駅。

バルパライソの夜景

バルパライソの夜景 もうすぐ満月。イースター島で満月になりそう



宿に帰ると、日本人らしき人がいて、自然と日本語でこんばんはと挨拶したら、相手は驚いて、こんばんはと返って来た。静岡から来ている男性で、カナダでワーホリしたあとに、南米をまわっているということだった。しばらく、男性としゃべって、風呂に入って寝た。



























2013年4月10日水曜日

ラパス〜サンティアゴ


3月17日
 今日はラパスを立つ日だ。ラパス発の飛行機は17:05なので、午前中12:00までは、部屋で、次のサンティアゴ、ブエノスアイレス、イグアスの飛行機の確認やホテルの手配等を行う。
 その後、ラパスで最後の食事ソル&ルナ(太陽と月)というcafeでランチをとる。ここは多国籍料理でいろんな国の料理がある。妻はナシゴレンとサテ(焼き鳥)、自分はスパゲティーを頼んだつもりだったが、何故かスープがきてしまった。(メニューを見間違えていただけだった)。ボリビアではスープばっかりたべていた。何か頼もうと思ったが、時間がかかりそうなので、スープで我慢することにしたが、このスープがトマト味なのだが、少し肉も入っており、かなりうまかった。

 タクシーで早めに空港まで向かい、サンティアゴ行の飛行機の掲示板を探すが17:05発がない。なんと勝手に出発時間が16:25分に変更になっていた。遅くなるならわかるが、早くなるとはびっくりした。慌てて、チェックインして、出国手続きをして保安検査をすませたのが、搭乗時刻の10分前だった。余ったボリビアーノを使おうと思い、免税店でパンツを購入することにした。サイズがなく、探しまくって、ようやく見つけたパンツは、お金を払う時にこれはまだ売れませんといって、結局購入できなかった。Σ( ̄□ ̄;)

 飛行機は、定刻に飛び立ち、途中イキケを経由して、サンティアゴまで無事にたどり着いた。サンティアゴに着いたのは、9時過ぎ、もう夜遅いので、タクシーで宿に向かう。空港内のカウンターで17000チリペソを払い(なんと3400円くらい)タクシーにのると、タクシーは猛スピードで高速道路を走り(150km/hくらい)ちょっと恐くて、揺れるので、酔いそうだった。
 今日の宿泊空きは、プリンセサインソレンテホステルというところで、我々が着いた時に、門を開けようとしたら、カップルが門越しにキスしている。なんだかロミオとジュリエットのようだなとおもいながら待っているが一向に終わらない。ところがこの門はホテルの隣の家の門だった。

ラパスからイキケまでのフライト。こんな砂漠が延々と続く

ラパスの空港。おそらくこの飛行機でウユニまで行けるのではないかと思う。
ラパスの空港は、飛行機の墓場のようで、古い飛行機があちこちに捨ててある。

イキケの空港 砂漠のど真ん中にある。


 次の日はアルゼンチンブエノスアイレスまでの移動日なので、ほんとここは1泊するだけだが、ここのホステルはこじんまりしているが、なかなか雰囲気がよい。ベッドの周りににも、棚とかがあり、なかなか感じがよろしかった。


2013年3月23日土曜日

サンティアゴ


3月5日 火曜日
 今日は、朝からお腹が痛く下痢だった。あまりお腹の調子がよくないのに、ワインをがぶ飲みしたせいかもしれない。
 朝はフランスパンのトーストを食べたが、かなりお腹が緩いので、宿で休息をとることにした。妻と徳ちゃんは、地図をみて、サンクリストバルの丘というところに出かけて行った。

 結局自分は、夕方まで部屋で寝ていた。妻と徳ちゃんはサンクリストバルの丘でスモークサーモンを食べて、ビールを飲んで6時くらいに帰って来た。
宿の廊下。天井が高く昔は高級なホテルだったのではないかと思われる。

中庭があり、緑もありおしゃれ

老人は椅子に座ってお昼寝

若者は太極拳

ギャルはプールで水遊び

 俺の腹も少し減って来たので、夕食を食べようと外に出たが、宿の回りは寿司屋ばかりで、仕方なく、バーみたいなところに入ると、お腹減っているならとフレンチフライの盛り合わせを勧められたが、みんな却下して、仕方なく隣の寿司屋にはいった。

 ここは奥が広くなっており、インテリアも寿司屋らしくはないが、結構凝っていた。寿司の種類もたくさんあったが、ほとんどがロールで、握りはサーモンか、マグロくらいしかない。寿司は食べる気ないので、セクシーなウエイトレスさんに、おすすめを聞いて、それを注文した。結局ビール2杯のんで、一人3000円程もかかってしまった。ヤッパリ外食は高い。お店をしっかりえらばないといけない。


2013年3月22日金曜日

オークランド〜サンティアゴ


3月4日 月曜日
 いよいよ今日は、南米に移動する日だ。妻が、どうしても蜂蜜を買って家に送りたい等というので、段ボールに蜂蜜と、いらない物を詰め込み、郵便局へ。一番安い便でたのんだら、なんと、5週間で、料金は87ドル。蜂蜜は全部で60ドルだったから、送料のほうが高いことになる。
 こんなのがこれからも続いて行くのかもしれない。

 便は夕方4時5分発だったが、11時にチェックアウトして、バスで空港まで行く。バス料金は一人16ドル。20分位でつくからちょっと高いんじゃないの?

 今日はどうも朝からお腹の調子が悪く、太田胃散をのんでいたので、昼食は消化のいいうどんにしたが、そのあと気分が悪くなり戻してしまった。

 飛行機は定刻に出発した。機内食は、チキンとラビオリから選択となり、ラビオリをチョイス。粉っぽくて美味しくなく胸焼けがして来たので、残した。やっぱり、お腹の調子が悪いようだ。夜もものすごく眠いんだけど寝ていると腰が痛くなったり、首が痛くなったりで、ねかなか眠れずついに朝ご飯。 朝ご飯はハムチーズのサンドイッチとフルーツ。やはりチーズの匂いで気持ちが悪く、フルーツだけ頂いた。
LAN航空の機内食 あんまり美味しくはなかった。






 そんなこんなで長い11時間であった。到着後、イミグレでは長い列。でもアジア人はいないねなんて言いながら列をみると、なんとエアーズロックで会った徳ちゃんがいるではないか。

 イミグレをとおり、税関を徳ちゃんと一緒に通って、空港の出口で記念撮影。徳ちゃんは、まだ宿を決めてないということで、とりあえず一緒にバスで中心地まで行くことになったバスは、インフォメーションのお姉様に言われた青いバスで行く。1600ペソ320円くらいだ。徳ちゃんが目を付けていた中心地の近くに我々が予約したホテルがあるので、とりあえず、一緒にホテルまで歩いていった。

 そのホステル、La Casa Rojaは1890年台に建てられた社交場を改装して作られており、中庭が2つもあり、天井が高く、部屋も8人部屋だったが広かった。ダブルの部屋なんかはかなり雰囲気が良さそうであった。ただ部屋に窓はないので、昼でも暗かった。徳ちゃんもここが気に入ったらしく、一緒に泊まることになった。

 まあとりあえず町に繰り出した。適当に人の多い方に歩いて行くと、おそらく旧市街の商店街だと思うが、まあ人がいるはいるは、靴屋が並んだ通りがあり、妻が靴を求めて探すが、思っているような物は売っている気配はない。

 教会の前に広場があり、そこでカップルや鳩がいちゃいちゃしている。まあカップルは何処でもいちゃいちゃしているんだけどね。

サンティアゴ大聖堂 の前の広場のアート

サンティアゴ大聖堂

 教会の中に入って行く。教会ってのは、何処も作りがおなじであるが、中央にキリストの銅像があり、4方にステンドガラスがある。

サンティアゴ大聖堂 の中のステンドガラス

サンティアゴ大聖堂  の中のステンドグラス
サンティアゴ大聖堂  の中の銅像

 妻曰く、ここの教会はたいしたことないそうだ。しばらく椅子に座っていると眠くなって来た。
サンティアゴ大聖堂 の前の広場のインチキ臭いストリートパフォーマ。
手を怪しく動かして、何かを使用としているが何も起こらなかった。

 しばらくウロウロして、夜のご飯をスーパーで買って帰った。妻が、巻き寿司が150円くらいだからそれに使用というので、巻き寿司2つと、パンとチーズ、野菜と、生ハム、ワイン2本を買って帰った。ワインは1本350円で安かったが、巻き寿司は妻の計算違いで500円程もして、高い夕食となった。

 結局徳ちゃんと3人でワイン2本空けてしまい楽しく酔っぱらった。お腹の調子はどうなったんだろう?